好き嫌いと善悪

 誰かはこの二つを同一視している。


 二面性を持つから、似ているからと同じように認識するのは危険だ。

 好き嫌いは感情や経験、トラウマで構成されるだけの個人の趣向だ。


 だが善悪は規範だ。


 誰かが秩序と安定を望み、もしくはより良い環境を求め造られる。どんな理論であろうとそれはその群れを導く為の規範なのだ。

 だからその理由を正しく伝える必要がある。

 毒キノコが旨いからと食っていいわけではない。

 欲しいからと群れの物を盗んでいいわけではない。

 悪さをした仲間を簡単に殺していいわけでもない。

 皆、その理由を理解するからこそ秩序と安定が来る。


 だが人間、群れの中にはその理論を曲解する個体が現れる。生物のように変異を繰り替えし原型が無いような規範。

 

 そうして組織間で闘争が始まる。


 その結果、より良い世界が築けるなら問題ない。だが独裁と強権政治は衰退した。

 その理由は自己の欲求、不都合によってねじり曲がった思想。それらによって変異した規範は果たして規範と呼べるのだろうか?


 もう一度言う。好き嫌いと善悪は非常に似ている。だが本質は違う。


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