第2話 名門貴族家の末路

 翌日、まだ朝霧が立ちこめる中、私はトリノ男爵の屋敷に馬車を走らせた。

 もちろん、兄には内緒だった。

 果たして、男爵が私の話に耳を貸すかどうか……。


 陽が昇りきった頃、男爵の屋敷に着く。

 御者に手を引かれ、馬車を降りると見慣れぬ若い男が出迎えてくれた。


「これはこれは、ヴィノクール家のご令嬢とお見受けしますが?」


 黒髪に黒い瞳とは珍しい、随分と若く見える……身なりも悪くない。

 だが、礼儀はなっていなかった。

 ヴィノクールの名を自ら出しておいて、先に名乗らないとは貴族ではないのだろうか。


「あなたは?」

「ああ、申し訳ございません、あまりの美しさに見惚れてしまい、名乗ることすら忘れておりました。無作法をお許し下さい」と、恭しく礼を取る男。


 危ない危ない、思わず吹き出しそうになってしまった。

 今時、このような台詞を言う男がいたのかと思ったが、私は長い間、社交界からは遠ざかっている……案外、こういうのが今の流行なのかも知れない。


「僕は海を渡った東方のえんという国から来たカイといいます、しばらくトリノ卿のもとで商いの勉強をさせていただいております」

「燕……、確か四方を海に囲まれた国ですね。多くの神が住まう国だとか」

「なんと⁉ 燕をご存じで! いやぁ、光栄です、さすがヴィノクール家のご令嬢ともなると教養がお有りだ!」

「申し遅れました、ヴィノクール家のアナスタシアと申します」

「改めまして、カイと申します、以後お見知りおきを」と、爽やかな笑顔を見せ、言葉を繋ぐ。

「アナスタシア様、よろしければトリノ様の元へご案内させていただけますか?」

「ええ、助かります」

「では」


 カイの案内で、トリノ男爵の待つ応接室に向かう。


「いやはや、トリノ男爵の人脈には驚かされます、先日はウィリアム皇子がみえたと思えば、次はヴィノクール家のご令嬢、とても一介の男爵とは思えません」

「まあ、皇子が」 


 微笑を浮かべたまま、自分の耳を疑った。

 ウィリアム皇子がなぜ……まさか⁉

 

 嫌な予感がする、これはもう私などの手に負える話ではないのかも知れない。

 私は不安を振り払うように、カイに話しかけた。


「カイ様は、こちらで商いを学んでいると申されましたが、何を扱っておられるので?」

「私などに敬称は不要です、どうぞカイとお呼びください。今は木綿です、いずれは燕の生糸や麻などをこちらで売りたいと考えております」

「まあ、それは素敵ですわね。もし、お手伝いできることがあればおっしゃってくださいね」

「本当ですかっ⁉ いやぁ、グレイリノで頼れるのはトリノ卿だけでしたから、そう言っていただけると本当に心強いです! 何卒、その際はよろしくお願いします!」


 社交辞令のつもりだったが、カイは大層喜んで深々と頭を下げた。

 好感の持てる男だが……まだこの国に来て日が浅いのだろうか。


 燕という国ではこれが普通なのかも知れないが、ここまでの低頭は家臣でもない限り不要だし、逆に軽く扱われてしまう恐れがある。

 私は余計なお節介だと思いながらも、カイにそれとなく忠告をした。


「カイ、そこまで頭はさげなくても十分、あなたの誠意は伝わります。それに、この国では逆に軽く見られてしまうこともあるかも知れませんから」


 ほんの一瞬、黒曜石のような瞳が揺らめいた気がした。


「……アナスタシア様はお優しい御方ですね。もちろん、それについては私も存じております。先ほどのは……感謝の表れとでもいいましょうか、お気遣い感謝いたします」

「そうでしたか」


 やはり、余計だったようね……私の悪い癖だわ。

 そうしている間に応接室に着いた。


 扉は開放されていた。

 部屋の奥にはソファから立ち上がるトリノ男爵の姿が見える。

 私は目で挨拶をしながら部屋に入った。


「これはこれは、アナスタシア様、ごきげんよう」

「トリノ男爵、突然の訪問で申し訳ございません」

「はっはっは、何をおっしゃいます、アナスタシア様の訪問ともなれば、本来はこちらがお迎えに上がるべきところを……ささ、どうぞ」


 トリノ男爵は大きな腹を揺らしながら、ソファに手を向けた。

 私が腰を下ろすと、カイが私に微笑みかけてきた。


「では、アナスタシア様、ごゆっくり……」

「ありがとうございました」と笑みを返すと、「トリノ卿、僕はこれで」とカイが立ち去る。


 ――ん?

 今、カイは会釈すらしなかったが、トリノ男爵は頭を下げた。

 おかしい、たとえ客分にしても、今のトリノ男爵の態度は、まるでカイの方が立場が上に見える。男爵の元で商いを学んでいると言っていたはずだが……。


「ところで、本日はどのようなご用件で?」


 ハッと我に返る。


「ええ、その……実は鉱山の件で折り入ってお話がありまして」


 トリノ男爵は糸のような目をさらに細くする。


「ええ、ええ、その件でしたか。カイル様には本当に感謝しかございません、あの鉱山の再開発は私どもの悲願でもありましたから……カイル様がお助け下さるとおっしゃっていただいた時はもう天使が舞い降りたのかと、このトリノ、一生を掛けてこのご恩に報いようと誓いましてございます!」


 トリノ男爵は大袈裟にカイルを褒め称えた。

 恐らくわざとだろう、私に契約破棄を言わせないためね……。


「その件ですが実は――」

「いやぁ、さらにこの件にはウィリアム殿下も大層お喜びになりまして、先日などカイル様こそ王国貴族の鏡であるとの仰りようでございました」


 ――やられた。

 先にウィリアム皇子の名を出されては……。


「そ、それは兄もさぞ喜ぶことでしょう……」

「ああ、それで……アナスタシア様、お話とは?」


 勝ち誇ったトリノ男爵の顔――、それを見て私は悟った。

 もはや、旧貴族派の間でヴィノクールを喰うことは決まっているのだと。

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