第14穴 思い出にほだされて

 亮一の嘘は続いた。後ろめたさが少しはあるのだろうか、家族といる時はやけに明るく、口数も多かった。聞いてもいないことをやたらと詳しく話したりもするのが、逆に怪しかった。

 

 久しぶりに家族でドライブがてら、フラワーパークに行くことになった。彩也子が助手席に座り、亮一に「ナビ入れて」と言われたので、カーナビの画面を操作した。目的地のボタンをタッチし、名称を入力しようとした時、他の指で履歴のボタンを触ってしまった。

『佐野駅南口』『ホテルニュー鬼怒川』『日光東照宮』・・・・・

 彩也子の指の動きが止まっているのを見て、名称入力に戸惑っていると思った亮一が「で出るんじゃない」と言いながら画面を見た途端、明らかに慌てた様子で「あー、えーと、俺が入れるよ」と履歴の画面を消した。

 彩也子は全身の血が逆流したかと思うほど頭に血が上ってめまいすらしたが、子どもたちの手前、何も気付いてないふりをした。

 目的地に着いても、彩也子は平静を保つのが精一杯で子どもたちに笑顔を向けることさえできないほどだった。亮一は、あっちに行こう、こっちに行こうと子どもたちを率先して楽しんでいるふりをして、彩也子との距離を取っているが見え見えで、余計に彩也子を苛立たせた。

 中学生になっていた長女は、そういう微妙な空気を読むのが早かった。さりげなく彩也子のそばに来て、

「ママ、今日笑ってないけど大丈夫?」と聞いてきた。それだけで彩也子は涙がこぼれそうになったが、子どもに余計な心配をさせたことを恥じて、

「ごめんごめん、大丈夫。ちょっと今週忙しかったから、疲れてるだけ」と、ごまかした。


 その日の夜。遊び疲れていつもより早くに子どもたちが寝た後、一日中、彩也子を気にしていたのと無理にはしゃいで子どもの相手をしたのとで、ぐったり疲れてソファーでうたた寝していた亮一の肩を、彩也子がパンッとはたいて起こした。

「びっくりした~。なんだよ」

「よくそんな平気な顔して寝てられるわね」

「何が」

「カーナビの履歴、見たでしょ。いつ、誰とどこに行ってんのよ!一番最初に出てくるくらいだから、先週の出張だとか言って泊って来た時でしょ!」

「違うよ」

「スマホ、貸して」

「何が」

「何が何がって、分かってんでしょ?スマホ貸しなさいよ」

 亮一は、しぶしぶスマホを彩也子に渡した。

「ロック解除して」

 言われるがままロックを解除した。もう観念するしかなかった。彩也子が、写真やメールをすごい勢いでスクロールしていた。亮一は、怒鳴られるのを覚悟で俯いていたが、彩也子は大きなため息をつくと、力のない声で言った。

「子どもたちに、恥ずかしくないの?こんなくだらない人が父親なんて、かわいそうで仕方ない。怒る気力すらなくなるくらいくだらない。バカみたい。みっともない。こんな人のために、いつもいつも我慢させられてる私、惨めで泣けてくるわ」

 彩也子の静かな怒りは、怒鳴られるよりずっとこたえた。

「・・・ごめん」

 亮一が謝って、その日は終わった。


 しかし、彩也子の怒りは治まるはずがなかった。亮一が謝ってきたことで、今まで気付かぬふりをしてきた数々の嘘が、真実として突きつけられてしまい、余計に傷ついていた。

 子供二人を連れて別れても、実家には帰れない。でも、とてもこのまま何事もなかったように元通りの生活もできない。彩也子は、離婚までの手順や手続き、慰謝料、財産分与の仕方まで、ネットで調べてみた。しかし、女側ばかり、あまりの手続きの多さと不利な条件に、現実問題として今の彩也子にそれを一人で全部こなせる気力と自信がなくなってしまった。

(はぁ・・・)

 ため息しか出なかった。それでも、やはり彩也子の怒りが治まっていないことを知らしめるために、子どもたちが休みの時にプチ家出をしようと決めた。

 とりあえず、敢えて亮一に気付かれるように簡単に荷物をまとめておこうと、家出の準備をしながらクローゼットを片付けていた時だった。引き出しの奥から、結婚する前の亮一との写真や手紙の束が出てきた。

(この時に別れとけばよかったのに!)自分の愚かさに腹が立ち、思い出の束をぶちまけた。悲しいかな、ぶちまけても片付けるのもまた、自分だった。

 片付けながら、目に入る写真や手紙の一文に、彩也子は泣けてきた。

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・」

 もちろん、喧嘩の原因は亮一が作った。それでも、離婚まで考えるほど嫌いになるなら、なんで結婚なんかしたんだろう。楽しかったからだ。親から離れたいから、結婚を考えてくれる人ならだれでも良かったわけではない。親から離れたかったのは事実だが、結婚するからには、多少なりとも好きという気持ちがなければできない。そんな気持ちがあったのに、現状は、なんなんだ。

 彩也子は自問自答を繰り返した。


 その日の夜、寝室に入った亮一は、電気もつけずカーテンも閉めずにベッドの縁に力なく座っていた彩也子を見た。

「・・・大丈夫か?」

「大丈夫なわけないでしょ」

「謝ったじゃない」

「謝って済む問題じゃないし。こっちの気持ちは治まってない」

「悪かったよ。だけど、子どもにばっかりかかりきりで夫婦らしいこともなくなってたし、彩也子は疲れてるって言うし」

「私のせいだって言うの?」

「違うよ!ただ俺だって男だから、そういう、さ」

「そんなことで⁈」

「全部がそれじゃないけど。俺だってほんとに言い訳はできないし、反省してる」

「・・・私だって、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって、考えてた。楽しかっただけなのにって」

 すると、亮一はクローゼットの引き出しの中からゴソゴソと何かを取り出した。

「これ、覚えてる?」

 最初に勤めた会社にいた時、残業続きでバテバテになっていた先輩の亮一に、彩也子がふざけて『24時間、戦いましょう!1!2!3!ダーッ!!』とラベルにメッセージを書いて渡した、栄養ドリンクだった。

「・・・え、飲んでなかったの⁈」

「嬉しかったからさ。彩也子が初めて俺にくれたものだったから、もったいなくて飲めなかったんだ。だから、ずっとお守り代わりに大事に持ってた」

「何それ」

「今、飲もうかな」

「もう腐ってるでしょ」

「・・・俺から言うのもなんだけど、もう一回ちゃんとやり直そう。この前のことはほんとに、ごめん」

「・・・わかった」


 その夜、久しぶりに彩也子は亮一の横で、一緒に眠った。


 蟻も休息をとった。堤から離れることはなかったが。








 

 


 

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