2.夢の原稿料とタダ飯

 単発的な埋め草ショートショートを依頼され、好き勝手に何度か書いているうち、雑誌に僕のページができた。岸和田さんの企画が編集会議に通ったからだ。なんでも先日書いたコメディが編集長にバカウケしたらしく、そのときの好印象も後押あとおしして、めでたく企画通過となったのだそうだ。


 岸和田さんによると、僕の原稿を読んだヒゲ面の編集長がうつむきながら、肩を震わせ必死に笑いをこらえていたという。あの強面こわもてのヒトが笑ったのか。その光景、ちょっと見てみたいと思った。編集長とは話をしたことがなかったけれど、たずさわった雑誌の販売部数をメキメキと伸ばす、伝説的な剛腕編集長である。人間観察が密かな趣味の僕としては、ぜひ話を伺ってみたいと興味津々であった。そこで岸和田さんに紹介を依頼してみたところ、「忙しいのよ編集長は」の一言で断られた。まったくもって残念である。


 ともかく僕のコーナーが台割に定例ページとして組み込まれた結果、締め切りは余裕をもって設定されるようになった。以前のように、いきなり二日後みたいな締め切りはなくなった。


 それよりなにより、うれしいことに原稿料が支払われるようになった。正直、ありがたい。金額としては微々たるものだけど、当時の僕は社会人一年目。給料は安く、買いそろえなければならない社会人グッズがいろいろとあった。もちろん、同期たちとの楽しい飲み会だってある。小説を書いて原稿料をいただけることは、ひたすらありがたかった。もう何度でも言ってしまうよ、岸和田さんありがとう。


 大切なことがもう一つ。岸和田さんが正式に僕の担当編集者となり、打合せ飲食費がでるようになったのだ。つまり打合せのときに食べたご飯代が出版社持ちというわけ。夢のタダ飯である。それからというもの、毎月、岸和田さんと打合せをした。次回のネタ打合せはもちろん、校正ゲラの受け渡しやら、見本誌できたよから、なにからなにまで夕飯つき。多いときは毎週会ったことさえあった。


 また、僕の就業時間が終わると、打合せと称して編集部へ電話をかけたりした。たいていは長電話になった。かけた目的は次号に書く小説の内容についてなんだけど、岸和田さんは話題が豊富な人だったので、ついつい話があちこちに飛ぶ。音楽から映画からテレビの話まで。実に楽しい時間だった、でも小説に取りかかるヒントやネタはほとんど得られなかった。その頃の僕は編集者の殺人的な忙しさを知らなかったから、仕事中の岸和田さんにはいい迷惑だったろうな、と、いまさらながらに思う。


 ひとつ問題がある。原因は今でもわからないんだけれど、同じ雑誌の、とある女性編集者から僕はひどく嫌われた。仮に彼女の名前を箕面みのおさんとしておこう。ここも仮は不要か、架空エッセイだからね。とにかく箕面さんの変わりようはちょっと奇妙だった。以前は親しげに向こうから話しかけてきたものだが、定例ページをもってからは根拠のない悪口を言われるようになった。謎である。


 あまりの変わりようにビックリした。彼女は僕と岸和田さんが長電話したり、しょっちゅうご飯を食べに行ったりしているから、付き合っているとでも思ったんだろうか。出版社の喫煙室に出入りしていると、編集者がライターやカメラマンやらイラストレーターやら、あるいは編集者同士で付き合ったり、結婚したりなんて話は耳タコだから想定できる勘繰りだ。それとも編集部の電話回線を長々ふさいだことが気にいらなかったのだろうか。でも編集部の回線はいくつもあるだろうから、ちょっとそれは考えにくい。ということは、やはり理由は前者ってことかな?


 編集部内の人間関係はよくわからないので、この辺でやめておこう。楽しいタダ飯の話をしようか。僕らは当面の目標として、出版社の周囲にあるパスタ屋全制覇を目指した。もちろん次号の打合せをしながらだ。たまたま出版社が繁華街の近くにあったし、情報誌の編集部という好条件もあって、おいしい店の情報はいくらでも手に入った。


 庶民的な明るい店、手作りソーセージがやたらうまい店、きらびやかな高級イタリアン、豊富なワインが売りの薄暗い地下の店といった具合。それを毎月、ひとつずつ攻略していくわけだ。僕らは打合せのことを『パスタ会』と呼んだ。はたから見たら、僕たちは打合せにかこつけて、出版社のお金を使ってデートをしているように見えたと思う。でも実際は、真面目に小説の話をしていたんだけどね。


 はじめの数か月間、気がつかなかったことがある。岸和田さんはとある野望を持っていたようだ。おっと、この話は長くなりそうなので、回を改めたい。

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