第3話:【晴男】さあ、富士山へ

 意気揚々と呼ぶには、ほど遠い。誰かに見つかるんじゃ? と警戒した俺はコソ泥っぽかった。

 俺と同じに秋革あきかわ駅から通勤する人は居ないはず。そう知っていても、びくびくと周囲を見回さずにいられない。


 それも車に乗るまで、とレンタカー店の前に立った。が、思わぬ障害にぶち当たる。

 具体的には、開店前の自動ドア。

 ――当然だろう。まだ六時半にもならない、早すぎたんだ。


 どこか早朝から開いてる店はないか、スマホで検索してみる。必要なのは移動に使う車と、キャンプ道具。

 でもアウトドアの店は、早くても九時だった。


 ただし多麻たまセンター駅の近くに、両方の店があった。電車とモノレールで一時間くらい。今から行けば、ちょうどいい。

 ――よし、行こ。


 不思議なくらい、スッと足が動いた。

 こんな風に立ち止まった時、いつもならもっと悩む。この案で良さそうだけど、他にもないか一通り……とか考えてるうちに、ムダな時間を過ごす。


 そうか、今は俺のやりたいことしか考えてないから。

 失敗したって文句を言う奴は居ない。店長に叱られた時の言いわけを用意しておく必要がなかった。


 検索の通り、多麻センター駅には七時半過ぎに着いた。レンタカー店が八時に開くから、少し待てばいい。

 ――いや、でも。


 ちょっと先に、トメダ珈琲が見える。よく名前を聞くのに、行ったことがない。なんて言ったらスシタローも、びっくりダンキーもだけど。

 たぶん秋革駅前でトーストを食べてた女性への意趣返しだ。俺もうまいパンを食べなきゃ、この先に進めない気がする。


 行ってみれば、もう開店してた。ちょうどいい、腹は減ってないけど時間潰しにも最高だ。

 朝トメとかいうサービスで、コーヒーを頼むとタダでトーストが付いた。今日はどんな高い物でも躊躇しないつもりなのに、十分以上にうまかった。


「……八時か」


 食べ終わると、昨日まではとっくに仕事場に居る時間。なるべく見たくないのに、つい目がスマホへ向く。

 もう少しで、店長も出勤する。俺が居ないと気付けば、すぐにでも連絡してくるはず。


 ――そうだマナーモードに。

 せっかくのひと時を邪魔されてたまるか。上がった吐き気を冷めたコーヒーで洗い、改めてレンタカーを借りに向かう。

 車種を選ぶ余地はなかった。たまたま空いてた車がランクロで、文句をつける必要がなかったとも言う。


 バカみたいに太いタイヤ。俺より高い背丈と、ゴツゴツした車体。ミラーもライトもグリルも、いちいちデカい。

 これで本当にオフロード車かと。日本の山のどこを走るのかと。持て余す感じが、今日の俺に相応しい。


 最後にアウトドアショップのワイルダー。

 まず焚き火グリルと、薪と、備長炭。それからテントは要らないかとも思ったけど、ないとキャンプっぽさが出ない。

 あとはクーラーボックスにトングに――何より必要なロープ。


「耐荷重二百キロか」


 という性能には素直に感心した。俺が三人ぶら下がっても耐えるってことだ。

 それなら、いざ・・って時に切れることもないだろう。安心してカゴに投げ込む。


 会計は三万に届かなかった。ランクロと合わせても八万円。

 これが俺のやりたいことの値段。と思うと、安くて笑えた。


「あ、食い物」


 例によって間が抜けてる。焚き火セットがあっても、肉がないとバーベキューができない。

 まあスーパーなんて、どこも変わりはしない。道々で適当な店に行けばいい。そう決めて、ランクロの後部に荷物を積み込む。


 そこで何時だろうとスマホを取り出した。すると一瞬、十時四十四分と表示されたのが真っ暗な画面に切り替わる。

 電話の着信だ。


 着信の名前は、スーパーアルファス。俺の勤めるスーパーマーケットの、代表電話。

 出勤の定時は午前九時で、開店は十時。どちらもとっくに過ぎている。

 音を消しといて良かった。いつも気付かない振動さえ、釣り上げた魚の暴れるみたいだ。


 この電話が誰からで、用件は何か。外しようのない推測に、辺りから酸素が失せたように思う。

 はあ、はあ、はあ、はあ――。

 自分でも耳障りな荒い息。頭痛と吐き気もしてくる。


 ――まだ鳴らすのか。

 しつこいバイブが、五分以上も続くように感じた。

 しかしやがて、ぴたっと止まる。


「ふ……うぅ……」


 息を吐くと、勝手に声が漏れた。下手な演技のゾンビみたいな。

 喉が痙攣していた。子どものころ、ひどく泣きじゃくった後を思い出す。


 ――帰りてえ。

 何をするのも嫌になる。けど家に帰ったところで、どうもならなかった。

 しばらく息を整え、午前十時五十五分。ランクロを発進させた。

 二度と、俺は東京に戻らない。


 *


 東名高速を、西へ。

 行き先はすぐに決まった。俺の貧困なイメージだと、最高のキャンプと言ったら富士山だ。それに湖の見える所で検索し、ふもとの原というキャンプ場が気に入った。


 聞いたことのないスーパーにも寄った。かれこれ、およそ三時間。こんなに長く運転するのは久しぶり、いや初めてか。


 ――西。とにかく西。

 繰り返してると、誰かを呪ってるみたいだ。でもそれ以外を考えようとすれば、仕事のことになる。

 だから呪っているのは、俺自身にかも。


 ――変なクレームとか入ってないかな。釣り銭、足らなくなってないかな。俺の分、忙しくさせてるよな。

 気を緩めると、すぐ。多大な迷惑をかけてるはずの、パートさんたちの顔が浮かぶ。


「ああ……無理」


 だとしても、もう俺は逃げると決めた。パートリーダーの田中たなかさんは、俺よりよっぽどデキる人だ。どうにかうまくやってくれ。

 怒る店長と、困惑した店員。荒れた光景の見える気がした。ごしごし目をこすって、嫌な妄想を追い払う。


「あっ」


 通り過ぎた分岐路が、富士宮方面と書かれていた。樹海へ――いや、ふもとの原キャンプ場へは、たしかあっちだった。

 そろそろ北上すると気付いてたのに。どうして気を逸らすんだ。高を括らず、ナビを設定しておけば良かった。


 毎度、反省だけは一人前に浮かぶ。我ながら、今思い付くなら最初にやれよと。

 とは言え、ᑌターンもできない。近い出口から引き返すしかなく、そのまま進む。

 するとすぐ先が富士川サービスエリアと、標識が見えた。その名前に、聞き覚えがある。


 たしか観覧車があって、遊園地みたいな所と誰かの動画で見た。観覧車に乗ろうとは思わないけど、どんな感じか見てみたい。

 急ぐ理由は何もない。欲求に従い、ランクロをサービスエリアに進入させた。


 ――あれ、ないじゃん。

 強張った身体に伸びをさせつつ、ぐるり見渡す。でも食事をする場所とトイレのある、普通のサービスエリアだ。


 名前を勘違いしたかな。俺のことだ、そんなところだろう。

 まあいいやと諦め、建物に入った。すると期せずして、知りたかった答えが聞こえてくる。


「観覧車は上り線だけって、詐欺かよ!」


 なるほど、勘違いじゃなかった。教えてくれたのは、入れ違いに出て行こうとする男。

 そんなに乗りたかったかと同情するのと、詐欺ではないよなと思う。もちろん言わないけど。


「あ、待って陵さん!」


 連れらしい女の子が呼び止めた。

 彼女、か? どうも高校生。もしかすると中学生かも。男はどう見ても二十代半ばで、どちらも正解なら犯罪臭がする。

 ――なんてことは、ないか。


 単に親戚かもしれないし、人間関係を想像すればきりがない。男も「なんだよ」とか言いながら、女の子に着いて土産物のコーナーへ行った。


 さて俺はどうしよう。立ち止まって首を回せば、たくさん並んだ自販機と道路案内。土産物に、フードコート。とは別のレストラン。思った通りの景色だ。


「ご実家に戻るの、久しぶりなんでしょ? お土産があったほうがいいよね。あ、幼なじみさんには、私から渡すのがいいかな」


 さっきの女の子の声が、饅頭の棚の裏から聞こえる。

 そんな土産になるほど、いい物があるのか。そういえばスナック菓子以外を食べる機会もあまりない。

 興味が湧いて、俺も土産物コーナーに踏み入った。


「いや、そんなの――まひるが買いたいんなら買えばいいけど、時間ないんだよ」

「うん、すぐ選ぶね」


 聞き耳を立ててるつもりはないのに、二人の会話が耳につく。女の子は地声が大きく、男はイラついてるっぽい。

 よそはさておき、目についた赤い箱を取ってみる。なんでこんなとこに、フカヒレスープが売ってるんだ?


「おい、いい加減にしろよ」

「あっ。ご、ごめんね」


 買いたいなら買えと言ってから、まだ一分かそこら。男の声にドスが効き始める。

 振り返ると女の子は、候補らしい菓子箱を三つ手にしていた。


「こ、これ。みなさん嫌いな物とかないかな」

「いやもう買わなくていいって言ってるだろ。なんなんだよお前、今日!」


 言ってないぞと誰も突っ込む暇がない。女の子の示した菓子箱を、男は床に叩き落とす。


「あっ」

「いやお前さ、もう帰れよ。言ったよな、連れと遊ぶって。それも最後まで付き合わない、俺の家にも来ない。何さまだよ」

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」


 女の子は謝りながら、菓子箱を拾う。それが自分への謝罪でないと男にも分かるんだろう、「おい!」とまた声を荒らげる。


「俺はもう行くからな」

「待って陵さん。これ落としちゃったし、買ってこないと」

「うるせえ!」


 集めた菓子箱を胸に抱え、女の子は立ち上がる。しかし男は、その胸を押した。


「きゃっ!」


 よろけた女の子が、後ろの棚に尻もちをつく。バラバラと、煎餅の箱が落ちる。


「どんくさいなお前!」


 男はさらに激情し、足を持ち上げる。踏みつけるように、女の子の寄りかかる什器を蹴りつけた。

 衝撃が伝わり、隣の什器からも商品が落ちた。慌てて駆け寄った店員の女性が、両手で雪崩を押さえ込む。


「お、お前のせいだからな」


 また殴るつもりか、男は女の子の腕をつかむ。でももう、俺のほうが我慢ならなかった。

 細い手を引っ張る、筋張った手。それを俺の、軟弱そうな白い手がつかむ。


「おいお兄さん、何考えてんだよ。この売り場、店員さんがどんな気持ちで作ったと思ってんだ」

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