第46話 アヤ、茶席の決定打

「ところがどっこい、ボクらには足があるはずなんですよ!」

 沙記が揚々と言い返した。

 綾はハッとして足元から数本、野草を根本から手早く採った。

「何……?」

――カラカラカラ……

 セレイン・スプリングが、やおら、車椅子を操作して、無言で去っていく。

 綾と沙記は、彼女に導かれるように、追いかけて奔った。

「これから、会場へ向かわれるんッスよね?! しかも、間に合うんでしょ!?」

「私たちも同道させて下さいな、姫様!!」

 曲がりくねった石の階段を使わなければ上れない、エンプレス・タワーの入り口。

 綾も沙記も、いくらあの庭師が怪力でも、彼女と彼女の車椅子をかついで細い階段を上り下りできるわけがないと思っていた。

 しかも、ここから麓までの道も急で時間がかかるのに、セレインは自在に下界の東西の両苑に出没していた。

 案の定、車椅子は石の階段の登り口に近付くと、くるくると壁の影のほうへと回り込んでいき、彼女が肘掛けのボタンに優美な指先で触れると、大理石の一部にしか見えなかった隠し扉が、スライドして開いた。

 金髪の女帝は、ぽかんと彼らを見つめていた。身動きもせず。

 石垣の中の箱形の部屋。深いネイビーブルーの間接照明。

「エレベーターだ!! 定員一名ってことはないッスよね?!」

 沙記が快哉を叫び、車椅子の童女は、自分が先に進んで乗ってから、綾と沙記が両脇に立つのを待った。

 あなたはこないの?といった瞳で、木立の中のエマへ小首を傾げる。

「はは……。これは、一本取られた。――構わない。間に合うかどうか、チャンスくらいはくれてやろう」

 エマのつぶやきは届かなかったが、表情で悟ったらしい。

 セレインが指先の動きを一つ。扉は元のように閉まる。

 素晴らしい加速で、七〇〇メートル以上の高低差を、エレベーターが降下しはじめた。



 明琳女史は、終止満足顔だった。

 イギリス人らしい和装の娘の所作は、どの瞬間をとっても優雅で完璧だったし、正客を務める男子高校生もひとつも所作を間違えなかった。まるで阿吽の呼吸で、懐石は滞りなく進んでいった。

 涼感を誘う、茶筅ちゃせんつゆを打った漆黒のぜん。ギヤマンの器の向付むこうづけ飯器はんきが回され、煮物椀、焼物に続いて、預鉢あずけばち預徳利あずけとくり。その間引っこんでいた亭主が再び出てきて、ごくごく小さな吸物椀が運び出され、その漆の蓋を開けた瞬間、明琳の顔に満面の笑みが広がった。

――これこそ、ワビサビだわっ。シアワセっ!!

 次のさかなの前に口の中を濯ぐ、一口ほどの淡い味付けの吸い物椀の中に、ほんの箸先程度、気のきいた旬のもので、しかも彼女の大好物が、忍ばせるようにそっと浮かべてあった。



 綾は、わざわざマーガレットの茶席を覗きに行かなかった。

 セレインの秘密のエレベーターは、そのまま地下のチューブをリニア駆動で水平方向にも高速移動し、わずかに上昇して、いくつかある出口のひとつなのだろう、西苑ゲストハウス裏手のボイラー小屋に出た。

 沙記にセレインの車椅子を押して送らせ、綾は、十七の水屋に行者大蒜ぎょうじゃにんにくを届けて、「箸洗はしあらいにあしらってね」と指示した。あとは、早々にギブアップした西苑睡蓮クラス委員長の代わりの亭主役となった。

 全くの初心者で茶懐石の進行を妨げるつもりがなくとも妨げまくってしまう女子高校生達を相手に、キャアキャア笑い合いながら饗応して、楽しく過ごした。

 羽目を外すとか、がす客扱いとか、悪く言われる作法でもあるが、とこの『一期一会』と沙記が書いた掛物かけものが、自然な笑顔を綾にくれた。



 午後十時前後。招待客が十七の茶室からそぞろ出てくると、係の教職員達が東苑大シアターへ案内していった。

 五日に亘って展開された大袈裟な料理勝負。その投票が開始され、まとめられ、午後十一時に出た結果は、

『源聖女館国際学院・共学化は、今回は、見送られることとなりました……』

 壇上で、源学院長は複雑な表情で頭を垂れた。



 当然のように大騒ぎがシアター内で持ち上がり、下校せずに教室で中継を見ていた少女達も叫び、踊り、あるいは嘆きの悲鳴をあげる。

 電光石火で学院生の各家庭、保護者達にも連絡が伝わっていく。

 歓声と喧噪の中、綾はリリーとマーガレットと沙記とクララとその他沢山の少女達と、肩を叩き合って笑い転げていた。

 エマと再会して握手をし、響也と黙礼を交わし、がっくりと肩を落としている雅に、ちょっとだけ舌を出して見せた。



「カンパーイ!」

「いぇーい!!」

「ざまあ見ろや、エスコート服ども!! おーほほほほほッ!」

 学院から離れ、地下のうるさいクラブの片隅に腰を落ち着け、ごく身内だけの祝勝会。

 学院内での女生徒達とのパーティーも終え、揃って下校した後だ。時刻は深夜を廻っている。が、元気が有り余っているリリー達。

「見たかい、あの小僧はんと、エマはんの顔っ。きししししっ」

「まあリリーったら、そんなに喜んだら、可哀相ですわ」

 そう言うが、マーガレットも舞い上がっている気持ちが隠しきれない様子。

「とにかくぜーんぶまるぅ収まってよかったわ!! アヤもエスカドに入れましたしな!!」

「そうね……」

 綾はつぶやくように答えた。

 学院が用意していた立食の後夜パーティーには、結果を見守りにきた保護者達も多く出席していた。実はここ数日の次第を全て見守っていたらしい、式部家の当主夫妻も来ていたのである。

『もう能芸特奨生になれへん理由はあらへんやろ、歓迎しますえ、綾をエスカドにしたってくんなはれぇな』

 能芸特奨学生会長・リリー・ラドラムの言葉に、父も母も、うなずいた。

 すぐにリリーはポケットから鍵をひとつ取り出し、胸を張って綾に差し出した。

『さっき顧問はんの許可ももらっとったんや。聖女会館の翼の、エスカドロン・ヴォラン用の個室のルーム・キー。これであんたもエスカドやで』

「……さっきはありがとう、リリー。……ね、ほんとはこの鍵、正式な資格証といっしょに、学院長様からの授与式があるものなんでしょう?」

「授与式なら、あー、コホン、今しましょうか?」

 暗闇に近い片隅のテーブルで、背後から初老の男の声がして、綾達は飛び上がった。

「キャア!!」「が、学院長様ッ!?」

 振り向いて、リリーも沙記も、顎が外れそうな顔でたじろぐ。

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