第2話 気の毒な人のためのハンカチ





吉田 慧人(けいと)は、高校の入学式という晴れ舞台を以前から楽しみにしていた。

春といってもまだ寒さの残る4月。

この日、慧人は髪型もカッコよく整え、真新しい制服についたヨーグル(飼い犬:キャバリア)の毛もガムテープで取り、準備万端だった。

 バスの時間を確認し、バス停に10分前には着くように家を出た。しばらく歩いていると、こんもりと盛られた泥が表面だけ乾いているような物体が落ちている。そして、それにはくっきりと小さな足跡がつけてあった。それは何度も見たことのあるヨーグルの足跡だった。この道は慧人の両親がヨーグルの散歩として使っていたので間違いない。 

 その泥のようなものは、散歩時にヨーグルの足を第一関節までは包んでいたのではないかというほどの大物だった。

最近、フンが持ち帰られずに捨ててあると父が文句を言っていたことを思い出した。

 慧人は、ヨーグルの足がそれに埋もれた様を想像した。そして、散歩から帰宅したヨーグルが、花に水をやっていた慧人の元へ駆けてきたことを思い出した。

一見、幸せな家族シーンだがあのヨーグルの足にはこのうんこが付いていたわけだ。

家に入る前に父が念入りにヨーグルの足を洗っていたのはこういうわけだったのか。

うんこだけに、慧人は”くそっ”と心の中で一人ダジャレを楽しんだ。

そして、また思考を巡らせる。


あの時僕は既に制服に着替えていた、ということは、この今着用中の制服は糞まみれなのでは?と考えた後、頭を振った。


せっかくの入学式だ。

余計な考えで気分を落とすのはよそう。

 

しばらくすると、またフンが落ちていた。出切っていなかったのだろうか。先ほどよりは小さなフンだった。

 そして、その上に何かが乗っている。茶色の革の真新しい定期入れだった。


気の毒すぎる…。


定期を落としただけでも気の毒だというのに、更に糞の上に落としたとなると、持ち主も踏んだり蹴ったりというものだ。

 正直、触りたいわけがなかったが、この重大な落とし物をした人物の気持ちが、少しでもマシになるように、人差し指と親指を駆使して何とか救助した。

 そして、お手洗いへ行った際、同級生に貸して、新しい友人をゲットするためにポケットに仕込んでおいたハンカチで、出来るだけ綺麗に拭いた。


グッバイ ニュー フレンド。

僕のハンカチは糞まみれさ。



 ついさっきまで糞まみれだった二つ折りの定期入れを開くと、案の定、定期が入っていて、朝川 一花と名前があった。

 顔の近くにくると、少し臭った。

慧人は帰りに交番でも寄ろうとポケットに定期をしまった。

 そうこうしているうちにバスの時間が迫っていたため、慧人は公園を突っ切り、近道をしてバス停へ向かった。


しばらくすると、1人の女の子が歩いて来た。

髪は日に照らされて少し茶色がかっていて、サラリとしていた。

可愛らしい容姿をしている。

しかし、表情だけはこの世の終わりのような顔をしていた。


まさか、この子が朝川 一花?


彼女を覗き見ると、彼女もこちらを覗き込んできた。



「朝川 一花?」


「え?」


彼女はキョトンとして僕を見上げる。


「今、失くしものをして困ってるよね。」

「はい?」

「相談に乗るけど。」


不審な人を見る目ではあったが、慧人は怯まなかった。


「え、まあ、はあ。」

「何を失くしたの?」

「え、定期入れを。」

「へー、何色?」

「茶色ですけど。」


間違いなくこの子だ。

慧人はポケットの中の糞まみれだった定期入れを服の上からしっかりと握った。

願わくば、匂いが消えていますように。



「俺さ、魔法使いなんだよね。」

「…。」


高校生からはイケてる俺になる!という目標を掲げていた慧人は、女性の好きそうなイケメンがたくさん出てくるアニメや漫画を読み、イケメンを学習した。

そして、この高校生活で全ての女性に”慧人がイケている”という錯覚を起こさせることが彼にとっての使命だった。

 不思議そうに僕を見上げる彼女。

ポンポンっとブレザーのポケットを叩き、そのポケットに手を入れて、糞の香り付き定期入れを差し出した。


「え、それー!!」


慧人は一人、心の中で

ミスターケイトタイム!

と叫んでいた。

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