第2輪④

 後片付けに勤しんで午前四時になった。東の空が明るんで、黒弓さんと白代くんとともに正門に向かう。

「はぁ美味かったぁ。料理って全然やったことないけど、案外楽しいんだな!黒弓、初心者でも簡単に出来る料理とかないの?」

「初心者なのに冒険するあんたにまともな料理が出来るとは思えないんだけど」

「きついなぁ相変わらず。新入り、今日はどうだった?」

「思ってたのとは大分違ったけど、楽しかったよ」

「だろ!人数も増えたし、俺も久しぶりに楽しかったなぁ」

「成瀬はまだ見学者でしょ。次の活動も来るの?」

 思い返せば、見学だけのつもりが体験までしていたし、内容を理解できないながらも部内の雰囲気にのめり込んでいた。そう思うとなんだか悔しくなった半面、カルト部活動と怪しんでいた自分をまた殴りたくなる気持ちもあった。しかし、心のどこかでまだ疑っている自分もいて、身を委ねようとは思えなかった。だから試すように、曖昧に返事をした。

「来てもいいなら、来ようかな」

「おぉ大歓迎!じゃあ、明後日の午前一時にまた第二理科室でな」

 白代くんが閉ざされた正門を慣れた手つきで開ける。同学年でも部内では先輩のような貫禄と頼もしさがある。白代くんは振り返って、太陽が昇る方を指した。彼の重ための茶髪が微睡む夏の朝焼けに照り込む。

「俺はこっちだけど成瀬は?」

「僕は反対」

「ならここでお別れか。また明後日な!」

「うん、バイバイ」

「おやすみ」

 白代くんは挨拶を告げると、明るんだ空の方に歩いていった。黒弓さんは僕と同じ方なんだろうか。遠ざかる白代くんの背をじっと見つめている。目に入れても痛くない太陽に照らされる彼女は、第二理科室の暗がりではわからなかったが、整った顔立ちをしている。艶のある黒髪と白い肌のコントラストがそう見せているのかもしれない。何を考えいるのかわからない無表情が唇から崩れた。

「成瀬。先生から聞いたと思うけど、この部活のことは口外禁止だから。それと、部活以外で私と関わろうとしないで。知り合いだと思われたくないから。おやすみ」

 言いたいことだけを端的に述べて、黒弓さんは白代くんの歩いた跡を辿った。同じ部活の同級生でも馴れ合う気はないらしい。

「おやすみなさい……」

 一方的に言い包められた僕は、彼女の背に別れを告げた。多分聞こえていないが、聞こえなくていい。僕が本当におやすみしたいのは、あの朝日なのだから。

 何処かで蝉が鳴き始めて、新しい一日が始まる。僕は太陽に背を向けて、月が沈む方へ向かった。


 家に着いてベッドに横になると、少しだけ眠気が襲ってきて、瞼が重くなった。そのまま目を閉じていればそのうち寝るだろうと、明るくなった世界で今日の出来事を復習した。

 見学に行って、本当はよかったと思った。夜に眠れないことへの劣等感や対等な友人がいない孤独感とか、後ろめたくなって向き合いたくないようなことがあそこでは当たり前で、その当たり前を受け止めてくれて、ありのままの僕でいてもいいと言ってくれるような場所だった気がした。

 僕は学校に行くことは憂鬱だった。不眠症のせいでもあるけど、理由は他にある。かと言って、引きこもりになる勇気もないし、仮病を使うほどせこくもなれない。無断欠席で学校から電話がかかってきて、両親に迷惑をかけることもしたくない。自分を殺しながら過ごす日々は空虚で、無味乾燥としていて、こんな人生でいいのか悩みながら、どうすればいいのかもわからず、なんの決断もできないまま、僕は日に日に若さを殺していった。


 目覚まし時計が鳴る。いつの間にか眠っていたようだ。

 眠れた。寝ていた。警鐘に驚いたことで瞼が冴えて、心臓が元気よく跳ねている。警鐘が鳴らなければ、いつまで眠れていただろう。惜しい気持ちを胸に、顔を洗いに洗面所へ向かった。制服のまま寝ていたので着替える手間が省けた。

 温気は少し和らいで、蝉の騒ぎも遠のいたけれどまだ暑い。今週末は台風が上陸すると、昨夜のニュースでやっていたことを思い出しながら今日の太陽と再会する。

 いつもの通学路。いつもの遅刻仲間。いつもの生徒指導部。五時間前まで僕はここで部活動をしていた。誰も知らない秘密の夜会。そう思うと特別な気持ちになって、僕はわざとリズミカルな足音を立てて、正門を通った。担任よりも早く教室に着きそうと思ったところで、ホームルームのチャイムが鳴った。

 今日は後ろの扉から入ろうと思った。ゆっくり開けるのと思いっきり開けるのとどちらがいいか迷ったが、普通に開けた。固定席に座っても今日は寝る気にはなれなかった。久しぶりに真面目に授業を受けてみよう。憂鬱だった気分が自分でも単純だと思うほどに浮上していって、こんな愚かさもたまにはいいかと思った。


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