幸せを運ぶ赤と緑

ハルカ

令和の珍事件

 その日、日本中で奇怪な現象が起きた。


 各ご家庭にある【なんの変哲もない、一般的などんぶり】が突如として色を変えたのだ。磁器も陶器も木製もプラスチックもへだてなく鮮やかに染まった。

 その色は、赤だと言う人もいれば、いや緑だと言う人もいた。

 どちらにせよ、赤か緑かのいずれかになるようだった。


 人々は大いに驚き、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどのSNSにこぞってどんぶりの写真を投稿した。

 この奇妙な現象はまたたにネットニュースとして発信され、テレビ局もこぞって報道した。そればかりか海外でも「今日、日本では実に珍妙な出来事がありました(※意訳)」と紹介された。


 翌朝のスポーツ新聞には、一面にでかでかと「摩訶不思議・食器の色が七変化!」という文字が躍り、それを見たネット民から「赤と緑だけだろ」「レインボーかよ」「盛ってるな、どんぶりだけに」などとツッコミが入った。


 ところが、事態は想像以上に深刻だった。


 次の日になると、日本中のありとあらゆるどんぶりの色が変わっていることが判明した。学生食堂、社員食堂、飲食店などはもちろん、病院や介護施設、あるいは食器の販売店のどんぶりまでもが赤か緑かのいずれかに変わってしまった。

 それどころか、食器を製造する工場や窯元にまで影響が及んでいるという。どんな釉薬をかけてどんな温度で焼いてみても、少し目を離した隙にすべて赤か緑に変わってしまうのだ。


 ついには、重要文化財として博物館に展示されているどんぶりまでもが鮮やかな赤や緑に変わっており、それを発見した学芸員がショックを受けて卒倒したというニュースまで流れた。


 そんな調子で、二日と経たぬうちに日本国内のどんぶりはひとつ残らずすべて色が変わってしまった。


   ***


 この現象について、いくつのも研究チームが組まれた。

 あるチームは化学的な現象だと主張し、あるチームは集団幻覚だと主張した。あるいは、これは他国の陰謀だ、宇宙人の仕業だ、たぬきやきつねが化かしているのだ、などという意見も飛び出した。一部の宗教家は「これは神のお告げである」と訴え、それを信じる人たちも出てきた。

 自称専門家たちがテレビで持論を展開し、ネットにもさまざまな説があふれた。


 だが、結局のところ原因はハッキリしなかった。


 そのうち、妙な噂が流れるようになった。

 赤いどんぶりを見た者は無性にうどんが食べたくなり、緑のどんぶりを見た者は無性にそばが食べたくなるのだという。 


 スーパーに人々が殺到し、うどんの麺もそばの麺もあっという間に売り切れた。

 それどころか、油揚げやかき揚げも飛ぶように売れ、総菜コーナーは夕方を待たず空っぽになってしまった。

 うどん屋やそば屋には長蛇の列ができ、なぜかついでにラーメン屋も売り上げが伸びた。うどん職人もそば職人も、寝る間を惜しんでうどんやそばを打った。そして、トラックの運転手はひっきりなしにそれを配送した。


 YouTuberユーチューバーたちはうどんの食べ比べをしてみたり自分でそばを打ってみたりした。料理研究家のイケメンお兄さんは簡単に作れるうどんやそばのレシピを公開し、どのレシピも過去最高にバズった。

 今や、うどん・そばはタピオカ以上の盛り上がりを見せていた。


 そんな中で、飛ぶように売れた商品がある。

 マルちゃんの「赤いきつね」と「緑のたぬき」である。どちらも出汁に深みがあり美味い。出汁だしをたっぷり含んだお揚げや香ばしい天ぷらは舌を幸せにしてくれるし、うどんとそばの麺も食感が良く、いくらでも食べられる。

 おまけに、熱湯を注げば数分でできるのだ。どちらも空前のブームとなった。


 人々は買い物カゴいっぱいに商品を放り込み、あっという間に品薄になった。

 問い合わせが殺到し、工場は昼夜を問わずフル回転することになった。

 金儲けの気配を嗅ぎつけた転売ヤーたちが商品を買い占めたが、そういった人たちは誘惑に負けて結局は自分で食べてしまった。


 まるで天変地異でも起きたかのような騒ぎだったが、一か月も経つ頃にはみんな慣れてきた。どんぶりは色が変わるだけで害はないようだし、別に困らない。

 新しいどんぶりを買う時に赤か緑か選べばいいだけなので楽だと言う人さえいた。


 むしろ、前よりも生活が良くなったと主張する人も出てきた。それもそのはず、人々が大量消費をしたおかげで少しずつ経済が上向いてきたのである。

 それに、温かくて美味しいものを食べてみんなハッピーになった。

 それで充分なのだと、誰もが気付いた。

 日本の未来は明るいと、誰もが感じ始めていた。


 やがて、「赤と緑はめでたい色だ」という意識が世の中に浸透しはじめた。

 うどんやそばを扱わない飲食店でも、赤い暖簾や緑の玄関マットを使えば、途端に客入りが良くなった。喫茶店ではコースターやランチョンマットや箸袋に赤あるいは緑をあしらうようになり、訪れた人々はそれを写真に撮ってSNSに投稿した。


 観光地でも赤や緑をさりげなく取り入れるようにしたところ、たくさんの観光客でにぎわった。限界集落の役場が「大自然の緑が見放題!」と少々投げやりな広告をネットに載せたりもしたが、なんとこれも大成功した。わんさか人が訪れて集落は昔の活気を取り戻した。

 この様子を見た多くの自治体が真似をして赤や緑を取り入れ地域活性化を図ったが、そのどれもが大成功を収めたのである。


 今や日本中どこへ行っても必ず赤か緑を見かけるようになった。

 海外からもこの不思議な現象を一目見ようとたくさんの旅行者が訪れた。真っ赤な椿をあしらった着物や抹茶入りの八つ橋が飛ぶように売れた。あかべこやさるぼぼ、赤い漆塗りのお椀、達磨だるまなどの工芸品も売れた。織部焼おりべやきや竹製の一輪挿し、マリモ、あとは緑茶なんかも売れた。それはもう、売れに売れまくった。


 経営コンサルタントもカラーコーディネーターもデザイナーも口をそろえて「赤か緑を使いましょう」とアドバイスした。結婚式ではお色直しに赤や緑のドレスを着るのが流行はやった。

 赤や緑のキャラクター・グッズを作れば、飛ぶように売れた。消防車のミニカーやザクのプラモデルも製造が追いつかないほど大人気だ。


 赤と緑は、みんなに幸せを運ぶ色になった。


   ***


 この奇怪な現象のはじまりは唐突だったが、収束もまた唐突だった。


 しばらく入院していた学芸員がようやく職場に復帰したところ、展示ケースの中の重要文化財が元の色に戻っていることを発見した。彼は小躍りして同僚たちにこれを伝え、同僚たちも半信半疑でぞろぞろと展示ケースを確認しに行ったが、すぐに彼の言っていることが本当だとわかった。


 それを皮切りに、国内のどんぶりの色は少しずつ本来の色を取り戻していった。

 まず、小さな窯元のどんぶりが本来の色を取り戻した。工場で大量生産されているどんぶりの色も徐々に戻り始め、食器の販売店、病院などの施設、食堂などの順に、少しずつ戻っていった。

 そして最後に、各ご家庭のどんぶりもすっかり元の色になった。

 まるで夕日が沈むように、事態はゆっくり収束していったのである。


 ほっとした人たちがいる中で、残念がる人や寂しがる人もいた。

 結局最後まで、この現象の原因は謎に包まれたままだった。

 この出来事は令和の珍事件として日本の歴史の片隅に小さく刻まれることになる。


 それでも、街中でポストを見かけたり、八百屋に並ぶキュウリを目にしたときに、人々はこの騒動をふと思い出しては懐かしんだのだという。

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