第32話 『剣聖の修業』

 滝みたいな土砂降りが、草原をどデカい水たまりに変える。

 服も靴も荷物も全部重たい。周りが水の匂いで満ちて、雨音が自分の声すら曖昧にする。視界に関してはほぼ見えねぇわボケ!


「がんばれー」


 先で聞こえた女の声。

 頭上で振り回す長刀に雨が弾かれて、その姿が見える。

 師匠、リリィ・ソードマンだ。


「そんなこと言ったってー! こんなの無理ー!」


 となりでクズハが悲鳴を上げた。

 俺だって同じ気持ちだ。だってまだ、魔の森に着いてすらいないんだから。


「はやく、しないと……魔物が出るよ……戦うより……走るほうが……簡単……さ、ついてきて」

「マジかよ、ちくしょう! 頑張れクズハ! 根性だ!」

「もうイヤー!」


 雨の中に消えた師匠の気配を頼りに、闘気を捻り出して追いかける。


 アルケの町を出て三日。

 目指す魔の森は南東の方角にあって、距離的にはそろそろ着いてもいいくらいだ。兄貴は結局町に残り、旅立ちの準備をしておくらしい。見送りのとき、ほっとした顔をしていた。

 俺とクズハは、てっきり修業は森に着いてからだと思っていた。でも師匠は、道中も修業だと言った。


「走って……行くよ……私に……ついて……きて」


 ウキウキした様子で言うと、風のように走り出す。

 なんとか追ったが、あっという間に見失ってしまった。


「ケインは闘気……クズハは妖力……常に強化して……走る、の」


 戻ってきた師匠は簡単に言ったが、闘気を練って動くのはそれだけで体力を消耗する。

 妖力も同じらしく、速度は出ても一日目の夜にはマジで動けなくなった。


 そんなスパルタマラソンを、ほぼ休憩なくぶっ続けでやっている。

 強壮薬やポーションで誤魔化しながらなんとかここまで来たが、この雨はさすがにキツイ。ハッキリ言って限界だ。


「くっそおおおお! 負けるかああああああ!!」

「町に残ったムーサが憎いー!」

「……がんばれー」


 気の抜けそうな声援を受けながら、気合いで足を動かす。

 そのうち、雨の中に黒い影が見えてきた。


「ほら……魔の森だよ」

「おぉ、ついに!」

「やったわ! よし、このまま」

「ギョッギョ」


 同時に背後に足の生えた魚の魔物が現れて、俺たちを追いかけてきた。


「「ぎゃあああああああ!」」


 もう、死ぬ気で逃げた。


「気持ち悪うぅ! なんでスネ毛生えてんだ!」

「いやああああ! ハンギョノンになんて襲われたくないー!」


 近づいた魔の森は、黒い幹の木がズラリと並んでいた。

 この雨をほとんど遮るくらい生い茂った枝葉のせいで、名前通りの薄気味悪さを感じた。


「とうちゃーく」


 先に待っていた師匠の拍手で迎えられて、二人で森の中に滑り込んだ。


「やべっ、ハンギョノンが」


 つい力尽きて倒れ込んでしまったが、これじゃあ魔物のいい餌になっちまう。


「……むん」


 だが、俺の心配はいらなかった。

 師匠のひと睨みの圧力で、魔物たちは踵を返して逃げていった。

 

「も、もうだめぇ~、一歩も動けない~」

「お、同じく……」


 体がひたすらに重い。

 大の字で寝転んだ状態から、どう頑張っても指一本動かせない。


「お疲れ……さま……ここが……魔の森……今日は、もう休もうね……」


 休憩宣言がなによりも有難い。

 焚火の準備をする背中が、楽しそうに揺れている。俺たち以上の速さと持久力で走りながら、息ひとつ乱れてない。というか、濡れてるようにも見えない。

 改めて、剣聖との実力差を目の当たりにした。


「さ……どんなときでも……食べるの大事……食べないと……必要なとき、動けない」


 師匠はそう言って、炙ったチーズの塊を差し出してきた。

 食欲をそそる香りに腹が鳴るが、体が言うことを聞かねぇ。となりでうつ伏せのクズハも、悔しそうに呻いていた。


「蜜パンもあるよ」

「食べる! ほらケインもはやく!」


 甘い誘惑に跳ね起きた狐娘に引っ張られて、なんとか食事にありつくことができた。


「そういや、なんで魔の森なんて呼ばれてるんすか? 気味悪いから?」


 雨音をBGMに腹を満たしながら、気になっていたことを聞いてみた。


「ここ……魔素が濃い……だから魔の森」


 魔素って、昔モニカから習ったな。

 たしか、俺たちに魔力があるように自然界にもある同じようなエネルギー。生き物が生きるのにも、世界が成り立つのにも重要な元素。

 当時は意味分かんなくて誤魔化したけど、今でもわけ分かんねぇ!


「ちょちょちょ、説明少な過ぎますよお師匠! ここは他よりすっごく魔素が濃いから、あまり長くいると体を壊して最悪死ぬの!」

「はあ!? え、今の俺たち大丈夫なのか!?」

「ここは……まだ……入口だから……平気、だよ」


 笑顔で親指を立ててくれたが、全然安心できねぇ。


「わたしが聞いたのは、最長一ヶ月ね。迷ったりしたら、本当に絶望的なのよ。しかも魔素が濃いと、魔物も強くなるし」

「ってことは……」

「ウキャキャ?」


 師匠の膝の上で蜜パンを頬張るゴクウに、自然と視線が集まる。

 性懲りもなく荷物に紛れて来たと思ったら、一番安全な師匠のそばから離れようともしない。 


「大丈夫……もし凶暴化、しても……私が……斬るっ」


 安全地帯が安全地帯じゃなくなった瞬間、涙目で俺の肩に戻ってきた。


「クズハの説明……ちょっと訂正……私は昔……ここで修行してた……二年間」

「え!?」


 聞いたばかりの話と違う。


「闘気や魔力を纏えば……ここの魔素も……大丈夫……妖力も……同じ」

「で、でも四六時中纏ってるわけじゃないし、多少はダメージあるでしょう?」


 クズハの質問に、師匠は首を横に振った。


「四六時中……纏うの……食事のときも……お風呂やおトイレ……寝るときも」

「へ?」


 変な声が出た。


「そんな無茶な」

「できるようになるのが、修行……大丈夫……最初……寝るときは……私が守る、から」


 つまりそれ以外は自分で守れってか?


「もう……寝ようか……明日から……始めるよ」


 優しげな笑顔がむしろ怖い。


 言葉を失って、半泣きのクズハと顔を見合わせた。

 たぶん、二人で同じ気持ちだったんだろう。俺は生まれ変わって初めて「明日にならないでくれ」と願っていた。


――――


 次の日から、いよいよ本番が始まった。

 森を一望できる岩山を拠点にして俺は闘気、クズハは妖力を纏ったまま、遠くにそびえるガジュマの巨木を目指して走り往復するのが最初の修業だ。上から見るとゴールは他よりデカくて目立ってるから、そんなに難しいとは思わなかった。


 結果、そんな考えは甘かった。

 まず森は思った以上に入り組んでて、しかも似たような景色ばっかだからすぐ方向感覚がおかしくなる。クズハが言った通り魔物も大きくて強い。師匠は瞬で殺すけど俺たちには手強いし、相手にしてたらキリがねぇ。

 そしてなにより、体力が保たないことが問題だ。

 戦い以外で闘気を出すのは、闘志がなかなか湧かないからすっげぇ集中力がいるし、維持にはめちゃくちゃ体力を消耗する。

 妖力も似たようなもんらしくて、クズハは片道、俺は帰りの半分で力尽きてしまった。


「がんばったけど……それじゃあ話にならない……まだ午前……午後に死ぬの?」


 抱えられて岩山に戻った俺たちは、師匠の闘気に守ってもらいながら口撃を受けていた。


「うぅ……なにも言えない」


 うつ伏せのクズハが涙ぐんだ。


「くそ……なにをすればいいんだ」


 考えろ俺。

 前の人生なら今頃、悪態をついて帰ってるか逆ギレして殴りかかってる。でも、今はケイン・ローガンだ。考える頭も経験もあるはずだ。


「闘気を出さねぇと死ぬんだ。でも出したらヘバる……いや、待てよ」


 じゃあなんで師匠は余裕ぶちかましてんだ。


 体を起こして、体育座りの全身黒ずくめを観察する。手から伸びる闘気はなんだかんだ言いながら、俺たちを守るために強くて優しい波動を感じる。

 でも、体は違う。

 薄い闘気が全身を包んでいる。服が黒じゃなかったら、気づかなかったかもしれないくらいだ。


「そうか、最低限でいいんだ。魔素が濃いってだけで、べつに攻撃受けてるわけじゃねぇから」


 闘気も妖力も戦うための力だから、使うときはどうしてもデカくなってしまう。

 その基本が間違いだったんだ。


「ちょ、ちょっと。一人で解決しないでよ!」


 クズハもなんとか起き上がった。


「イメージは、全身を包む薄い膜みたいなもんだ。出しとくのは、そのくらいでいいんだよ」

「な、なるほどね。よし、やってみましょ」


 岩場の上に胡座をかいて目を閉じ、揃って呼吸を整える。

 

 イメージしろ、ゆっくりでいい。

 皮膚のすぐ上が、うっすら光っているだけでいいんだ。


 想像して目を開けてみた。

 さっきより弱くはなってるけど、大きく波打って安定しない。


「くっそ、どうしたら……」


 手本は目の前にいるが参考にならん。

 あと闘気の使い手といえば、ダインとライオスだけど……。


「あっ」


 思い出した記憶。

 初めて闘気を見た四歳のとき、ライオスの光は師匠と変わらない小さなものだった。あのときのライオスは戦っちゃいない、晩酌中だった。それなのに闘気が見えたのは、剣を握ったからだ。


「よしっ!」


 剣を抜いて柄をしっかり握りしめる。

 戦うわけじゃない。だけどなんにもしてない状態じゃ、今の俺には闘気を操れない。なら、格好だけでもつければいい。いつでも戦える状態にして、闘志を静かに燃やすイメージだ。

  

 刀身に自分の姿が映る。

 じっと見ていると、全身を包む光が理想の状態になり穏やかに安定していった。


 ありがとう父上。

 あのとき相談に行って本当によかったぜ!


「クズハ、コツが分かったぞ!」


 早く教えてやろうと思ったけど、無駄だった。

 クズハは印の構えをとって、同じように安定させていた。


「合、格……それでいい、よ」


 パチパチという小さな拍手が、この上なく嬉しかった。

 二人でハイタッチをして、いっしょに喜んだ。


「……じゃあ、修行の……具体的な内容……言うね」


 二人して自然と背筋が伸びた。


「クズハは……これ」

 

 取り出したのは、鳥のおもちゃ。

 手のひらくらいの大きさで、なんとなく燕に似ている。兄貴が使うのと同じなのか、本物みたいに飛び立った。


「あの子を……捕まえてごらん……近くの魔物は私が倒したから……しばらくは……安全……でも、時間が経つと……また集まるよ」

「お、押忍!」

「明日からは……小太刀も教えるから……午前は鳥さん……午後は剣術」

「マジですか! じゃなくて、押忍! いってきます!」

「頑張れよー!」


 森の中に入っていく小さな影は、もう見えなくなった。


「ケインは……あ、そうだ……心人流と牙獣流はできてるから……他の三つを……教える、ね」

「マジっすか! じゃなくて、押忍!」


 願ってもない修行だ。

 化身だけじゃなくて全種族の流派を剣聖が教えてくれるなんて!


「まずは……風耳流……」


 言いながら、師匠は鞘の先端で俺の足元に小さな円を描いた。


「そこから出ずに……私の攻撃を……避けて」


 初っ端からボコボコにされる未来しか見えねぇ。


「押忍! よろしくお願いします!!」


 でも、俺だって気持ちじゃ負けてない。

 この修業でさらに強くなってやる!


 気合いを入れて臨んだ修行初日。

 早々に容赦ない一撃が後頭部にぶち当たった。

 気づいたら夜になってて、疲労困憊のクズハに笑いを届ける結果になった。


 ……ちくしょう。

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