1-7 大魔王

 じいさまのところへ行かなければならない。

 でもレグルスがどうしても気になる。人界を襲撃しに来たのではないと言っていたけど、それならなぜ友人である大魔王を追っているのか。その理由が全く分からない。

 

 ライラヴィラはまずは賢者フォルゲルの元へと、サンダリットへ向けて飛空魔法で全速力で飛んだ。しかし視界が集落を捉えたところで何か壁のようなものに弾かれて、その先へ進むことは叶わなかった。それが賢者の設置した防衛結界だと、魔法術式からすぐに把握する。


 再び背後側の森から轟音ごうおんが響いてきた。火気も落雷もないのに黒煙が高く上り、自然災害ではないのが分かる。眼下に広がるトステルの町人たちもただならぬ災害に気づき、地表は人があふれて騒然としだした。


 ライラヴィラはフォルゲルの所へ行くのは諦めて、飛空魔法で轟音の鳴る方へと向かった。おきなの結界は強固で、反結界術で破るのは時間がかかりすぎる。結界の外に自分やジェイドがいるのに賢者が術を施したのは、おそらくあの未知の存在と対峙せよとのメッセージだろう。


 太い黒煙に近づくにつれ、今まで感じたことのない魔力を感知する。人や魔物、精霊由来の魔力ではない。暗黒から深く渦巻く怨念と殲滅せんめつの衝動。それを発する何かがいるのをライラヴィラは魔眼で捉える。恐ろしき気配の真上に至ると、気を引き締めて地表へと降りた。


 ライラヴィラの視界に映ったのは——。

 

 巨人族タキラのさらに倍以上はあろうかという巨体。

 黒くて長いローブのようなものをまとって無言でたたずむ。

 太くて盛り上がった筋肉の腕と足。

 手足のツメは太く大きく膨らみ、頭には二本の、長いが折れ曲がったツノ。

 ふたつのあかい瞳が何かを探しながら不気味に燃える。

 そして胸元には赤黒く輝く、複雑な紋様が浮かんでいた。

 

 あれが、もしかして『大魔王』ザインフォート?

 ライラヴィラは見たこともない魔族の姿を見てひるんだ。レグルスも魔族だと言ったが、彼とはまったく姿形が違う。


「ライラ? どうしてこっちに来たんだ!」


 ジェイドの張り上げる声が聞こえた。彼はライラヴィラの前方で長剣を構え、厄災の根源と対峙している。


「サンダリットへ入ることができないの!」

「何だって? そうか、賢者さまが村を守るために、周囲一帯に結界を展開しておられるのか」


 ライラヴィラが大声で答えると、ジェイドは失念していたと眉を寄せた。


「仕方ない。ライラ、戦闘の準備を!」

「はい!」


 ライラヴィラは魔導カバンのリュックから、村を出る前にマナリカから受け取った新品の剣を取り出す。余分な荷物は地面に置いて、腰の小さなポーチに治療薬や魔力補充薬だけ入れた。

 剣を構えて光魔力を流してみた。彼女の魔力を受け止めて白く輝き、馴染み具合が良かった。


「準備できました!」


 ライラヴィラが光の剣を構えた、その時——。

 上空から炎の大剣を振り下ろす男が現れた!

 頭にツノがある魔族、レグルスだ。


「ザイン! やっと見つけたぞ!」


 大魔王は胸元の紋章から常闇とこやみの力を幾重もの雷にして、レグルスに打ち付けた。

 レグルスは剣身で大魔王の攻撃を受け止めつつ吹っ飛ばされたが、宙返りしてジェイドのすぐ前に降り立った。


「俺が、あいつを止める!」


 レグルスがジェイドとライラヴィラの前に立ち、森の大地を踏んで宣言する。彼から炎と風、そして闇の三属性魔力が溢れるのをふたりは感じ取った。


「君は魔族なのに、僕たちの味方をすると言うのか⁈」

「あれは、俺たち魔族が敬い従う、大魔王の姿ではない!」


 レグルスは恐ろしき異形を指して怒鳴った。


「あれは、悪鬼アモン!」


 大魔王が三人の方をジロリと凝視した。

 右手を大きく振り上げて、黒い炎の球を作り出して掲げている。


「油断するな!」


 ライラヴィラたちを飛び越える大きな影が動く。

 巨大な槍斧ハルバードを持つ男が黒炎球を打ち抜いた!

 飛び散った黒炎の破片が周りの樹木を一瞬で燃やして黒い灰と化す。

 彼はそのまま斜めに宙返りして、ライラヴィラたちのすぐ横に男は降り立った。

 巨人族のタキラである彼は飛び抜けて背が高く、赤髪の短髪で筋骨隆々だった。


「ディルク! 来てくれたのかっ」


 ジェイドが援軍の登場に嬉々ききとして大柄の彼を見上げた。

 勇者が間一髪で、大魔王が生み出した闇魔力の塊を破壊したのだ。


「ディルク——おまえが勇者か!」


 レグルスは鋭い眼差しで勇者へ首を振り、槍斧ハルバードを大魔王に向ける彼の姿を確認する。


「なんだ、おまえは魔族か! なぜ魔族が勇者こちら側にいる⁉」


 ディルクは体勢は構えたまま緩めず、黒髪に黒いツノが生えた魔族を横目でにらんだ。

 

「ザインフォートは、俺の一番の親友だ」


 レグルスは大剣を構えたまま、大きく息を吐いた。


「俺はザインと約束した。あいつが大魔王になった時に。

 万が一、『闇の深淵しんえん』に飲み込まれて悪鬼アモンになったら……。

 心臓に埋められた『鍵』を壊して、あいつの魂を救うと!」

 

 ライラヴィラはレグルスの言葉が何を意味するのかわからなかった。

 悪鬼アモン、鍵——どちらも聞いたことがない。

 大魔王が厄災の悪鬼と化すのに条件があるなんて、そんなの知らない。

 

 混乱する思考を破って、唯一、大魔王の討伐経験のある勇者ディルクの声が耳に入る。


「約束、魂を救う、だと?」


 理解ができないという困惑の表情でディルクは語り始めた。

 

「代々の大魔王は、魔界ダークガイアを支える力の源である『闇の深淵』から心臓に『鍵』を埋め込まれることで、莫大ばくだいな魔力を供給されて恐ろしき力を得る。

 そして今のように、人界に時折現れては厄災をもたらす。

 大魔王を倒す唯一の手段は、あの胸元に光る紋章『闇の深淵の鍵』を壊すことによってのみ、される」

 

 あの胸元の鍵を壊す、それは二人の言葉に共通している。

 しかしライラヴィラは、ディルクとレグルスの言葉には齟齬そごがあることに気づいた。


「レグルスは大魔王の魂を救うため、ディルクは厄災を退けるため。そう言うけど、何が真実なの?」


 ライラヴィラは目の前に棒立ちのまま動かない大魔王ザインフォートを見つめて、何かが違うと心の奥底で感じ始めていた。

 

「レグルス、ザインフォートのあの姿は、いつもああなの?」


 ライラヴィラは同じ魔族なのに、レグルスとは全く違う姿をした大魔王に疑問を抱いた。


「違うに決まってるだろう! あれは深淵に飲み込まれし悪鬼アモンの姿。元々のあいつは俺より背が低かったし、もっと細くてさ! あんなに筋肉なかったし、魔界の学者なんだよ……あいつ」


 目の前の大魔王の姿からは想像ができない返事だった。


「悠長なこと言ってる場合か!」


 ディルクが怒鳴った。


「前代の大魔王マスティロックは魔族の軍勢を大勢率いてたが、今回はたったひとりで現れた。不幸中の幸いと言ったところだ。しかし大魔王が暴れたらこの辺り一帯は壊滅するぞ! 油断はするな!」


 大魔王は今度は両腕を振り上げ、黒い炎に包まれた拳を組んで、四人の方を目掛けて振り下ろした!


「危ない!」


 ライラヴィラは咄嗟とっさに両手で長剣を掲げ、剣を魔力媒体にして光の防壁魔法シールドを放出した!

 光輝くドームがライラヴィラたちを囲み、大魔王の振り下ろしたこぶしがドームにぶち当たると、ギチギチと全身が震える音を立てる。


「ハァァァァ————ッ!」


 ライラヴィラは魔力を更に上げてドームの厚みを増し、大魔王の両拳を光の壁ではじき返した!

 光のドームから放たれた刃の閃光が周辺の樹木をなぎ倒す。


「何て力だ! ライラにはこんな強い魔力があったのか?」


 レグルスは驚き、魔力を放つ光の女剣士を凝視する。

 ライラヴィラは力を放ったまま、魔力操作に集中していた。


「またライラの魔力が上がったね。レグルス、これが我ら勇者村サンダリットの、『光の申し子』の持つ力なんだよ」


 ジェイドがライラヴィラの力に困惑しているレグルスに告げた。

 



 ライラヴィラは光のドームを解除したが、全身は白光に包まれていた。

 はじき返した大魔王の腕には光魔法の余韻がきらめき、こびりついている。

 ライラヴィラは自らの剣を構え直し、再び剣に光魔力を載せていく。そして大魔王の胸にある深淵の紋章へ剣先を向けた。


「う、ううう……」


 大魔王がライラヴィラの光魔力を帯びた拳を喉元に当てると、今まで無言だったのにうめき声を上げた。


「大魔王? もしかして、話ができるの?」


 ライラヴィラの言葉を耳にしたレグルスが叫んだ。


「ザイン、ザインフォート! 俺だ、レグルスだっ! 今おまえを、鍵の呪縛から解き放ってやる! 俺は約束を果たしに来た!」


 大魔王がレグルスの言葉に反応する。


「レ……グ…………」

「ザイン‼」


 ライラヴィラは揺らぐ悪鬼の様子を見て、ふと思いついた。光魔力を身体に当てた大魔王の様子が変化したということは——。


「レグルス、ジェイド、ディルク、聞いて。もしかすると、あの大魔王を正気に戻せるかもしれない。彼は普通の状態ではないのでしょう?」

「⁈」


 三人がライラヴィラに注視する。


「これからやってみる。この剣を媒体にして、光魔力を大魔王に全力で注ぐ!」

「!」


 ライラヴィラは三人に有無を言う間も与えず、光の剣を両手でしっかり構えて大魔王の深淵の鍵に向け、剣身から光の柱を放って魔力を注ぎ始めた。

 大魔王の全身がライラヴィラの放つ光の柱に埋れる。禍々まがまがしい稲妻を放っていた胸元の紋章の赤黒い色がやや引き、紫がかった部分があちこちに現れた。

 

「レ、グ、……」


 ザインフォートが途切れ途切れに声を上げる。


「ザイン! 俺が、分かるのかっ」


 レグルスの声は震えていた。


「ううっ……私は、深淵の、くうっ、守護者には、れぬ……」


 大魔王はうなりながらも、その場に立ったまま語り始めた。


「わたしの代で、大魔王の呪い、終わらせるという願いっ、果たせず、耐え切ることができず、無念だ……レグルス、すまぬっ、ふううぐぬぅっ」

「謝るな! たまたまおまえが、深淵に選ばれただけだっ」


 レグルスは両手で炎の大剣を握ったまま、その手は震えていた。

 彼の金の瞳からは、涙があふれている。


 一方、ライラヴィラはその身に持てし魔力の限界が近づいていた。


「まだまだ!」


 自分に気合を入れるように声を張り上げ、光魔力を大魔王の胸元に浮かび上がる紋章へさらに流し続けた。

 ——わたしは光魔力を大魔王に与えるために、この場に立ち会うことになったのだろう。

 あの大魔王を、レグルスの友人を、元に戻すために!

 

「そこにるのは、勇者たる者か……わたしは、人界ライトガイアに在りし光を求めて来たが、それは何者かがつかんでいて、辿たどり着けなかった……」


 大魔王ザインフォートは静かに、声を振り絞り語る。


「しかし今、この光……語る機会を与えてくれたことに、感謝す……そこの娘よ……」


 大魔王がライラヴィラに向けて語りかけた。


「そなたは、光と闇の、双方の祝福を、受けし……そうか……」


 ライラヴィラは光魔力を限界まで出したため、もう大魔王の声を聞く余裕すらなく、立っているだけで精一杯だった。

 ライラヴィラが光魔力の媒体として構えている剣も限界を超え、鋭い音を立ててヒビが入り始める。

 しかし他の三人は、はっきりと今の言葉を聞いていた。


「希望が、見え、た……レグ……勇者たちよ、さあ、この胸の鍵を、貫くがいい。それはわたしの願い……」


 その場にいた全員が耳を疑うことをザインフォートは言い出した。


「わたしはもう、正気を保てぬ……今のうちに頼む……悪鬼アモンに、戻ってしまう前にっ」

 

 レグルスは燃え上がりし大剣を震えの止まった両手で握りしめる。

 ジェイドは構えていた長剣に光魔力を流し鍵を見据えた。

 ディルクは巨大な槍斧ハルバードを鍵に向けて光魔力を貯めていく。

 

「そこの、光と闇に愛されし者は、もう限界だっ!」

 

 大魔王の声を合図に、三人は彼の元へと駆けだした!

 

 三人は同時に、大魔王の胸元の深淵の鍵に

 各々の武器を突き立てた……!

 その瞬間、ライラヴィラの光の剣も大きな音を立てて砕け散る。

 ライラヴィラは強い衝撃でその場に倒れ込んだ。

 

 大魔王の肉体が煙のような粒子になり……

 音もなく空気に溶けて消えていったのが見える。

 

「わたしは、魂の園へと、旅立つ……

 妻に……感謝と、新たな……

 ありがとう、友よ、勇者よ。

 そして、光と闇のえにしに、希望を……」

  

 ザインフォートが、最後に魂の声を聞かせて、逝った。

 

「ザイン——! うああああぁ——————ッ!」


 レグルスは彼を討ったあと、その場で泣き崩れた。

 

 

 

 ライラヴィラは力を使い果たして、その場に座り込んだ。

 大魔王を『救うことができなかった』という思いに駆られた。

 何故こんなことになったのだろう。

 

 泣き腫らしたレグルスが、大剣を地面に突き立て、支えにしてゆっくりと立ち上がった。

 ジェイドとディルクも武器を収めて、つい先ほどまで大魔王が立っていた場所を見た。

 

 そこには。

 青紫に輝く、結晶のような『何か』が浮いていた。

 

「何だ、これは?」


 ジェイドがゆっくり近づいていく。


「触るな! それは深淵の鍵だ!」


 ディルクが叫んだ。


「何、だって? 確かに手応えはあったぞ、信じられん」


 レグルスは微かに震えながら、その物体を見つめた。


「大魔王を鍵ごと貫けば、鍵そのものも消滅するはず! 消えないとは、どういうことだ!」


 ディルクはそう叫んで槍斧ハルバードで鍵を壊そうと突きだした。

 それを見て、レグルスとジェイドも自分の武器で鍵を壊そうと何度も強くたたいた。

 しかし、鍵はヒビひとつ入らず、はじき返された!

 

 ほうけていたライラヴィラは三人が何かを強く打つ音に気がついて、力無く座り込んだまま、鍵の方を見た。

 

 ライラヴィラのあかき魔眼と、深淵の鍵の『視線』が合った——。

 


相応ふさわしき者、此処ここにあり〉

 


 魔眼の気配に気づいた三人が振り返った。


「ライラ! 目をつむれ!」


 直感でレグルスが叫ぶ。


「え?」


 ライラヴィラが返事をする間も無く、深淵の鍵が一瞬で移動し——

 彼女の胸元に飛び込んだ。

 ライラヴィラは全身に激痛が走り、気を失ってその場で倒れ伏せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る