第1輪③ 

「勧誘失敗しちゃったな。彼、絶対うちの部向いてると思ったのに」

「先生の説明が悪いからじゃないですか?」

「だって、うちの部活を一言で説明できる?」

 ベッドのカーテンを開けて、彼女は自分が寝ていたベッドを整えながら静かに考えた。真昼の太陽がここでは少し涼し気に感じられる。保健室の主は卵焼きを齧った。

「夜が好きな人が集まって好きなことをする部活、でいいんじゃないですか?」

「楽しそうな説明だね。今後、彼の説得には君を使おう」

「やめてください」

「相変わらずの塩対応。よく眠れた?」

「おかげさまで。教室に戻ります」

「うん。行ってらっしゃい」

 主はご馳走様のポーズをとって弁当箱を仕舞う。彼女が去る間際に思い出したように聞いた。

「明日、彼来ると思う?」

「どうでしょうね。夏休みが明けてからは見かけてないですけど」

「そっか……わかった」

 彼女は軽く会釈をした。扉が閉まるのと同時に予鈴が鳴った。


 午前中に寝たおかげで少し身体が楽になった。蝉の騒ぎは相変わらずだが、エアコンの効いた教室は朝よりも気持ちを楽にさせる。

 五限。いつもこの時間はみんな眠そうにしていて、いっそのこと全員眠ってしまえばいいのになんてことをよく考えていた。しかし、今はカルト部活動のことで頭がいっぱいだ。怪しいことに変わりはない。けれど、自分と同じ境遇にいる生徒が真夜中の学校に集まって何かやることは純粋に楽しそうだと思った。

「ドーナツの穴なんて、どう見たって存在するでしょ……」

 リスニングのCDにかき消される独り言を呟きながら、ノートの隅にドーナツを描いた。大きな輪っかの中に一回り小さい輪っかを描けば完成だ。しかし、それだけではタイヤやフラフープに見えてしまうかもしれないので、シュガースプレーも描き足した。

 CDデッキから流れる異国の言語のコールアンドレスポンスにはいつまでも乗り気がしない。同じ制服、同じ場所、同じ時間のなかで同じことをするのは、僕が僕自身を殺している行為のように思えたし、実際ここには誰もいないように思えた。ならば、眠って夢のなかに行ってしまったほうが僕は僕自身を殺さないで済む。そう思って机に頭を伏せた。

 六限の終わりを告げるチャイムが鳴れば、クラスメイトたちは水を得た魚のように帰路の準備を始める。始めからこのライブ会場は肩身が狭いのだと、誰もが主張している。いっそのこと全員でボイコットを起こして、ここの退屈さと窮屈さに悲鳴をあげたい。そんなことを誰もが薄々思っているだろうに、誰もそうしようとはしない。僕だってそうだ。

「成瀬、今日六限も寝てただろ。来週のテストの内容、発表されてたぞ」

 僕の名前を呼んだ前の席の奴は、ノートを僕の前でひらひらとはためかせた。それは好きな子に意地悪をしたがる子どものようで、まだ覚醒しきれていない意識の片隅で苛立ちを感じたけれど、そんなくだらない挑発に乗る気にはなれず、無視を決めこんだ。僕の反応に彼の感情が萎えてしまったのか、彼は大人しくなって担任が教室の扉を開けた音に猫の反応をした。

 結局、今日も最後まで寝てしまった。

 ホームルームが終わって学校の玄関口へ向かいながら、僕は昼休みの出来事を回想していた。

 夜行生物部について、詳しく先生に話を聞くべきか迷った。今の僕にぴったりで、僕と同じ境遇にいる人たち。そんな言葉の羅列を反復させるたびにカルト宗教味が強くなっていく一方で、何も知らないでこんなチャンスを逃していいものかと葛藤するばかりであった。迷った末に答えも出ずに、玄関口へ着いてしまった。西日が長い影を作ってまた夜が来る。

 夕食後は寝ていた分の授業の勉強と宿題に追われる。勉強は得意でも苦手でも、好きでも嫌いでもない。学費を払っているなら、最低限の勉強はするべきだと思っているし、僕は真面目な生徒なので予習や復習もちゃんとやる。おかげで授業中に寝ていてもテストの点数は良い。しかし本音を言えば、遅れた分を取り戻している認識に近い。

 気がつけば日付が変わっていた。今日が夜行生物部の活動日なら、もうすぐ部員たちが第二理科室に集まって呪詛やら子守唄やらを唱えているのだろう。

「そういえば、夜行生物部なんて初めて聞いたけど、みんな知っているのかな。今年からできた部活なのかな」

 なんとなくSNSで「夜行生物部」と検索をかけてみる。出てきたのは夜行性の生き物や生物学的なことばかりで、誰もその存在を知らなかった。僕はなんだか怖くなって、ベッドの毛布に包まった。恋しい夜がいつもと違う気がして嫌になった。それでも眠気が訪れることはなく、カーテンを半開きにして満たされない月を眺めていた。

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