第40話 イネッサ・アンダーウッドにおまかせを②
皇都へ向かう馬車の中で、私は仕事の資料を読み込んでいた。
最近では、私の手掛けたアナスタシアのティーサロンを見た商人や貴族から、空間演出やインエテリアコーディネートなどの相談を受けるようになった。
はじめは、男性――それも貴族や名うての商人――の相手を自分ができるのかと尻込みしていたが、アナスタシアを通じて、オルガさんやエドワードさんと話すうちに、私の中の男性に対するイメージも随分と変わった。
いまでは、あの内気なイネッサ・アンダーウッドが、男性相手に堂々とインテリア談義をするまでになっている。その変化に一番驚いているのは、私自身であった。
「うーん、ここはもう少し、採光窓を増やしたいわよねぇ……」
馬車の揺れをものともせずに、慣れた手付きで図面に注釈を書き込んでいく。
周りのデザイナーやコーディネーターに合わせようと、難しい書式や専門用語などを気にしていたころもあった。
しかし、相手に自分のイメージを伝えるには、何よりもまず自分のイメージがしっかりとしていなければならない。そう気付いてからは、自分がわかりやすいように図面に細かく注釈を入れていくスタイルに落ち着いたのだ。
もちろん、専門用語や業界の慣習なども少しずつではあるが……勉強中である。
§
商談の相手はタイレル子爵だ。
タイレル家は陶器商から成り上がった新興貴族で、現当主のディノス・タイレルは、昨年、家督を継いだばかり。まだ二十代も半ばと若く、事業を広げようとやる気に満ちあふれている。
子爵は、昨今のティーサロンブームにあやかろうと考えているらしいのだが、他店との差別化を図りたいと相談があった。
私に話を持ち込んだ時点で、子爵が新しいものに対して柔軟な考えを持っていることがわかる。これが考えの古い商人や貴族の場合、女性に仕事を頼むことを恥だと思っている人が未だに多くいるのだが……でも、私は気にしない。遠からず、そんな時代遅れな人達は淘汰されていくはずだから。
差別化と聞いて、すぐに皇都中にあるティーサロンの内装を思い浮かべた。
どれも個性的で良いサロンだ。中でも、アナスタシアの『サロン・グラツィオーゾ』は大成功を収めている。だが、アナスタシアのサロンが成功を収めた陰には、暗黙の了解として、名門ヴィノクール家という看板があったのも事実だ。
サロン運営においてメインターゲットである
現にアナスタシアがヴィノクールの名を失った時、サロンでは閑古鳥が鳴いていた。しかし、亡き父であるアキム伯爵が皇帝陛下を救ったことが公になり、状況は好転した。アナスタシアは、表向きはアンダーウッド伯爵領のセルディア荘園を管理する荘官だが、皇帝陛下の寵愛を受ける特別な立場を得ることになったのだ。
現在、サロン・グラツィオーゾはキーラが買い取っているが、男爵家のキーラが順調に運営を続けていられるのは、本人の努力と、アナスタシアという見えない加護があるからに他ならない。
では、家格が劣る者はサロンを運営できないのだろうか?
私は違うと思う。
家格の上下を語るのが無粋だと納得させるだけの「何か」を用意すればいい。
上流階級層も人である以上、話題の物やサービス、楽しそうな場所、居心地の良い空間は、何かと理由を付けて通うようになるはずだ。
サロン・グラツィオーゾも、劇場跡という希少性と抜群の立地があった。
立地に関しては、アナスタシアの先見の明に感服せざるを得ないが、あのU字カウンターは、私の出したアイデアでもかなり自信があったもので、実際にその評判も良かった。
要はバランス、家格だけでも駄目、内装だけでも駄目、演出だけでも駄目だ。
全体のバランスを俯瞰しながら、いかにクオリティを高めるか――それに尽きる。
タイレル子爵から事前にもらった図面を見ると、店内は正方形に近い間取りで、恐らく席数を稼ぎたいのだろうという考えが透けて見えた。
たしかに商売をする上で、席数は重要な要素だが……どうしても皮算用に陥りやすい罠がある。そもそも、客の回転数を意識する商売ではなく、ティーサロンは空間を売る商売だ。
窮屈な店に二度目はない。
店に通うこと自体がステータスとなるような、社交場としての価値を高めるべきだ。
「どうすれば価値が高まるのか……」
ペンを口元に当てながら、考えを巡らせる。
新興の子爵に家格の恩恵はなく、むしろ足かせになるだろう。
子爵は陶器商か……。
商売で爵位を持つまでになったのだ、商人層の人脈はあるはず。
ならば、狙うのは
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