第5話

 目の前で男が一人花と変わった。季節外れに咲く沈丁花は、春を告げる香りもなく、ただその外見の美しさだけを誇っている。


 この女が言っていた話は真のことだった。人が花木へと変わるというあの馬鹿馬鹿しい話は、ただ事実を述べているだけだったのだ。


 そしてその事実は同時に、これまでこの国で見かけたあの満開の、無臭の花々の一つ一つが人間の死骸だということも意味していた。


 それを理解した瞬間、こみ上げてくる強烈な吐き気を抑えることが出来ず、その場で嫌な臭いのする液体を吐いた。


 女は「大丈夫ですか」と旅人の背中をさすり水を飲ませる。


「今見たものは一体何なのだ。この国はいったい何なのだ!」


 訳の分からぬままに女を睨みつける。吐き気はまだ収まりそうにない。


「最初に言ったとおりです。人が死ねば花木になる。ここはそういう国なのですよ」


 目の前で見た光景がいまだ信じられず、ただ不気味に咲く沈丁花を睨みつけることしかできない。


 そんな状態を察してか、


「そうですね。少し昔話をしましょうか」


女は一息ついて、静かに語りだした。


 今では見る影もありませんが、私がまだ幼子だった頃、数十年前まではこの国でも人が死んだところで骨が残るだけで、花木になるなんてことはありませんでした。人が花木にならないのですから、当然国に咲く花も四季の移ろいに合わせてその姿を変えていました。


 春には桜が爛漫と咲き誇り、夏には向日葵が太陽に向かって背を伸ばす。秋には秋桜が花の波をつくり、冬には椿の赤が街を彩っていました。


 この国では花こそが四季そのものでした。


 しかし、先代の女王がその玉座についた時代にこの国は変わってしまったのです。


 その女王は美しいものにとにかく執着していました。宝石や布、絵画に道具。とにかくこの世で美しいと称されるものを全て欲していました。それだけならまだよかったのかもしれませんが、次第にその執着は人にまで及ぶようになりました。


 自分が治める国の住民は美しくなくてはならない。美しきことが善であり、醜きことが悪である。


 その思想のもとに女王は様々な制度をつくりました。美形の者のみを国民と認める、居住区の区別、街で利用できる店の区別、使える道具の区別。


 特に女王が力を入れたのがこの布作面と薬です。


 この布作面は顔を隠すためのものではありません。王族を含め、国民として認められた人間が、この布の裏側にある醜い顔を見なくていいようにと作られたものなのです。


 あの薬は人を花木にすることを目的とするのではありません。死してなおその醜い死骸を残させないために、花木に変えてしまうのです。


 分かりますか?この国では外面の美しさが人間として認められる条件なんです。外面が醜いというだけで、こんな布をつけさせられ、骨すら残してもらえない。それがこの国なんです。


 そんな国に生まれついたので、私のように布作面をつける者たちはここで生きるのに疲れているんですよ。先ほどの方が喜々としてあの薬を飲んだのはね、醜い外見を捨てて美しい花になれるのならば、命などどうでもいいからなんです。美しくなれるのなら喜んで命を捧げるような人がこの国には大勢いるのですよ。


 その結果、この国の花は全て外見だけが美しい徒花になったのです。いつまでも枯れず、何の香りもしない。季節を彩ることもない。ただそこにあるだけの無駄花です。


 この国は美しさの代わりに四季を失ったのですよ。

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