なまはげ失格

鈴木松尾

なまはげ失格

 恥が多い生涯を送って来ました。

 ボクには人間の生活というものが、見当たらないのです。ボクは東北の田舎に生まれましたので、そういう意味では確かに、寒くなるとやはり普段よりは口数が少なくなりますし、また方言というのもあります。ただ、ボクには誰かの言葉がしっかりと聴こえていてもその意味するところをたまに間違うのです。ある意味、人間失格です。致命的なのは、人間の生活をまともに送るのに必要な、言葉の曖昧さや中間の領域、書き言葉で言うところの「行間」を見失う、のです。だから本当はあの時、姉さんと母さんと一緒に東京に行くべきだったんです。

 とはいえ、言葉と気持ちは裏腹です。例えば、夏、素潜りの後、防波堤で正兼まさかねと二人語りしている途中でそろそろ帰るかと、立ち上がった場合、どちらかが「押すなよ」と言えば、これは「押せ」ということだし、お盆の頃、彼女に「好きです」と告白した返しが「ありがとう」だったら、それはありがたくない事だったということです。けどこれは振られたって事ではないです。「冗談です」とその後に付け加えたので、なかった事になっているはずなんです。

 話を元に戻すと、高二になっても宿題を出してくる村木を覚えていますか?ボクは文系だし数学は得意だけれど、倫理で試験に出る範囲を覚えなくてはならなくて、数学の宿題を後回しにした上で、最終的に丸写しで提出する事がよくありました。すると、何回かに一回は村木から呼び出されてこう言われます。「絶対怒らないから正直に言いなさい」という村木の申し出が裏腹なのは共感できるでしょう?

 人の言葉は難しくて、話を聞けば聞くほど分からなくなります。こないだ村木が「来月のどこかの日で数学の抜き打ちテストがあるから勉強を進めておくように」と九月の終わり頃、言ってたから、正兼と話していつテストがあるか日を当てようってことになりました。姉さんはいつになるか分かりますか?正兼は考えも無しに11日って予想していた。平日を分かりやすく意識させるためだと言っていました。今年はオリンピックがあったからスポーツの日は七月に変更になったのだけれど学校のカレンダーは11日が休日扱いになっていたから、登校を忘れさせない為にそうするんじゃないかって言うんだけど「抜き打ち、だから」と一蹴しました。忘れる人は忘れる。忘れたい人も忘れる。

 ボクは推理した結果、抜き打ちテストは無い、と予想しました。姉さんはなんでか分かりますか? 抜き打ちテストと言うからには突然である事がその名称から必須条件であるので、名は体を表すと言うし、31日にテストはない、と予想しました。だって、30日の時点でテストがなければこれはもう明日31日しかテストをする日がないって事だから、突然、にならない訳です。これで31日にはテストがないことが確定になります。すると、31日にないなら30日にもないって事にもなります。面白くなってくるところです。31日になくて、もし29日までテストがなかったら、30日にテストするしかないからです。30日にテストするのがバレてたら抜き打ちテストにはならない。同じ推理です。これで30日もテストがない、で確定です。ここまでで既に二日間、30日と31日はテストがない日で確定となります。ただ! そうすると29日についても、28日までにテストがなければ29日にテストするしかなくて、抜き打ちにならないし、27日までにテストがなければ28日にするしかなくて、それは「突然」にならない、故に27日も26日も25日も…1日も、どの日でも抜き打ちでテストはできない、という絡繰りです。前提として土日は学校がない、というのもあるし、村木はよっぽど数学を勉強させたかったに違いないけど、テストを作るのは面倒だった、ボクはそう睨んでいました。結果としてはテストは12日に有った。65点も取れなかった。50点も取れない。30点でした。

 ボクは大激怒した。正兼も同調した。正兼もボクの予想に乗って九月は朝の勉強をサボって波乗りに行ってたから、まるで勉強はしていなかったんだ。一緒に職員室に行って、抜き打ちテストがないことの詳細を証明しようと思ったら、自由に書いて良さそうなカレンダーがなくて、一旦、正兼を村木の所に待たせておいて、ボクは三分で戻る、と言って教室のカレンダーを取り外して向かうつもりだった。ただ、取り外したカレンダーを教卓に置いて、村木への説明用にシミュレーションしてみたら行く気がなくなった。ヤバいことに気付いたんだ。けど、行くって言ったし、まぁ正兼にはボクの理論を教えといたはずだから、ボクが居ない間に村木に説明して途中で気付くか、村木にこのヤバ目のポイントを論破されて、マウンティングされているか、どちらかのはずで、ならボクが行っても行かなくても同じではないかと思うと、鼻でもほじって待つことにしようかと決めていたんだ。けどアイツ泣いてしまうかも知れない。高校で「泣く」っていうのは小学校で、男子トイレの個室に入るぐらいのダメージを覚悟しなくてはならない。アイツはバカではあるが、いい奴でもある。アイツあってのオレ。オレあってのアイツ。アイツの物はオレの物、オレの物はオレの物。あ、これはアイツが何か探し物をしてる時だけね。正確には当事者意識というか、その、アイツがオレでオレがアイツで。そういう気持ちでカレンダーを持って向かった。


「事前にテストの日を言わないってことだよ、抜き打ちは。抜き打ち自体を前もって言わない選択肢も先生には有った。これで納得してもらえるかい?」


正兼は何にも話していないようだった。


「いや、そうですが、それだと抜き打ちにはならないですよ」

「じゃあ次からは言わないことにしてもいいけど、それで君達は最終的に得するの?」

「得しません。でもボクらの考えの正しさを先生に伝えたいんです。損得ではないんです。これは感性からほとばしる思考の問題なんです」

「じゃあ、ここでは土日に学校はないという事は前提から外して考えよう。その方が君達も分かりやすいだろう?」

「はい」

「君達が考えそうなのは、抜き打ちという条件を実現する為には、31日にテストは行われない、という仮定をして、それが正しいならば自動的にどの日にも行われない。抜き打ちが実現しないから、という考えかな?」


読まれているということはこれは死路だ。相づちしないで、秒で別理論を当てよう、と幾通りか、時間稼ぎ用の理論も含めて、計算している間に正兼はうなずいてしまった。村木はイヤなやつではない。姉さんもそれは知ってるよね。イヤな言い方もしない。行くと割りと歓迎してくれるタイプのやつだ。けど負けるのはイヤだ。どっちにしても負けるんだけど、早く負けたくない。後ほど、手こずった感を相手が持ったぐらいで負けたい。いつか負けるなら。


「まぁそうです。ただ先生が言うことも分かります。分かるというか、先に言います。先生が説明することを」

「聞くよ。言ってみて」

「こうです。例えば29日までテストをしないで、30日か31日にテストをしたら抜き打ちにはならないか? と。同じように30日にテストしないで31日にテストをしたらそれでも抜き打ちにはならないか? と。抜き打ちは実現すべき条件であるのが正しいと本当に思っているか? と」


まだだ。


「それは占い師が言う『当たる占い』に似ていないか。私が占い師であれば『今までこういう人のこういう事を的中させてきた。だから私に信を置いて欲しい』と言います。お客から『本当に当たるんですか? 』と聞いてくれば『今までどれも的中しています』と言います。それが仮に事実であるとして、私、占い師が言える最大のセールストークがそれであり、そこまででもある。もっと言うなら、しかしそれを言うと信頼を得るためのセールストークとして成立しないが、『今までは当たった』『これからは分からない』のである。短く言うなら、それはそれまでの話であり、長く言うなら、その実績が先の未来を確定事項として言い当てる根拠にはならない。偶然で連続で当たったからといってそれがこれから先も当たることを確定にする条件にはなり得ない。偶然とはそういうものであり、確率と可能性、見通し、希望的観測、に近い話だから、占いとはまやかしなのである」


まだまだ。


「ただ、まやかしに善悪を述べるとしたら、それはそれぞれの主観の問題だ。本件もこの事案に共通点がある。抜き打ち、とは主観の問題、特に事前に案内した抜き打ちはもはや個人の感想に近い言葉になる。31日に行われる抜き打ちテストは30日授業終了後にしか分からないままだ。仮に『来月内に抜き打ちテストをするかも知れない、しないかも知れない』と言った場合はどうだろう。これは31日までドキドキだ。やらなかったらラッキー! 早く帰ってVRやろうぜ! 失敬。抜き打ちテスト、というのは事前にいつテストをするか伝えない、という意味であり、抜き打ちという言葉は性質である。条件ではない。抜き打ちという言葉は前後の単語との関係、文、文章の中でどういう意味か。これをわきまえない限り正確な推理は不能。通称『行間案件』であったのだ、本件は。言葉が持つ性質、いわば鮮度は日を追う毎に下がり、31日にはその質に数量を仮定するならば、それは0であるだけで、0は絶対に無価値という事ではない。0は0だ。30点は30点であるのと同じだ」


正兼だ。


「そしてそれは追試を意味する」

「そうだ」


ボクだ。


「追試の日程が決まったら教えてくれ給え」

「謹んでお受けする」



「追試はないよ。期末で挽回するしかないね、二人とも」


オワタ。


「簡単に付け足しておくけど、抜き打ちの意味を取り違えてるんだよ、二人とも」


もういいのに。


「確かに29日の時点でテストしなくても30日と31日のどちらかにテストをするか君達には分からないから、もし30日にテストをしたら抜き打ちになる。ここまでは同じ考え」


31日も同じでしょ。


「問題は31日にテストがあった場合の説明。ここは間違えている。君達は30日までテストがなければ31日はない、と当初予想して、したがって今月はテストがない、とした。それなのに、31日にテストがあったら、それは抜き打ちにならないか? 二人とも」


よく分からないけど、こっちの動きを読んでいたって事か?どちらにしてもボクらの点数が上がる訳でもない。満を辞した主張も最後に返されてしまった。悲劇だ。人間の生活はときに悲劇であり不可逆である。正兼はこちらの理論に乗る側であったにもかかわらず被害者顔でしきりにこちらのお弁当を牽制している。


「やるよ。それで終わりね」

「じゃあ絞ってやるわ」

「ちょいちょいちょい、きみ」

「何」

「いくらきみとボクの仲だとはいえ、それは段取りを踏んでいないな」


半ば自動的に、理性や感性、総じて思考を働かせる訳でもなく、唐揚げを見ればレモンを掛ける、だって自分これから食べるんだから、の輩は一定数どころか多数派なんじゃないかと思います。正兼は多数派だった。だから言葉の意味を説明しました。


「レモンを掛けて良いですか? って事でもないの、分かる?」

「分からない」

「きみとボクの仲なら掛けて良くないときはイヤだって言えるけど村木の家で唐揚げ食べるときに村木が『レモン掛けるけど、いいよね? 』って言ってきたら『はい』しか言えないだろう」

「お前なら『イヤです』って言えそうだけど、唐揚げにレモン掛けないやつっているの?」

「同性愛のやつっているの?」

「いるよ、今は割りとオープンになってきたんだぜ」

「同じ事なんだよ」

「じゃあ何て言えばいい?」

「レモンあるね、とかレモンある?とか」

「レモンある、って何?」

「確認」

「何の確認?」

「レモンが有る事についてきみとボクが共有する事の声出し確認」

「『火、止めた』みたいなやつ?」

「そう。自分への確認。自分を確認」

「そんな事する必要あんの?面倒だよ」

「いくらきみとボクの仲でもできる事とできない事がある」

「こっちのセリフだね」

「起きた事は元に戻せないんだよ」

「もう食べたいなぁ」

「きみが掛けたレモン汁は唐揚げから取り除けないのである」

「俺のレモン汁が悪い事したなぁ」

「妙なところを省くと飯が不味くなるのである」

「代わりにやるよ」


と言って正兼が持っていた大きめのおにぎりを半分に分けてボクにくれた。いらないし、あったかいし。

 ボクの生涯、つまり高校生活はこんな感じです。本当は、中秋の名月の夜、彼女に「月が青いですね」と言ったら「あの時から今も止まることなく時は進んでいるよ」と言われて、こちらが死にそうになっていたので毎朝、波に乗っていたんだ。だから勉強なんてする気も起きなかったけど、東京と比べても秋田にすごい大学があるらしく、寮もあるみたいで、推薦入試を考えるとあの抜き打ちテストはちゃんと取り組むべきだった。そしてこれも村木から教えてもらったんだけど、もしかしたら二十歳になったときに希望したら、なまはげにも成れるみたいです。彼女が住む所のなまはげに成りたい。会う、というか家に上がる大義もできるし、その頃まで続いているか分からないけど。「さくらはいねがー!」って叫んで呼んでも許される。ただ、これではなまはげとしても失格か。


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なまはげ失格 鈴木松尾 @nishimura-hir0yukl

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