宇宙の星はオレの家

沢田和早

宇宙の星はオレの家

「おーい、今帰ったぞ」


 と叫びながら帰宅する。返事はない。一人暮らしだから当然なのだが、それでも数日前までは言葉にならない叫び声が返ってきた。今はそれすらない。


「陸地の動物はあらかた食っちまったってことか」


 仕方ない。今日からは海の生物を食おう。その次は植物。生物がいなくなれば有機質を含む土。それら全てを体に取り込めばもうこの家は用無しだ。


「食事の前に少し休憩するか」


 山を枕にして寝転ぶ。この家もだいぶ狭くなってきた。半年前に降り立った時には赤道を一周するのに一万歩は必要だった。それが今は千歩だ。この家を捨てる頃には百歩くらいになっているだろう。


「目的地まではまだまだ遠いな」


 暮れかけた空を見て思う。旅に出てどれだけの時が流れたことだろう。どれだけの家を使い捨ててきたことだろう。家によって一日の長さも一年の長さも違うので数えることは不可能だ。辺境星系を裸一貫で旅しているので銀河歴を知るすべもない。


「みんな、元気でやっているかな」


 別れた人々の顔が思い浮かぶ。

 オレの故郷はクマムシ星、銀河最強の種族と言われるクマムシ星人の星だ。

 クマムシ星人はタフだ。高温高圧の過酷な環境でも絶対零度の真空状態でも余裕で生存できる。宇宙空間を素っ裸で飛行できるのはもちろん、惑星内部のマグマを風呂代わりに楽しむことだって可能だ。

 ただブラックホールの中でも大丈夫かどうかは定かでない。飛び込んで帰還した者がいないからだ。


 食うものだって困らない。オレたちの細胞はどんな物質でも取り込んで成長していく。大きさに限界はない。食えば食うほどでかくなる。特に太っているヤツは「百星ひゃくぼしデブ」と呼ばれている。文字通り惑星の百倍の大きさという意味だ。


 太るのが簡単なら痩せるのも簡単だ。飲まず食わずで活動すればよい。肥大化した細胞はエネルギーを吐き出して縮小していく。それにつれ体もどんどん小さくなる。

 まだ小学生だったころ、ゴマ粒みたいに小さくなったクマムシ星人に会ったことがある。


「すごいねおじさん。一体どれくらい絶食しているの」

「そうさな、銀河暦でかれこれ百五十年と言ったところかの」


 よくもそれだけ食う楽しみを放棄できるものだと感心した。

 ちなみに百五十年はクマムシ星人の平均寿命の一割程度の長さである。病気もケガも無縁なのでほとんどのクマムシ星人は老衰で死ぬ。どんなに最強の生き物でも老いには勝てぬのだ。


「さてそろそろメシにするか」


 まずは海水を飲む。この家の海はオレ好みの薄味だ。体が膨張したところで魚介類を貪り食う。さらに体が膨張したところでデザートの海藻を食ってディナーは終了だ。


「寝るか」


 再び山を枕にして寝転ぶ。昼は宇宙を飛び回って現在位置の把握と周囲の危険空間の探査。夜は帰宅してエネルギー貯蔵のための捕食。それが終われば睡眠をとる。家を見つけるたびに繰り返してきたオレの日課だ。


「今日もいい夢を見られるといいな」


 目を閉じると小学校の授業風景が見えてきた。ああ、そうだ。あの歴史の授業が切っ掛けでオレは旅に出る決心をしたんだったな。


「ええ、ボクらの故郷はここじゃないの!」


 小学一年生になって最初に受けた歴史の授業は衝撃の連続だった。クマムシ星人の古代史、それはオレの想像を超えていた。銀河辺境地にある太陽系第三惑星地球、その星に住んでいた人間という生物がクマムシ星人の祖先なのだそうだ。


「発達した科学技術は逆に人間を苦しめ始めたのです。汚染され破壊される環境、狂っていく生態系、植物は実らず、動物は子を産まず、蜂は蜜を集めず、水は汚れ、大気は濁り、人間は絶滅寸前でした。生き残る道を必死で模索する科学者たち。そしてついにひとつの解決策にたどりつきました。クマムシ遺伝子との融合です」


 もともと地球にはクマムシという生物が住んでいた。通常状態ではひ弱な生体に過ぎないが乾眠という状態になると最強生物へ変身する。科学者たちはこの乾眠状態を人間にも発動されられないかと考えたのだ。

 地球上の全科学力を結集した研究の結果、ついに目的は達成された。通常状態でも乾眠状態の能力を発揮できる宇宙最強の生物、クマムシ星人はこうして生まれたのだ。


「その頃にはもう地球は何の価値もないボロ家になっていました。クマムシ星人たちは新しい家を求めて宇宙へ飛び出しました。長い旅の末にたどりついたのは銀河中心部の最大恒星系の最大惑星でした。彼らはその星をクマムシ星と命名し第二の故郷としたのです」


 この話を聞いたオレは地球に興味が湧いた。オレたちの本当の故郷、地球。どんな星なのだろう。行ってみたい、見てみたい、住んでみたい、その思いは日増しに強くなっていった。そして成人式を終えたその日に家族全員に宣言した。


「オレは地球へ行く!」


 忠告する者はいたが反対する者はいなかった。どうせ寿命が来るまで死なないのだから好きなように行動すればいい、それがクマムシ星人の基本的な考え方なのだ。


 こうしてオレの地球への旅が始まった。宇宙は広い。エネルギーを大量に補給できる星――それをオレたちは家と呼んでいる――は限られている。もし見つかればことごとく食い尽くして自分の身の内に貯蔵しておかなければならない。


「この家は小さいながら住み心地は抜群だな」


 たまに素晴らしい家を見つけることがあった。このままここに永住したい、そう思わせる家もあった。だが地球への思いはそんな思いよりもはるかに強かった。なんとしても地球へ行く、それだけが今のオレの生きがいなのだ。


 * * *


「さて、そろそろここともオサラバするか」


 この家に来てちょうど一年が過ぎた。オレに生物と資源を食い尽くされたこの星は、今ではもう立派なあばら家に変わり果てている。その代わりオレの体はここに来た時の百倍はでかくなっている。と言っても百星デブには到底及ばない大きさではあるが。


「おまえはいい家だった。ありがとよ」


 出発は公転速度を利用する。地球への方向とこの家の公転方向が一致した瞬間に宇宙へ飛び出すのだ。


「今だ!」


 渾身の力を込めて住み慣れた家を蹴とばした。オレの体は一気に宇宙空間へと射出された。

 後ろを振り返る。あばら家になったオレの家が恒星目掛けて落ちていく。オレが蹴とばして公転速度がゼロになったため遠心力を失い、もはや恒星の引力だけが作用する状態になってしまったからだ。


「すまないなオレの家。迷わず成仏してくれ」


 ここへ来るまでに住んだ家は全て同じように葬った。胸が痛まないでもないがクマムシ星人とはこのような生き物なのだ。宇宙がこのような生物の存在を許してくれているのなら、このような所業もまた許されるべきである。


「そうさ、考えるべきは過去ではなく未来。地球よ、オレが行くまで消滅したりしないでくれよ」


 地球はすでにあばら家になっている、誰もがそう言っていた。

 行く価値などない、そう言うヤツもいた。

 そんな果てまで行ったらクマムシ星には二度と戻れないぞ、そんな余計な心配をする者もいた。

 だがオレはそれでも構わない。地球に骨を埋めることになってもいいのだ。もし地球があばら屋になっていたら宇宙を飛び回って立派な家にリフォームしてやる。そして住み心地のいい家になったら暴飲暴食はやめて、かつての地球人サイズの大きさを保ちながら余生を過ごすのだ。


「待っていろよ、地球」


 一発でかい屁をこいた。体が加速する。快適な別荘ライフ、それはもう手の届くところにある。オレは明るい希望を胸に抱きながら真っ暗な宇宙空間へ猛然と突進を開始した。

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