身代金受け渡し日 -1-

 身代金受け渡し日の朝。俺はノラと共にコン家を訪ねた。

 ミミサキ市は今日も相変わらずいい天気だ。ここ数日の様子から実感したが、ミミサキ市は、全国的にも晴れの日の多い土地柄というのは本当らしい。それでも水に恵まれているのは、雨がセイイロ山の頂きに降り注ぎ、清涼な地下水が流れ込んでくるからだ。

 晴れ渡る朝の青空を見上げながら、呼び鈴を押してしばし待つ。

「この後の段取りだが、身代金の受け渡し場所には俺が行って監視をするから、ノラはコン夫妻と一緒に、ここで待機して……」

 ノラへ、次の行動について指示をしている間に玄関ドアが開き、俺は言葉を途切れさせた。セラノかミオリが出迎えてくれると思っていたが、中から顔を出したのは予想外の人物だった。

「えっ。ニシキ課長?」

 目元に笑い皺の入った人好きのする顔を見て、目を瞬く。想像もしていなかった人物の登場に、まず純粋に驚き。次に、何故いるのかという理由が気にかかる。

「やあ、どうもどうも、おはようございます、本庁さん、ノラちゃん」

 ニシキ課長は不気味な程に機嫌が良い。張り付いたニコニコ笑顔を浮かべながら、のんびりと朝の挨拶をしてくる。確かに、今朝ニシキ課長は、まだミミサキ署に出勤してきていなかった。

「おは、よう……ございます。一体こんな所でどうなさったんですか」

 社会人の常識として、辛うじて挨拶だけは返した。しかし、どうしてもニシキ課長の思惑が気になって、問いかけを重ねる。

「ノラちゃんから、本庁さんがダミーの身代金を置くことを考えている、という話を聞きまして、わたしにも捜査のお手伝いができるかなと」

 ニシキ課長の口からノラの名前が上がり、俺は咄嗟にノラの方を見る。彼女は俯いて俺の視線から逃れた。

 なるほど、ノラは俺のことを信用などしていなかった訳だ。

 まあ確かに、俺は今日ノラをコン家に置いて、現場につく前に一人で勝手に身代金をダミーとすり替える気だったので、彼女の判断は間違いではない。

 昨日の話し合いは、結論をはぐらかした形になっていた。お互い様だ。それでもニシキ課長が出張ってくるのは予想外だった。

 ニシキ課長は笑顔を張り付かせたまま、アタッシュケースを差し出してきた。受け取ると、そのズシリとくる重さに中身を察する。

「コン夫妻から渡された身代金です。先程わたしも一緒に、全額揃っていることを確認しました。アタッシュケースにはGPSと、蓋が開けられたら、そのことを知らせるセンサーが内蔵されています。センサーからの通知は、わたしの方で受け取れるようになっていますので。どうです? 役に立ちそうでしょう」

「そう、ですね……」

 確かにありがたいが、逆に言えば、俺が身代金を抜こうとしてもわかるということだ。このまま受け渡し場所に置くしか選択肢はない。

「わたしはこのままコン夫妻とこちらで待機していますので、ノラちゃんも受け渡し場所の監視に回ってもらって構いませんよ」

 「ありがとうございます」とノラが応える。

 俺はもはや抵抗することは諦めた。こんな騙し討ちのようなことをしてでも、贋金を使わせたくないというのなら仕方ない。それに、GPSやセンサーは有用だ。ここは穿った見方はせずに、好意として受け取っておくに限る。

「ノラ、腕出して」

 俺が声をかけると、ピクッと体を反応させたノラは怯えたような眼差しで俺を見てくる。怒られるとでも思ったのだろうか。俺はその姿に、小動物のようだな、などと想起して小さく笑った。

「俺は車を運転しなきゃならないから、このアタッシュケースを持っていて欲しいんだよ」

 穏やかな口調で示しアタッシュケースを差し出すと、ノラは慌てて手を伸ばし、ケースを受け取った。

 俺はポケットから出した手錠をノラの手首に嵌め、もう片方の錠をアタッシュケースの持ち手にかける。こうすれば、万が一途中でひったくり等の盗難にあっても、ノラの手首がもぎ取られでもしない限り、金は無事だ。

「それでは、行ってまいります」

「はい、いってらっしゃい。しっかり頼みましたよ」

 一体何がそんなに嬉しいのか、絶えず笑顔のニシキ課長に見送られ、俺とノラは再び車へと戻った。


 今回指定された、受け渡し場所のショド岬へと車を走らせる。俺は、チラチラとこちらを見てくるノラの視線を感じていた。

「ノラ、言いたいことがあるんだろう」

 俺は前方から視線を外すことなく問いかける。

 ノラは水を向けられてもまだしばらく戸惑っていたが、おずおずといった様子で「怒っていますか?」と聞いてきた。

「別に怒ってなんかいないさ。ノラに信頼されてないようで、ちょっとガッカリはしたけどな。でも、ノラの上司はニシキ課長なんだから、随時報告を上げるのは良いことだよ。GPSやセンサーは本当にありがたいしね。むしろ俺の方からサイチに頼むべきだった」

 別に嘘をついている訳でもなく、俺は素直にそう言えた。

「このアタッシュケースは、サイチさんが用意してくださったものなんです」

「ああ、やっぱりそうなんだ。だったら信頼できるな」

「そうですね」

 しばし会話が続いたが、もちろん盛り上がる訳ではない。再び車内に沈黙が落ちると、ノラはまた小さな声で謝罪の言葉を呟く。

 そんな姿に不憫さが増し、俺は少し考えてから全く別の言葉を紡ぐ。

「俺の、本庁での上司はシンさんって言うんだけど、本当にすごい人なんだ。ノンキャリアで、交番勤務から所轄の刑事になって、実績を上げて本庁勤務になった人でさ」

 ノラの視線が真っ直ぐに俺の方を向く。

「俺にはない経験をいっぱい持っているから、犯人がしがちな行動とか、理屈では説明のつかないこともわかってしまったりする。元々が叩き上げだから、地道な捜査もすごく大事にする。それで、そういう地道な捜査が、いつだって実を結ぶんだ」

 普段からノラは相槌を打たないので、俺は一人で話し続ける。だが、彼女がしっかりと聞いてくれているのは、その空気感でわかった。

「俺はノラのことも本当にすごいと思うよ。その歳で刑事だなんて、それだけでよっぽど優秀なんだと思ったし、実際ここ数日の捜査で、ノラが真面目で、しっかり刑事の仕事に向き合っているのもわかった。だから、俺がシンさんから学んでいるように、ノラもニシキ課長とか、経験のある人から学ぶべきなんだ」

 自分で話していて、いまいち何が言いたかったのかわからなくなってきたが。

「だから、ノラがニシキ課長に、俺の動向を含め、捜査について報告したことは何も間違っていない」

 とりあえず話を結論まで落ち着けて、俺はハンドルを握る手に籠もっていた力を抜いた。話すことを考えているうちに、無意識に強張っていたようだ。

「ありがとうございます、ユージさん」

 小さな声が聞こえ、ちらりとそちらを向くと、ノラは僅かに、だが微笑みを浮かべていた。その様子に、良かったと胸を撫で下ろす。彼女にずっとびくびくされ続けたら、どうしようかと思った。

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