第29話  帽子屋の店主

「アリス、起きなさい」

アブソレムの声がすぐ近くから聞こえる。

あれ?わたし、何してたんだっけ……。

ええと、アニとアカラが来て、アルが来て、それからアブソレムがテーブルで寝てしまって……。

あっ、わたしもつられて眠ってしまったんだわ!

そこでやっと気がつき、慌ててガバッと起き上がる。

どうやらテーブルに突っ伏する形で眠っていたらしい。

「起きたか?」

「お、起きたわ」

わたしは口元をぬぐいながら答える。

よかった、よだれは垂らしてないわね。

「まさかうたた寝しまうとは。明日ハシバミ竜を狩りに行くのなら、今日中に帽子屋に行かねばならない。早く準備しなさい」

アブソレムが慌てた様子で空飛ぶ軟膏を差し出してきた。

それを受け取りながら時計を見ると、16時を少し過ぎたところだった。

来客続きで何も食べていなかったので、さすがにお腹が空いている。

とは言えここまで慌てている様子のアブソレムに、ご飯にしましょうとはとてもじゃないが言えない。

今は黙って軟膏を塗りこむことにした。


「塗ったわよ」

「それではすぐ庭へ」

アブソレムは棚の収納箱からいくつかの布切れを掴むと、それを布袋に突っ込んだ。

チラリと見えた布切れは彼には似合わないほど色とりどりで、何種類かありそうだ。

あれを何に使うのだろう?

アブソレムとともに庭へ出て、同じ箒に跨る。

この間と違ってスカートでないため、箒に跨がれるようになったのだ。

やっぱり安定感が全然違う。

ガウチョパンツを作ってくれたサムージャ達に深く感謝した。

アブソレムが強く地面を蹴り、空高く飛び上がる。

森の木々の高さを越えると、眩しい夕日が目に飛び込んできた。

確かにこれは急がないと帰りには日が暮れてしまうだろう。



「どこに行くの?」

風の音に負けないように、大声で聞く。

「帽子屋だと言っただろう」

帽子?ハシバミ竜狩りは危険だから、頭を守る頭巾でも買うのかしら。

アブソレムは箒の柄を握り直し、スピードを上げた。

足元の景色がどんどん変わって行く。

まだほぼ森しか見えないが、この間街へ行った方角とは違う気がする。


この間の道は石畳になっていたが、このあたりはもっと目が細かそうだ。

砕いた石を敷いてある。マカダム工法に近いのだろうか?

耐久性が高い工法を使っているということは、馬車が走ったりするのかもしれない。

降りてもっと近くで観察したい。

わたしが道の塗装に夢中になっていると、ポツポツと民家が見えだした。

普通の住宅にしてはどれも大きく造ってある。

他に何か用途がありそうだ。

「アブソレム、この辺りってどういったお家なの?」

「大半が行商人向けの宿屋をしている」

宿ならばこの大きさも納得できる。

でも、ミナレット派に運んでもらえば行商なんてあっという間じゃない?

途中に泊まる必要なんてあるのかな?

その疑問をそのままぶつけてみる。

「行商人が泊まるの?ミナレット派の運び屋さんがいるのに?」

アブソレムは軽くため息をついた。

「あれは恐ろしく高価な移動方法だ。相当加護の多いミナレット派にしか使えないからな」

なるほど。

ということは、アルはもちろん、トーマの従者や、アニとアカラを迎えに来た青年は加護の量が多いということね。

加護も万能じゃないのね。

ここまで能力差が目に見えると、色々難しいこともありそうだ。

「もう着くぞ」

加護について考え込んでいたら突然降下が始まり、アブソレムの背中に慌ててしがみついた。


降り立ったところは周りの宿屋兼自宅と比べるとかなり小さい、こじんまりしたお家だった。

庭には一本だけ手入れされた木が植えられているが、周りの庭は荒れ放題だ。

雑草が膝くらいまでぼうぼうに伸びている。

屋根はかわいい煉瓦色をしているが、ところどころ赤瓦が落ちている箇所がある。

この屋根で、雨漏りしないのだろうか?

アブソレムは平然と雑草をかき分けて、ドアの前に立った。

古ぼけたウィローの木の板が玄関脇にかけてあるが、それにはもちろん触らずドアをノックした。


「ヤオ。アブソレムだ」

アブソレムにしては大きな声だ。

このお家の主人はヤオという名前らしい。

わたしたちはドアの前に並んで、しばらく反応を待つが何も起こらない。

アブソレムは呆れたような顔をしてドアを勝手に開けて中に入ってしまった。

「え、え、勝手に入っていいの?」

わたしだけでも外で待ったほうがいいだろうか、と一瞬悩んだが、ここで一人きりで待つのも心細い。

「お邪魔します……」

恐々中に足を踏み入れると、そこは童話のようなかわいらしい部屋だった。

七ひきの子やぎに出てくるような大きな柱時計が左手に置いてあり、正面の壁には小さな暖炉がある。

全体的に木と暖色の布が多い。まるで絵本の世界に入ってしまったようだ。


ただ、よく観察して行くとどうも何もかもがちぐはぐだった。

テーブルはひとつもないのに椅子だけがいくつもおいてある。

ロッキングチェアの横にある木の椅子には、マグカップと食べかけのパンが載っていた。多分テーブルの代わりとして使っているのだろう。

小さくて可愛い暖炉には火が入っておらず、代わりに糸のたくさん入った籠が置かれていた。

おまけに、柱時計はなぜか15時半を指している。

あまりのちぐはぐさにポカンと口を開けてキョロキョロ見回していると、奥の部屋からアブソレムが女の子をひとり連れて来た。帽子屋の店主の娘さんだろうか。

とても長い、ウェーブのかかった髪をしている。色は金色だが、明るすぎてほとんど白にも見える。

家の中の色と同じ、オレンジ色のワンピースを着ていたが、すぐにその色が全てオレンジ色の刺繍だと気がついた。白い生地が隠れて見えなくなってしまうほど刺繍がびっしり施されているのだ。

「ごめん、アブソレム。夢中になってて……」

女の子は子供のような舌ったらずな喋り方をしていた。

なんだか眠そうな声だ。

「君はいつもそうだな」

「うん。みんながアブソレムみたいに勝手に入って来てくれたらいいのに」

女の子は片手に布、もう片手に針を持っていた。

「アリス、こちらはヤオ。帽子屋だ」

アブソレムがわたしたちのちょうど間に立って、紹介してくれる。

わたしは姿勢を正して、「はじめまして」とお辞儀をした。

この子が帽子屋の店主だったのか。

「ヤオ、これが話していたアリスだ」

「はじめまして、ヤオだよ」

ヤオはわたしをまっすぐに見て、へにゃっと力が抜けたような笑顔を見せてくれた。

「よかった。目の色とも合いそうだね」

ヤオはそう言うと、柱時計の前の椅子に乗っている帽子を持って来た。

帽子は三角形をしていて、つばが大きい。所謂とんがり帽子だ。

うんうん、やっぱり魔女といえばこの形の帽子だよね。

でも、どうして真っ黒じゃなくてグレーなんだろう?


しかしよく見てみると、それはグレーではなかった。

真っ黒の生地に、銀の細い糸で刺繍が全面に施してあるのだ。

刺繍の図案はアブソレムのものと同じ、植物モチーフのようだった。

蔦や葉、花がたった銀一色の糸なのに生き生きと描かれている。

「きれい……」

わたしは手渡された帽子をじっくりと見て思わずそう呟いた。

銀の糸は光を反射してキラキラと輝いている。

「気に入った?よかった」

ヤオはまたへにゃっと笑った。

この子が1人でこれを刺繍したのだろうか?

わたしが来てから数日しか経っていないのに、アブソレムはいつ帽子を注文したのだろう?

「ふたりとも、お茶飲む」

そう言ってヤオは奥の部屋に案内してくれた。


奥の部屋はどうやらキッチン兼寝室のようだった。

左手にキッチンが作り付けられており、右手には天井からの布で仕切られたスペースがある。

多分向こうにはベッドが置いてあるのだろう。

このお家は二部屋しかないらしい。

わたしの前の世界で借りていた部屋もこんな感じだった。

アブソレムの家は広すぎてたまに怖い気もするので、ここくらいの大きさのお家がとても落ち着く。

「ここ、座って」

この家で唯一のテーブルらしい小さな木製のテーブルの周りに、椅子を3つ並べてくれた。

どれも種類の違うバラバラな椅子だ。

ヤオは黒い木でできた素朴な椅子に座り、アブソレムは座面にクッションの貼られた椅子に座った。

クッションには、色とりどりの糸で鳥の柄が刺繍されている。

カラフルでかわいい椅子に座るアブソレムがおかしくて、口元がにやけてしまう。

わたしは最後に残った、背もたれのない丸椅子に座った。

この家にはどうしてこんなにも椅子があるのだろうか。


「アリスはコーヒー、だめ?」

ヤオの言葉に、わたしはパッと笑顔になった。

コーヒー!

コーヒーがあるのね。こちらの世界に来てから一度も飲んでない。

是非いただきたい、と言おうとした瞬間、アブソレムが横から口を出した。

「私たちはコーヒーを飲めない」

「だよね。じゃあ他のお茶にする」

わたしのあからさまなガッカリ顔を見たらしいアブソレムが、「私たちは飲めない」と先ほどと全く同じセリフを言った。

コーヒーを摂ると、何か不都合があるのだろう。それならば仕方がない。

でもコーヒー、飲みたかったなあ……。


しょんぼりと肩を落としたわたしの前に、ヤオがグラスを置いてくれた。

あれ?この香り、嗅いだことがある。

「はい。麦茶だよ」

「わあー!麦茶だ!」

またもや久しぶりの大好きな飲み物の登場に、つい歓声を上げてしまった。

わたしの喜ぶ様子を見て目を丸くしたヤオが、くすっと笑う。

「アリスはなんでも喜んでいい子だね」

うっ……。絶対年下だろう女の子に、いい子だねと言われてしまった。

顔が赤くなっているのが自分でもわかる。

わたしは照れ隠しで話題を変えることにした。

「ヤオは、何派なの?」

ヤオはアブソレムにも麦茶を出して、自分にはコーヒーを淹れている。

部屋中に懐かしい、香ばしい香りが漂う。

「ヤオは、クロス派。でも加護、すごく弱い」

加護が弱いのか。もしかして聞いたらいけないことだったかな?

聞いてごめんねと謝ったら不自然?こういう時ってどうしたらいいのだろう。

なんて返したらいいのか分からず、あわあわと考えているとアブソレムが助け舟を出してくれた。

「ヤオは加護を含んだ糸で刺繍をしている」

「えっ!?そうなの?この糸に加護が含まれているの?」

手元の帽子をまたじっくりと見つめる。

やはりとても繊細できれいな刺繍だ。

前の世界でこんなに手の込んだものを買ったら、一体どれ程の値になるのだろう。

「ふふ。見てもわかんないよ」

ヤオは両手でコーヒーカップを包みこむように持っている。

かなり小さな手をしている。

「攻撃されるとね、その糸が守ってくれる」

「へええ……!そうなの、すごい!」

刺繍を指でなぞってみる。随分とつやつやした糸だ。

「明日、竜を狩りに行くんでしょ?間に合ってよかった」

「まあ竜と言っても、ハシバミ竜だがな」

アブソレムが麦茶を飲みながら答えた。

今の言い方からすると、ハシバミ竜は危なくない方なのかもしれない。

「それにしても、やっぱり魔法使いといえばとんがり帽子なのね」

わたしは両手に帽子を乗せながら呟いた。

帽子はハリのある素材で、手の上に乗せるとピンと自立する。

「元々は草木を編んで作っていた。この名残で、その形をしている」

「えっ、そうなの?」

「そうだ。昔は薬草や魔木を編み込んで作るものだった」

アブソレムは、「すぐダメになるから最近は作らない」と付け加えた。

なんだかそわそわと手持ち無沙汰なように見えるが、なんでだろう?と思っていたが、キセルが無いからのようだ。

ヤオがまだ小さいから遠慮しているのだろうか。

「だから、薬草の柄を刺繍しているんだよ」

ヤオがそう教えてくれた。なるほど、そう言う意味合いもあったのね。

「この帽子は魔法使いだという印だ。だから明日のような、大勢が集まる場には必ず被っていかなければ……」

「ねえアリス、被って見せて」

ヤオがアブソレムの言葉を遮った。かなりマイペースな女の子だ。

わたしが被ってみせると、手を叩いて喜んでくれる。

「わあ、似合うねぇ。銀の糸なんて滅多に使わないから、心配してた」

「えへへ、ありがとう。アブソレムにも帽子はあるんでしょ?」

わたしはストレートに似合うと褒められ、少し照れながらそう聞く。

「アブソレムのはね、金色の糸。でも生地は同じ」

そこでふと、アブソレムの服の刺繍も金の糸だと気がついた。

もしかしてこれもヤオが作ったのかな?

わたしは帽子を脱ぐと、目の高さまで掲げ持って刺繍を眺めてみる。

チラチラ光る銀の糸は、まるで宝石のようにきれいだった。

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