僕と編集さんの月が満ち、欠けるまで

とある小説家の『僕』と、『僕』を担当する女性編集者『岸和田さん』との、短期間の日々を綴ったエッセイ風?短編文学作品でした。

岸和田さんの意外すぎるドロドロした部分と、そんな彼女や編集部や恋人と過ごした『僕』の日々、それらが淡々としていながらも文学的に語られていました。
「僕は小説家になりたい気持ちと小説を書く努力とを、ひとくるめにジップロックに包み込んで、冷凍庫に押し込めた」という表現は、ちょっと真似したいと思えるほどに、個人的には刺さる一文でした。ヒップホップで言うところの『パンチライン』というやつですね。

ただ、そもそもエッセイなのか? フィクションなのか? それを作品を読む前から、読者に対して『はぐらかす』必要はなかったと思います。
「実際に小説家をやっているカクヨムユーザーの私が、個性の強い女性編集さんとのやり取りを面白おかしく披露します」とか、もしくは「作家と編集者との交流や心情を描いた短編小説です」ということであれば、興味を持つ人や読む人も今より増えていたかと思います。
しかし「実話なの? 創作話なの?」をハッキリ提示しないため、『よく分からない興味のそそられない作品』と見なされてしまっているのかもしれません。非常に勿体ないです。

加えて後半の抒情的な表現に比べ、序盤の『僕』のペンネームだとか「岸和田さんゴメンね」や「ありがとう岸和田さん」といったライトなノリの独白が、作品全体の印象を更にボヤケさせていると感じました。
実話エッセイなのか架空話なのか、フィクションと言いつつ根底には作者さんの実体験が含まれているのか? 軽いノリで読めば良いのか、文学作品に触れる時の精神状態でページを進めていけば良いのか。最後まで定まらず没入できませんでした。

冒頭にあった二つの月(これもまたファンタジーなノリなのか、文学的表現なのか一行目では判断できません)が、岸和田さんと別れた後には一つになった……というのも、比喩としてはちょっと安直すぎるかなと。ジップロックで感心した後だと、尚更インパクトが薄いです。

ちょっと辛辣なレビューになってしまったかと思いますが、作者さんには「いやこの作品で伝えたたいのは、そうことじゃないんだよ」と思われるような、頓珍漢な感想を述べているかもしれませんが、読後の印象を忖度抜きで率直に述べさせて頂きました。
間違いなく『光る部分』があるだけに、『惜しい部分』が悪目立ちしていて、勿体ないと強く感じてしまったせいかもしれません。