1-6 似顔絵

 ライラヴィラとレグルスは近くにあったカフェに入り、ウェイトレスに奥の少し狭いテーブルに案内されて座った。客席は半分近くが埋まっていて、あちらこちらで客の話し声がした。


「あっちに良い席が空いてるじゃないか?」


 レグルスが窓際の広い席を指して眉を寄せた。


「わたし、ダークエルフだからね……まだ店に入れてもらえるだけ良いほうよ」

人界ライトガイアの……いや、ここの連中は見た目でランク付けするのか? 俺の国では見た目など関係ない。強さと、何をしたかの功績が大事だ」

「それは素敵な国ね。レグルスはどこから来たの? そんな国なら行ってみたいな」


 ライラヴィラは気になっていたことを素直に尋ねた。ターバンを頭に巻いた彼の容貌はエキゾチックだが、魔族に似た姿であるダークエルフも受け入れられる国とはどんな所だろう。そんな国が本当にあるのだろうか。


「俺の故郷は火山の連なる国だ。炎と大地の恵みで豊かに暮らしている」

「海の向こうの遠い国かな? 連なる火山って聞いたことがないわ」

「ああ、ずっとずっと遠い。世界の反対側かもな」


 レグルスは遠くを見るような視線で口元に笑みを浮かべ、グローブを外さないままで運ばれてきたカップを手にする。彼の黒髪を思わせる濃さの珈琲コーヒーを静かに飲んだ。ライラヴィラも香り高い紅茶を口にする。彼の話からどんな国なのだろうかと想像を巡らせた。


「それはそうと、やっぱり勇者に直接会うのは無理そうか?」


 レグルスはライラヴィラに端正な顔を向けると、両手を組んで見つめてきた。黒い前髪から覗く金の瞳が真剣であるのを訴えてくる。


「ごめんなさい、あなたを村に招くのはじいさまに止められてるから。でも、勇者の話ならできるかなって思って。それでお茶に誘ったの」


 ライラヴィラはもうひとくち紅茶をすすって本題に入ることにした。彼は黙ってうなずく。


「当代の勇者、ディルクは巨人族タキラなの。背がこーんなに大きくて、巨大な槍斧ハルバードの使い手よ」

「ふむ、さすがは勇者だな」


 レグルスは椅子に深く座って腕を組んで、興味深そうにライラヴィラの話に耳を傾けた。


「ディルクはわずか十八歳のときに、大魔王マスティロックを討伐して勇者の称号を授けられた人なの。勇者になってからは各国から引っ張りだこで、なかなか会えてないけど」

「そうか、ライラは勇者から剣術を教わったのか? おまえの剣筋はなかなかのものだったが」

「剣術は彼だけじゃなくて、村のいろんな人から。ディルクは村のお兄さんみたいなものよ。私より六歳も上だし」

「当代の勇者は一人だけなのか?」


 レグルスは少し身を乗り出した。彼がもっと詳しく聴きたがっているのを察して、ライラヴィラはもう一人の話を付け加えた。


「マスティロックの時はディルクが勇者の称号を授けられたんだけど、その前の女の大魔王のときはシリウスって人が、倒せはしなかったけど魔界へ封印したということで、勇者になったらしいの。シリウスは見たこともないよ。村には全然来ないらしいし、名前だけ聞かされてる」

「では今、存命の勇者は二人なのか」

「そうなのかな? わたしサンダリットで育ったとはいえ、あんまり詳しくないの。あと一人いたような気もするけど、思い出せなくて」


 前の女大魔王が人界に出現した時は、ライラヴィラはまだ幼くて勇者の姿は覚えておらず、名前も合っているのかあやふやだった。

 でも当代の勇者ディルクのことなら良く知っている。共に武芸の基礎訓練をしたし、魔法の練習台になってもらったりで何かと世話になった。自分がダークエルフであることを意識させない相手は極少なかったから、見た目も声も明瞭な記憶があった。


「そうだ! ディルクの似顔絵、書いてみるね。もし会えたら分かるように」


 ライラヴィラは魔導カバンの中に手を突っ込み、ゴソゴソと目的のものを探って取り出した。手にはスケッチブックとクロッキー用の鉛筆。絵を描くのが小さい頃からの趣味で、常に魔導カバンの隅に画材を忍ばせてあった。


 レグルスは危険だと乳兄妹ジェイドには注意されたけど、勇者ディルクなら万が一の事があっても彼には負けないだろう。それに目の前の彼が乱暴なことをするようには思えない。彼を勇者村サンダリットに招くことはできなくても、どこかで彼が勇者に会えたら、彼の友人も見つかるかもしれない。


「描けるのか? それは助かる!」


 目を見開いたレグルスはライラヴィラの手元を見つめてきた。彼の視線を感じつつライラヴィラはスケッチブックを広げる。白紙に『視る力』で記憶にある勇者の姿を映し出し、そこを手にした鉛筆で素早くなぞりながら鉛色で浮かび上がらせた。


「はい、どうぞ」


 ライラヴィラは描き上げるとスケッチブックから紙をちぎり取り、レグルスに勇者の似顔絵を渡した。


「これは……!」


 レグルスは似顔絵をしばらくじっと見つめていたが、自分の腰に下げていた小さな魔導カバンのポーチから一枚の丁寧に折り畳まれた紙を取り出し、広げてライラヴィラに見せた。


「え? これって?」


 そこには黒髪らしき女性の絵が描かれている。

 レグルスはたった今ライラヴィラが描いた絵と並べた。


「絵の筆づかい、かなり似てないか。こっちの絵は誰が描いたのか分からないが、俺が少年ガキの頃に描いてもらった、母の絵だ」


 ライラヴィラには全く身に覚えがないが、確かに自分が描いたと言われても不自然ではないほど筆致ひっちが似ている。


「わたし、覚えがないわ。でも、わたしの描き方にそっくりね……」

少年ガキの時に俺の母は病で亡くなってな。当時どうしようもなく寂しくて暴れてたのを覚えてる。その時にきっと誰かに貰ったんだろうな。俺はこの絵を心の支えにして、剣術に学問にと励んだ」


 ライラヴィラは彼が尊大気味な態度とは裏腹に、真面目に頑張る人だったのだなと感じた。だからこそ精霊の森で巧みな剣術を見せたのだろう。炎の大剣をふるう彼はまるで異国の王者のようだった。


 ふたりが座っていた喫茶店の隅の席に、ウェイトレスが注文してないサイダーを持ってきた。


「頼んでないですよ?」

「あちらのお客様からです」


 ウェイトレスは窓際の広いテーブルを示した。

 そこにはライラヴィラたちに手を振る男が一人で座っていた。金髪碧眼で中肉中背、誰もが美男子と言うであろう風貌の人間族ヒューズ、乳兄妹のジェイドだった。こちらをいぶかしげに眺めている。

 ライラヴィラとレグルスはウェイトレスの案内で、彼の座っているテーブルへと移動した。


「ジェイド、あのねっ!」


 ライラヴィラはレグルスと会っていたことを、彼にどう言い訳しようかと思考を巡らせる。いつの間にかジェイドはこちらをうかがっていたのだろう。いつもならすぐ人から向けられる気配に気がつくのに、レグルスとの話や絵を描くのに集中していて気がつかなかった。


「まずは座って、ライラ。そして君も」


 ジェイドに促されてライラヴィラは椅子に座った。しかしレグルスはそばには来たが座らない。


「いや、俺は邪魔だろうから、そろそろ出る」

「君にも話がある。友人だと聞いた『ザインフォート』のことで」


 ジェイドが鋭い視線をレグルスに向ける。凍りつく視線を目の前のふたりが交わしているのにライラヴィラは不安に駆られた。何があるのだろうとジェイドに問いかけた。


「彼の友だちが、どうかしたの?」

「ザインフォートの名を口にできるのは、賢者様とトラヴィスタの国王陛下、騎士団長、そして勇者と一部の勇者候補者だけのはずだ」


 つまりその名は機密事項である、そうジェイドは伝えてきた。ライラヴィラはもちろん聞いたことがなく、珍しい名だと思いつつも普通にレグルスの友人だとしか考えてなかった。

 レグルスは無言で手にしていたライラヴィラが描いた絵をしまい込むと、カフェの出口へと足を向けた。


 その時、地鳴りが響いたかと思うと、建屋が大きく上下に揺れて窓ガラスが何枚も割れた。客席から悲鳴が飛び交う。


「来たか!」


 ジェイドが慌てて立ち上がる。ライラヴィラも席を立つと、レグルスは既に外に出ていて、窓の向こうで上空をにらんでいる。テーブルに飲み物の代金を多めに置き、彼を追ってふたりは急いで外へ出た。

 

 ジェイドが駆け足でレグルスの前に立ち塞がり、腰に下げていた長剣を抜いた。


「ザインフォートというのは、当代の魔界の大魔王の名だ。その名を口にできる君は、魔族!」


 ——大魔王、人界に度々襲来する邪悪な存在。魔界から現れし冷酷な悪鬼。


 ライラヴィラの脳裏に八年前の厄災の記憶が蘇る。

 勇者ディルクが血まみれで帰還した時。

 あちこちの集落が焼かれて真っ赤に染まった空。

 魔物があふれ暴れ回り、害されてしまった人のひつぎが並んだ広場。


「魔界に潜入していた、勇者ディルクからもたらされた情報だ。そしてその大魔王が魔界から姿を消したと、密かに国家を超えた伝令があった。ディルクも、僕も、賢者フォルゲル様も既に動き始めてる」

「そ、そんな!」


 ライラヴィラの心臓の鼓動が跳ね上がる。今まさにそれが起ころうとしていると戦慄せんりつに襲われた。大魔王と魔族たちが人界を滅ぼさんと大勢攻めてくる光景が思い浮かぶ。


「ああ、俺は魔族だ。ただ俺は人界を襲撃しに来たわけではない」


 レグルスは頭を覆っていたターバンを外した。

 そこには黒くて立派な、闘牛のようなツノが二本生えていた。それは魔族の証。

 彼に闇魔力があるのは自然なことだったのだ。魔界に住まう魔族だから。彼の口から語られた遠い国のことは、おそらく魔界のことだろう。


「こっちにはこっちの事情がある。ライラ、さっきの絵、ありがとな」


 レグルスは魔力媒体となる武器類は何も持たずに飛空魔法で飛び上がった。


「待て! 大魔王に加勢はさせない!」


 ジェイドが叫ぶ。

 しかし瞬く間に彼の姿は遠ざかり、見えなくなった。

 ジェイドは舌打ちすると、ライラヴィラの両肩に両手を乗せた。


「ライラは賢者様に報告しに村へ戻って。大魔王ザインフォートの襲来と、魔族が加勢に来たと」


 大魔王の襲来。それこそが賢者フォルゲルの言った「時が来た」の意味するところなのか。それを告げられた時におきなから闇魔力を戻されたことがライラヴィラの脳裏に浮かび上がる。


「ジェイド、昨日ね、じいさまから術を施されたの」


 ライラヴィラの言葉にジェイドは目を見開く。


「そうかっ、今回は……ライラの力が必要と判断されたんだな」

「わたしの力? 昨日の術は、その、わたしが生まれた時にあった、闇の精霊との契約を戻すって、言われたの……」


 彼に翁の禁忌の術を打ち明けた。


「僕は闇魔力については詳しくは知らない。でもライラ、それは今必要だからこそされたんだと思う」


 そしてジェイドが断言する。


「新たな大魔王との戦いが、再び始まる」


 長剣を抜いたまま飛空魔法を纏ったジェイドは、ライラヴィラをその場に置いて飛び立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る