7

 白い湯気と嗅ぎ慣れた香りを立ち昇らせたカップが僕へと差し出された。


「それで? 何て答えたわけ?」


 期待に弾んだ彩夏の声を聞きながら僕はお礼を言いながら珈琲の入ったカップを受け取った。


「気が合うし凄く楽しかったですけど、すみません。って」


 えー、彩夏のさっき弾んだ分しっかりと落ちた残念だと言う声は給湯室へと響き渡った。


「なんでよぉ~。絶対、相性完璧だって思ったに」

「んー」


 悩むような素振りを見せながらも心に浮かぶ陽咲の顔。


「――まぁ。まだ早かったのかも。僕にはもう少し時間が必要なのかもね」

「あたしが言う事じゃないけど、そうじゃないと思うんだけどなぁ」

「それより北沢さんには申し訳ない事しちゃったかな。折角、時間作って会ってくれたのに」

「まぁ別にそこは気にする必要ないでしょ。出会いなんて運だし。それにその時間が楽しかったんなら無駄って訳でもないじゃん」

「蒼汰ー!」


 すると給湯室へといつもの調子でやって来た翔琉が後ろから肩を組んだ。


「んで? 昨日はどーだったんだ?」

「楽しかったよ」

「そーじゃなくて」

「まぁ、僕にはもう少し時間が必要かもって」

「ほんとかぁ?」


 翔琉は何故か訝し気な視線を僕へと向けた。しかもその表現は露骨だ。


「どういう事?」

「まだ一人と会っただけだろ? 分かんねーって。もしかしたらこの人だ! って人がいるかもしんねーじゃん」


 もしかしたら翔琉には僕がまだ立ち直れてない自分に落ち込んでるようにでも見えたのかもしれない。本当はそうじゃなくてそもそもこうして新しい人を探すっていうの自体、出来ればしたくない。だからそんな気持ちでちゃんと相手を探している人と会うのが申し訳なく思う。意識したつもりはないけど、もし僕の声が暗く聞こえたのならそれが原因だ。

 でも陽咲の事を話してない僕はそれを分かっていても口ごもる事しか出来なかった。


「っつー事で、次は俺に任せろって!」

「え? いや……」


 肩から離れた翔琉の手がポケットから自分のスマホを取り出す。


「んじゃいつがいい? いつでもいいか?」

「えっ、だから――」

「何か予定でもあるのか?」

「いや、無いけど――」

「んじゃ決まったら連絡するわ」


 そう言って翔琉は操作したスマホをポケットに入れると飲み物を入れ始めた。


「やっぱり実際会って話して遊んでみたら苦手なタイプだったと思ってたのに意外と合うな! ってのがあるからなぁー」

「なになに? 経験談?」


 餌に引き寄せられるようにニヤついた彩夏が翔琉へと近づく。


「実は大学ん時に――」


 そう話しめたのは聞き覚えのある翔琉の昔話。でもそれは右から左へ通り抜けていき、僕は心の中で一人溜息を零した。何やってるんだろう、自分へそう問いかけながら。


 それから数日後のこと。僕はそこにいた。海鮮居酒屋の個室。目の前に座っていたのは、緩やかにウェーブを描き髪色が毛先にかけて段々と明るくなっていく長髪の女性。写真で見た人よりギャルっぽいとでも言うのだろうか。少しだけ印象が違っていた。


「坂井菜月です。よろしくね!」


 手の代わりに差し出されたジョッキ。


「旭川蒼汰です。よろしくお願いします」


 写真と同じ笑みのまま坂井さんはビールを傾け大きく一口。そして吐き出した声混じりの息はコマーシャルのような心地好さだった。


「あんまり緊張しなくていいって。気楽に呑もーよ」


 正直に言って最初はどこか苦手な感じがした。言葉を選ばなければ馴れ馴れしく、高いテンションに気後れしてしまっていた。見た目もそうだけど性格もこれまで殆ど関わりのないような人で、傍から見てても僕には合わないと思うような人。


「あぁ~。名前は知ってる! けど聴いたことないかなぁ。どれがオススメ?」


 でも気が付けば彼女の柔和な雰囲気が僕を包み込み、緊張を溶かしては苦手意識の壁を崩壊させていた。


「んーっと。どれも良い曲ばかりなんだけど……」


 最初はどこか身構えてしまっていたけど、いつの間にか彼女と同じように気軽に話しをしてる自分がそこには居た。きっとそれが彼女の魅力なんだろう。相手の心を解し、気の許した友達であるかのようにリラックスさせてしまう。

 しかも意識的か天性的なものか巧みな質問と聞き上手を兼ね備えた彼女に、僕はついつい率先して話をしてしまっていた。普段はあまり自分から話すタイプじゃないのに。好きなモノや翔琉に同僚達の話。もし彼女が詐欺師なら僕はうっかり重要な何かを漏らしてしまっていたかもしれない(幸い会社にとって致命的になるような情報は持ち合わせてないけど)。

 そのおかげで最初は不安だった今夜も前回の北沢さん同様に楽しい時間を過ごすことが出来た。

 でも彼女との食事を終え、帰路に就いていた僕がほんのり酔いの回った頭でさっきまでの楽しかった時間を思い出していると……。自然と陽咲の事を思い出してしまっていた。


「そういえば、陽咲の前じゃついお喋りしちゃう事ってあったな」


 美味しい食べ物だったり良い音楽だったりで興奮した事とか、愚痴だったりとか、本当にどうでもいいようなくだらない話でさえ家に帰って陽咲と一緒にいるとついしてしまっていた。それは彼女がちゃんと聞いて反応してくれるからなんだと思う。

 でも僕はそうやって話をするのも好きだったけど、同じくらい陽咲が他愛のない話をしてくれるのが好きだった。


「というか、ただ単に陽咲と話しをするのが好きなだけか」


 それから帰宅し眠りに就くまで、僕の脳裏を埋め尽くしていたのは陽咲との数々の想い出だった。




「っつー事は?」


 翌日。給湯室で翔琉は昨夜の話に信じられないといった表情で詰め寄って来た。


「まぁ、ちょっとね。思ったよりも話しやすくて一気に仲良くなった気はするんだけど。そういう感じじゃないかなって」

「マジかー。菜月でもダメなのかぁ」


 両手で頭を抱え天井を仰ぐ翔琉は僕からすれば大袈裟なリアクションだった。

 一方で腕を組み満足気な表情を浮かべた彩夏は、緩徐とした足取りで僕の隣へと並んだ。そして翔琉へ向け立てた人差し指を横へ振りながら動きに合わせ舌を鳴らす。


「やっぱ蒼汰の事、全然分かってないわね」

「お前も駄目だっただろ」


 透かさず翔琉は指を差しツッコミ口調で反論した。

 だが彩夏はそれさえも予想済みだと余裕の笑み。


「悪いけど次は確実にいけるから」


 最初は茶番かとも思ったが、どうやら二人の間で何やらやりとりがあったのかもしれない。


「もしかしてまた賭けでもしてる?」


 僕の言葉に一瞬だが体を跳ねさせた二人の顔は同時にこっちへと向いた。


「いや、でもちゃんと真剣に蒼汰に合いそうな人選んでるからね!」

「そうそう! 本当にお前の幸せ願ってるからな!」


 ついさっきまで対立構造にあった二人だが、今では互いの言葉に何度も頷いては賛同の意を示していた。でも二人を知っているからか、それが咄嗟に出た薄っぺらい言い訳のような言葉じゃない事はすぐに信じられた。本当に僕の事を想い考えて相手を選んでくれてるんだろうと感じた。賭けはしてるだろうけど。


「でも蒼汰の新しい相手はあたしが見つけるから!」

「いーや! 俺だな!」

「いやいや! オレに任せろ!」


 すると第三の声色が現れてはそう二人に負けず劣らずの自信でそう言った。その声は給湯室の出入り口から。

 僕ら三人はそれに反応しほぼ同時に視線を声の方へ。

 そこに居たのは圭介。その声同様に自信に満ち溢れた表情で彼はそこに立っていた。


「良く分からんけど、蒼汰の新しい恋のエンジェルしてるんだろ? だったらオレに任せなって」


 しかし、圭介の自信とは相反し僕を含め辺りはしんっと静まり返っていた。


「あんた誰も紹介できないっしょ」

「お前、女友達いないだろ?」


 数秒の静寂の後、二人の鋭く突き刺すような言葉が順に響いた。

 その言葉は空を尖鋭に突き抜け、圭介の胸に突き刺さった(ように僕には見えた)。

 でもそれは正解だったようで突然、圭介は腕で双眸を覆い子どものように泣き出した。


「オレにも紹介してくれよぉ」


 そんな彼へ無言のまま近づく彩夏と翔琉。


「お前はまた今度な」


 ぽんっ、と翔琉は左肩に手を乗せた。


「あんたに合う人ってムズいからねぇ」


 ぽんっ、と彩夏は右肩に手を乗せた。


「でも今は蒼汰だからね」

「よーし! 次は任せろ!」


 圭介から僕の方へと戻って来た二人の目にはもう既にやる気が満ちていた。

 でも元々そうだったが僕は言う迄も無く、乗り気ではない。むしろもうやりたくないとすら思っていた。

 だけど、陽咲とあの場所で会い続ける為にはやらざるを得ない。


「まぁまた見つけたらセッティングしてやるからよ」

「楽しみに待っててねー」


 二人はそう言うと給湯室を後にした。


「はぁー」


 そして残された僕から零れ落ちる溜息。

 すると正面から肩をぽんっ、と叩かれた。顔を上げてみるとそこには何やら穏やかな微笑みを浮かべた圭介の姿が。


「そう心配すんなって。何ならオレのとこの子、一人あげようか? 一人いるだけで部屋も心も明るくなるぞ」


 溜息の意図は伝わってないようだが、その優しさはありがたく貰っておこう。観葉植物はいらないけど。


「いや、いいよ」

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