8

 僕は新しい相手なんて望んでも無ければ、陽咲以上の人なんているはずもないと思ってる。だからこれは陽咲ともっと一緒にいられるようにする為に仕方なくやってるだけ。僕が探している間は、あの場所で彼女と会って話しが出来るから。本当は新しい人なんて必要ない。これはただの振り。

 でも――だからこそ合う相手には申し訳ない気持ちで一杯だ。それに北沢さんみたいにこんな僕に好意を抱いてくれでもしたら尚更に心苦しい。だから家に帰るとどっと疲れに襲われてしまう。

 本当は誰とも会わずに探してる振りでもしてればよかったのかもしれない。それが一番良いのかも。なんて思うけど、それは出来ない。だって陽咲は僕の嘘をすぐに見抜いてしまうから。陽咲はあぁは言ってたけど、あんな口癖を言わないようにしたところで、やっぱり見抜いてくるんだ。

 だから乗り気じゃなくても一応、本当に誰かと会って話しをしないと――じゃないと、もしかしたら陽咲は本当に僕の前から居なくなってしまうかもしれない。

 それだけは嫌だ。もう二度と、彼女を失うのは。彼女と別れるのは……いやだ。少しでも、一分一秒でも長く僕は陽咲の傍に居たい。彼女と話して一緒に居たい。

 でも……。




「そっかぁ~。ダメだったかぁ」


 陽咲のそれはまるで自分の事の様に残念だと言う声だった。


「でも菜月さんだっけ? 失礼だけど何かちょっと意外だなぁ。見た目はあんまり君と合わなそうな感じなのにね」

「最初は僕も合わないだろうなって思ったけど、気が付いたら結構気持ちよく話しちゃってて――不思議な感じだった」

「へぇー。楽しかったんだ」

「まぁ、うん」

「実際も綺麗な人だった?」

「写真と違って実際は髪長かったけど、そーだね」


 答えた後、僕は自然な流れで隣の陽咲を見た。


「でも僕は、やっぱり君の方が綺麗だと思うよ」


 ふふっ、と狐面の向こうで浮かべた笑みが僕には見えた。


「ありがとう。――でも、自分で言うのもあれだけど、愛情補正あるから。私はね」


 そんなことない、そう言おうとしたけど無いとは言い切れない。だって現に僕は陽咲の事を誰よりも愛しているんだから。

 そんな事を思いながらも僕は少し照れたような陽咲を見ていると、何故だか少しだけ心が荊棘を纏うのを感じた。何かは分からないけどチクリ、刺す何かを感じていた。


「そうかもしれないけど――でも、僕の中で君が一番だって事には変わりないし。これからも変わらないよ」

「それじゃあ、同率で一番の人を見つけないとね。もしくはまた別で好きになれる人とか」

「やっぱり見つけないとダメなの?」

「ダメって訳じゃないけど……その方が私も安心かなぁ。だからそれまで一緒に頑張ろう!」


 一緒に、その言葉が僕にこれ以上それを拒むのを止めさせた。心を押し殺すように口を噤む。


「次ももう決まったの?」

「まだ」

「でもまた紹介してくれるって?」

「うん」

「良かった。――あっ、そうだ。何かさ。訊きたい事とか無い? 人それぞれとは言っても同じ女性同士だからこういう風にしたらいいとかアドバイス出来るかもっ!」

「ない」


 だからなのか気が付けば陽咲の質問に対し、まるで拗ねてしまった子どものように少し投げやりな返事をしてしまっていた。


「なら――こう、女子がキュンってするような仕草とか一言とかどう? って言っても私とか友達から聞いた程度だからその人が同じようにキュンと来るかは分からないけどね」


 僕自身、返事をしつつお世辞にも良いとは言えない態度だという事は分かってる。でもついに返事すら返さず無言のまま首を横に振ってしまった。どんな顔をしていたのか分からないけど、きっと隠し切れない不機嫌さが漏れ出していたに違いない。それでも一応だけどなるべくそんな気持ちを抑え平然を装っていたつもりだ。


「そっか……」


 でもきっと陽咲は僕が一人勝手に不機嫌になってるって気が付いてたはず。なのに彼女はそれについて何も言わず、これ以上その話もせず、数秒の沈黙を挟んだ後には、僕の望むような話題へと話を移し始めてくれた。

 それは当然ながら笑い合って楽しい会話だった――けど、依然と心は荊棘を纏っているのを感じた。突き刺すだけでなく、絞め殺すようにジワリ締め付けられる。


 その夜。僕はとある居酒屋へと向かっていた。誰かと呑むわけでもなく一人だけ。久しぶりで懐かしささえ感じるお店。

 そこは陽咲が好きだった居酒屋で、料理もお酒も豊富で薄暗くお洒落な内装と個室が凄く気に入っていた。僕も彼女と一緒に何度も訪れた場所だ。

 でもあの事件があってからは初めてだった。ふと思い出し、想い出を巡るように夕食がてら足を運んだ。

 見慣れた外装を見上げるだけで既に懐古の情が押し寄せる。


「懐かしいなぁ」


 一人そう呟き僕は店内へと入って行った。


「あっ……」


 でもそれはドアを通り最初の鍵付き下駄箱が並んだお店の玄関での事。

 僕は直ぐそこで丁度、脱いだ靴を手に持った人を目にし、思わず声を零してしまった。その声に相手も僕を見遣る。

 彼女は何も言わなかったが動きを止め、僕を見つめていた。


「久しぶり……です」


 そこに居たのは、月星空。陽咲の親友だ。スキニーパンツにジャケット、搔き上げられた短い髪と複数のピアス、胸元で光るネックレス。そして男性に間違えられる事もあるクールな顔立ち。王子様系(実際高校の時は王子様なんて呼ばれてたらしいけど)もしくは宝塚系と説明するのが早い、所謂ボーイッシュな女性だ。

 そんな空さんとは陽咲の葬式以来、会うのは初めて。というかそれ以前も殆ど会った事も無ければ話をすることも無かった(当然ながら連絡先なんて知らない)。

 でも陽咲とはよく出掛けたり、よく話を聞く大親友だ。


「……」


 陽咲の話ではそこそこ話しもするしよく笑うらしいけど、僕の僅かな記憶では無口で表情も無言。

 今回も少し僕を見つめた後、まるで何事も無かったかのように靴を下駄箱へ入れた。

 そんな彼女にどこか気まずさを感じながらも靴を脱いでは下駄箱へと仕舞った。直ぐ目の前に一応レジがあるけど(お会計は各個室でやってくれる)、そこに店員さんの姿は無い。

 先に店員さんを呼ぶボタンを押した空さんの一方後ろに僕も並び待つが、その気まずさは耐え難いものだった。お互い知らない人なら良かったもののこの状況での沈黙は、むず痒い。何か話した方がいいのか、それともこっちを一切振り向かない彼女の言外を察し黙ったままがいいのか。天使と悪魔が争うように僕は一人葛藤していた。

 すると、そんな僕へ一筋の光が差す。


「いらっしゃいませ」


 やって来た店員さんは会釈をすると空さんと僕を流れる視線で確認した。


「二名様でよろしかったですか?」

「あっ、いえ。別々で」


 別に嫌だった訳じゃないけど、彼女が嫌かと思い少し食い気味で訂正した。

 だが僕の言葉に若干ながら店員さんの顔が曇る。


「ご予約の方は?」

「いえ、僕はしてないですけど」

「してないです」


 僕に続き空さんの風貌に似合った低めの声が呟き、同時に顔を微かに横へ振って見せた。


「申し訳ありません。ただいま空いているのが一室だけでして、暫くお待ち頂きますがよろしいでしょうか?」


 僕が答えたからか、それとも一歩後ろにいたからか店員さんは僕の方を見ながら申し訳なさそうにそう言った(どの道、後から来た僕が待つのは当然なんだけど)。


「それってどれくらい待ちますか?」

「最低でも二十~三十分は掛かると思います」

「あぁー。そーですか」


 もし陽咲が一緒なら待ってもいいような時間だったけど、今日は一人ということもあり悩む長さ。

 すると一人考えている僕へ空さんが振り返った。


「別に一緒でもけど。もしあんたが良いなら」


 正直に言ってそれはあまりにも意外な言葉だった。


「じゃあ……」


 だからついさっきほんの数十秒、沈黙が続いただけでも気まずさに悶えていたはずの僕だったが、思わず頷きながらそんな返事をしてしまっていた。


「じゃあ二人で」

「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」


 依然と意外さに戸惑いながらも僕は店員さんに続く空さんの後に続き、席へと向かっていた。

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