第8話 源学院長の見解

「まあ、いいんですよ、分からなくても。男が熟考の末に一旦ことを起こしたら、ひたすら邁進あるのみッてね」

 茶目っ気のあるウインクを見せて、

「あとは、祈りましょう。――じゃ」

 謎めいた言葉を残し、来たときと同じように唐突に、少年は、出ていった。

 残された学院長は、はあっと深く吐息をついた。

――秘密裡にことを進めようと思っていたが、仕方がない。公表しよう。こうなってはもう、大々的に発表してしまった方が……

 東西両苑の中等部・高等部での混乱は、既にそれぞれの苑長から、報告が来ていた。

 彼は車を支度させ、初めて東苑と西苑両方の生徒へ同時に呼びかけを行うために、山を降った。



『中・高等部の皆さんには、本日これより緊急の学院長講話がありますので、どうぞそのまま、席に着いてお待ち下さい……』

 六時限目の終了と同時、アナウンスが入った。

 すかさず、教壇上の教師が、クラス委員の綾に、校内放送を映す準備を促す。そういえば先ほど、教師に何か耳打ちしに来た用務員がいた。この放送についての連絡だったのだろう。

――中・高等部ってことは、初等部・幼年部には関係しないって姿勢ですのね。

 思いながら、綾は指示された通りに動く。

 カーテンが閉められ、そのために立った生徒達も席についた、そのタイミングを計ったように、校内放送が始まった。

 ほとんど前置きなしに、各教室のテレビに現れる、源聖女館国際学院・学院長の姿。

 東苑・西苑どちらかの放送会のスタジオから、生放送らしい。

 一つ咳払いをすると、彼は白いデスクの上にゆっくりと両手を出して組み合わせ、まっすぐカメラを見据えて、口を開いた。

『突然、このような形で失礼する。今朝方出された東苑・西苑両新聞会の号外により、諸君は大変な心配を抱き、あるいは少々興奮気味の様子だと、双方の苑長から子細な報告を受け、私としては大変戸惑っているところですが……』

 一つ、咳払い。

 何から話そうか、数瞬視線が泳いだが、一呼吸息を吸い込むと、

『共学を計画しているのは、本当だ』

 ズバリと言ってのけた。

 えええっ! と、全教室で、声があがった。

 勿論何も聞こえていない学院長は、画面の中で息をつくと、顔を上げ、いつもの態度を取り戻し、きびきびとした言葉で語り始める。

『これは、課外研究特待生達からも、他校の方々からも、以前から希望されていたことだ。実際の作業が遅れていたが、課外研究特待生の男子諸君には、一週間前から、内々にということで個別に案内と転校の勧めを行っている。しあさってには東・西両苑で編入式を行い、来週あたま、この学院で、一学期の終業式を迎える』

 ええええええ!?

 初めての、学校側からの断言。現実にそんな日程が組まれていたと知って、女生徒達からさらなる大声が漏れた。半分は感激、半分は恐慌。

『〝聖女〟の名は、女子校であることを意味するのではなく、加護者を名指すことばであるから、学院の名称は変更しない。編入する男子生徒の数は、中・高等部合わせて一五〇〇名程度。東苑籍七五〇名、西苑籍七五〇名の男子生徒が、誕生することになる。一五〇〇名というのは、今いる課外研究特待生一四〇〇名に、新規に選抜した男子学生一〇〇名を加えた数字だ。初等部、幼年部の男子募集は、来年度からを目途に、検討中である』

 今や、各クラスの生徒達は、しんと静まり返って学院長の宣言に耳を傾けて――いなかった。

 左右や前後の席の友達と交わされていたささやき声は、高く、大きくなり、学院長の声は、既にかき消されぎみ。

『諸君らの動揺も分かるが、初等部や幼年部の生徒達への影響も思いやって、騒がず、平常心で学院生活を……』

 学院長のアナウンスをよそに、ガタガタッと、椅子を鳴らして次々に腰を浮かせ、議論や言い争いに没頭していく。

 各クラスで、教師達が一様に教鞭を鳴らしていた。

「静かに!! 総学院長様の放送中ですよ!!」

 だが、いったん火がついた女子中・高校生のパワーというのは、そのくらいでは止まらない。

「冗談じゃありませんわ」

「とんでもない!!」

「落ち着きなさい! 学院長先生が仰ったよう、落ち着いて! 平常心で、下校するのです!!」

 どれもこれも、どこから誰が上げた声か、いちいち分からない。

『――以上だ』

と、学院長が言葉を結んだとき、教室はほとんどカラになっていた。

 ご令嬢達は廊下へ流れ出して、そこここで、激しく想いを喋り合い、早口の討論を開始していた。



 東苑の中等部と高等部の学舎の周囲を、騒擾そうじょうが席巻した。

 エントランスホールで、ピロティーで、グランドで、庭園で、生徒広場で、高まる熱気。

 興奮の中で、反対派は次々に固まって人数を増やし、気勢をあげた。

「直訴よ!! 断固、学院長様に反対を直訴に行くのよ!!」

 と、そんな反対派を、賛成派の少女達が取り囲んで阻止し、けたたましく論破撃滅しようと仕掛ける。

 掴み合いにならないのが、不思議なほどだった。

 調理実習をしていた生徒は、ゲストハウスのダイニングルーム続きの厨房から、エプロンを付けたまま。

 体育の授業を受けていたクラスは、体育館から、体操服姿のまま。

 緑も濃く、蝉の声も暑い庭園の中を、より広い場所へ、もっと沢山の仲間と合流を、と、人の波が大きなうねりになっていく。

 生徒達の熱と熱とが反響し合い、出ていった学舎にとり残された教師達は、ひとかたまりにまって、瘧にかかったように震え、廊下に立ちつくしていた。

 綾は、珍しく言葉を発するのを忘れ、戦々恐々としながら、そちらこちらから肩を押されるまま、ぶつかるまま、学友達の波に押し流されていった。

 学院長からのコメントは出たが、結局、綾には、共学化断固阻止、のつもりはあっても、どうすればいいのか、見当がつかない。

 と、そのとき、学院長が直訴を回避して姿をくらましたという報せが流れ、いっせいに少女達の間に知れ渡っていった。

 一気に頂点に達する、学院生達の感情の渦。

 あまりに昂ぶった感情の渦は、逆に、シーンと張りつめた静寂をもたらした。

 やがて、どこからともなく、誰からともなく、ささやきが起こった。

「会長様、ストリンドベルイ会長様はどうお考えなのかしら……」

「お声を聞きたい――」

 止まっていた足は動きだし、今度は一斉に、『学生会館』前への大移動が始まった。

 綾は、沙記からの情報を思い出して、慌てた。

――ソフィー様は、生徒会長室にはいらっしゃらないわ――

 しかし、友人達を止めようと思ったのは、一瞬。

 尋常でない群集心理の虜になっているような全員の様子に気後れして、押し黙った。

 が、すぐに、先頭の生徒達から、報せが伝わってきた。

「ソフィー様達は――徒会館にいらっしゃらな――ですって」

「――西苑の生徒会役員――様達と、極秘――なさってるらし――」

 切れ切れに耳に届く声、言葉の断片。綾は、奇妙な予感に、頭がぼうっとしていた。

「西へ……」

「――西へ!!」

「そうだわ、西へもご意見を聞きに行きましょう!!」

 ざっと風向きが変わった麦草の原のように、生徒達一人一人の体が翻り、頭が順次、西へと向き直った。

――え……。

 誘い合うように、西苑へ向かって歩き出す生徒達。

「スプリング・ヒルへ――」

「スプリング・ヒルを超えて――」

 喧噪と言い合いの中、そんな言葉が徐々に聞かれ始める。

 その一瞬、何か忌避感のようなものが、綾の胸中にぼんやりと沸いた。近付きたくない、というのに似た、おぼろげな感覚。

――厭……西苑へ、のは――

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