歌う弟

桔梗 哲毬子

歌ウ オ ト ウ ト


 僕には3つ下の中学2年の弟がいる。

弟はよく歌っている。

いや、よく と言うかいつも だ。

ご飯中も、勉強中も、お風呂のときも。なんなら、寝言でも。なぜ食べたりしながら、歌えるのか、甚だ疑問だが。

歌っていないとうちの弟は死ぬのかってくらい歌っている。

昔も歌っていたが、静かにしてと言えばやめていた。しかし、今はいくら言っても歌いやめない。反抗期なのだろうか。

 そんな僕が唯一静かに過ごせるのが、学校だ。学校に行ってなかったら、煩くて煩くて気が狂っていただろう。



 学校には佐東と言う友人がいる。そいつは中学の頃から、びっくりするくらい顔面ニキビだらけだ。病院に行っても治らないらしい。ニキビが出始めた頃は気持ち悪がられると気にしていたが、僕がこう言ったんだ。

「お前がいいやつって言うのはクラス全員が知ってる。今さら気持ち悪がったりしないよ。むしろ、今の方がギャップがあっていいんじゃないか」って。本気でって言うより、励ますって感じに。それからは、表向き気にしている素振りは見えない。無くなると良いなってくらいには思っているだろうけど。

 その佐東と昼休みにくだらない話をしながら、時間を潰していると、市村がやって来た。身長は高くモデル体型。認めたくないが、美人だ。

僕は嫌いだけど。

こいつは、中学高校と同じだった。中学は3年間同じクラス。高校は、今年から同じクラスだ。なぜか知らないが、僕たちのところに頻繁にやって来る。知らないと言いつつ予想は付いている。僕の身長が伸びたからだ。異性のタイプは自分の身長より高い人らしい。この高校にいる市村より身長の高い男子生徒は、僕をいれても片手で足りるくらいしかいない。

僕の事を中学3年間いじめていたくせに、図々しい。

本当に嫌いだ。

だが、こいつは人気があるから、テキトウに扱っても、仲良くしすぎても叩かれる。

学校は静かだが、煩わしい。



 家の前で立ち止まる。家に入る前から、先に帰った弟の歌う声がする。ああ本当に煩い。家に入ると、リビングで母さんがため息を付いていた。

「どうしたの?煩いから?」

尋ねると笑いが返ってきた。

「もうずっとだからとっくに慣れてるよ。あんたはいつまでもなれないね」

「…じゃあどうして?」

すると母さんは苦笑した。

「白髪が増えてきただけだよ。」

「ああ、それだけ。僕は真っ白の髪、かっこよくていいと思うよ。むしろ全部白くなるといいじゃん。」はなしながら冷蔵庫を開ける。

「若ければね~。あとは外国の人みたいにハッキリとした顔立ちだったらそれもいいけど…。お母さんは真っ黒で艶々の髪が好きだな~」

「そっか。じゃあ染めるしかないね。」

とお茶を注ぎながら言った。


お茶を飲んでいると、弟が2階から歌いながら降りてきた。

「兄ちゃん帰ってたんだ。おかえり。」

「ーただいま」

すごく久々に会話をした気がする。

「兄ちゃんの高校、偏差値いくつだっけ?

ぼく今週中に進路希望出さないとなんだよね~。」

「○○高校の偏差値は6ー」弟が歌い出す。

本当に意味が分からない。会話の最中だぞ。しかも、弟から聞いてきたのに、僕の答えを聞きもしない。

「ーはぁ」お茶をもって部屋に戻る。

スマホをいじっていると、弟が歌いながら、斜め向かいの部屋に入っていく音がした。

本当に煩い。ヘッドホンをして曲を流した。



 今日は高校の100周年記念で休みだ。お昼頃リビングに降りていくと、母さんがお昼ご飯を用意してくれていた。オムライスだ。

食べながら、気になっていたことを母さんに聞く。

「母さん、あいつは学校でも歌ってるの?」

「うん。そうらしいね。家庭訪問でも、いつも歌ってますねって言われるし。ボリュームは落としてるけど授業中も歌ってるらしいよ。」

なんてやつだ。

学校が被らない年齢差で良かった。


うちの弟はなぜこんなに歌っているのだろう。歌は上手い。いつもじゃなければ、聞いていても良いのに。ずっとずっと常に弟の声が聞こえると、ノイローゼになりそうだ。



 ある雨の日、学校から帰る途中にコンビニによった。今日発売のコンビニスイーツ目当てだ。無事購入し、コンビニを出ると、置いておいた傘がなくなっている。仕方がないから、イライラしながら走って帰った。下着までびしょびしょだ。折角買ったコンビニスイーツも少し崩れてしまった。これも全て傘が盗まれたせいだ。

「ーー…天罰が下れば良いのに」

ポツリと呟いたその瞬間、ピカッ外が光り直ぐにゴロゴロと音が鳴り響いた。

近いな。雷が鳴り出す前に帰れて良かった。


次の日の朝、テレビをつけるとちょうどニュースがやっていた。

「昨日の大雨に伴う雷により、○○市内の5名が市内の別の場所で死傷しました。」

テレビのニュースキャスターが言う。

「ーでは、これを受けまして、使用していた傘に原因があると見て調査を進めるそうです。」

傘か。昨日の僕は傘が盗まれていて、運が良かったようだ。

 弟は今日はテストらしくいつもより早く学校に行っている。静かにニュースが見られるのは良い。ここでいつものように弟の歌う声が聞こえたら、きっとそれこそ、いつも通りイライラしていただろう。



 今日はいい天気だ。学校に行くのは勿体ない。と、思いながら、休む度胸の無い僕は学校に向かう。

 うとうとしながら3時間目の国語の授業を受けていると、教室の電話がなった。

電話を切ると先生は僕を呼び、「お前の弟が交通事故にあったらしい。怪我は大したことないみたいだが、親御さんは今病院に向かっている。今学校にタクシーを呼んであるからお前も向かえ。」と言った。


 学校でタクシーに乗るなんて緊張する。

あいつは何で、交通事故にあったんだ?

学校を休んだのか?

怪我は大したことないなら、なぜ、家族が全員病院に行かないといけないんだ?

色々と考えていると、病院についた。入口で母さんが待っていて、タクシーの料金を払ってくれた。


 病室に行くと、人工呼吸器を付け、苦しそうにしている弟と父さんがいた。

「父さん、何があったの?」

「トラックに跳ねられたらしい。怪我とかは奇跡的に大したこと無いが、胸を強く打った事で神経が損傷して、声がしっかりとは出なくなった。」

「っそっそれならどうして人工呼吸器をつけているの?どうして苦しそうなの?」

意味がわからない。

「ー歌えないからだ。」

「っっはぁ?」

ますます意味が分からない。

「父さんがこの状況でそんな冗談を言う人だとは知らなかった。」

「冗談ではない。本当だ。いつもいつも歌っていて学校の勉強にも支障が出てていたから、口を塞ぎ無理やり歌わせなかった事がある。そうしたら、窒息しそうになっていた。鼻で呼吸できていたのに、だ。」

「どういうこと?歌っていないと呼吸が出来ないってこと?意味がわからない。だってだって息は吸えるんでしょ?」

「ああ、だが本当だ。」


話しているうちにどんどん弟は苦しそうになっていく。

母さんが泣いている。


ーーー


弟はそのまま死んだ。窒息死だ。

死体を調べて貰ったが、特に異常はなかったらしい。



 本当に歌えないから、死んだのだろうか?

毎日毎日好きで歌っていたのでなければ、辛くなかったのだろうか?

弟の歌う声が煩わしくて、いつも冷たくしてしまった。歌わなければ苦しいから、歌いたくなくても、辛くても歌っていたのだとしたら…

もっと、もっと弟と話せば良かった。





 1ヶ月後、朝テレビをつける。弟のいない家は静かだ。まるで弟がテストの日の朝のようだ。

「ーですが、5本の傘には共通点は無かったそうです。また、5本とも盗品であり、盗難届は出ていないため、本来の持ち主は分かっていません。」

もしかして、死傷者の5人に僕の傘を盗んだやつもいたんだろうか。

盗まれていなかったら、僕に雷が落ちていたのだろうか……。

いや、天罰…か?


「あら…」

「どうしたの?母さん。」

「前、隣の家に住んでいたミサちゃん、覚えてる?」

もちろん覚えてる。3年くらい前に引っ越した可愛い女の子。すごく可愛くて小さくて妹にしたかった。当時中学で苛められていた僕は、ミサちゃんに「ずっとそのままでいてね」ってよく言っていた気がする。市村のようなやつになって欲しくなくて。

「覚えてるよ。何?」

「…喪中はがきが届いたの。ミサちゃん亡くなったって。」

「どうして…?」

「…自殺みたい。はがきには書いてないけど、ミサちゃんのお母さんとLINEしてた感じだとたぶん、全然成長しなかったから。」

「どういうこと?」

「ミサちゃん、ずっと小さかったよね。中学生になっても大きくならなかったみたい。小学校低学年の身体のまま。中身はどんどん成長してくのに。だから、ミサちゃんずっとずっと辛かったみたい。」

「っ………」


   ズ ッ ト ソ ノ マ マ デ イ テ ネ 


泳ぐ目に嫌なものが映った。

「ー母さんその買い物袋のなか何でそんなに沢山ヘアカラー入ってるの?」

軽く10個は入っている。

「ああ、これ?この間あんたに話したじゃない。白髪が増えてきたって。」

嫌な予感がする。

「でもなんでそんな沢山…」

母さんが寂しそうに笑う。

「なんか、染めても染めてもすぐ真っ白になっちゃうんだよね~。やっぱりあの子が死んじゃって色々まいってるのかな…」


     マ ッ シ ロ ニ ?


違う。違う。それは…。いや、でも、そんなことが在るわけ無い。分からない。

だから、でも、でも、でも、も し か し て


ボ ク ノ セ イ カ?


ぐるぐると頭を回る、母さんの白髪、小さいミサちゃん、雷に打たれた傘泥棒、ニキビだらけの佐東。


ー全部僕が言った。


ぼ く の せ い? 、ボ ク ノ セ イ ?、ボ ク ノ セ イ ?

でも、だってそんなことがあり得るの?

分からない ワ カ ラ ナ イ ワ カ ラ ナ イ

ぐるぐるぐるぐるグルグルグルグル


っーーーーーーーー弟も……?

ふつう歌えないからって死んだりしない。

あまり働かない頭で記憶を辿る。たどる。タドル。


っ7、8年前のお正月だ。

親戚で集まって、ゲームをした。

ゲームに負けた弟に僕は言った。

「罰ゲームとして歌って!いいじゃん歌上手いし。みんなにお前の歌声を聞かせなよ。」

「いいよ!どれくらい歌う?一曲?」

弟が聞いた。

「ずっと。沢山歌ってよ。折角だし!」

と僕は答えた。

ずっと 、ズット、ズット、ズット

頭の中に子供の僕の声が響く。


ズット、ズット、ズット、ズット、ズット………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歌う弟 桔梗 哲毬子 @kikyotemariko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ