第9話 宿泊


宿屋は鉄板を張り付けた様な壁で、中へ入ると床は板だった。

宿屋の店主は鼻の下にちょび髭を生やしていた。なめてんのか。


「二万程で何泊出来ます?」


俺が聞くと店主が声を発する。

この店主の声はとにかく酷い、ノイズが混じっていて、子供や女性の声を混ぜた様な合成音声だった。


「プロフェッサー、24時間で千円らしいです」


『―――■■』


「それと……一泊を越えたら、一時間毎に五十円追加されるらしいです」


なんだそのシステム。漫画喫茶みたいなものか?

と言う事は、十時間で五百円、二十時間で千円で、+四時間で二百円。

二日以降は千二百円になるってワケか……面倒臭いシステムだな。


「じゃあそれで、部屋は……」


「プロフェッサー、お風呂が付いてある所が良いです」


アルトリクスがそう言った、風呂付きか、高いんじゃないのか?


『―――■■』


「あ、そうなんですか?……プロフェッサー、お風呂はありませんが、シャワーは無料みたいです、けど、バスタオルや石鹸、ボディーソープ、シャンプーとリンスが有料みたいです」


「漫画喫茶かよ」


まあいいや、少なくとも一日程休めれば後はなんでもいい。

するとちょび髭の店主型機械人形がカギを渡してくれる。

鍵には樹脂で作った四角いキーホルダーが付いていて、キーホルダーには番号は振り分けられていた。数字は『223』で、この新世界でも数字はあるのかと思った。


「223と言う事は、二階の23号室、と言う事ですね、いきましょう。プロフェッサー」


俺は頷いて、アルトリクスと共に二階へと上がる。

鍵を使って部屋の中に入ると、中はかなり狭かった。六畳一間ほどの部屋で、その半分がベッドで埋まっている。


「中身は格安ホテルみたいなもんだな……取り合えず」


俺はベッドの上に座る。溜息を吐いてウインドウを眺める。

アルトリクスは俺の前に立っていて、静かに手を伸ばしていた。


「ん?……どうした?」


「あの、プロフェッサー、シャワーを浴びたいので……」


あぁ、金か。

俺は懐から数千円を取り出してそれをアルトリクスに渡す。


「使い過ぎるなよ」


そう忠告して、アルトリクスが頷き部屋から飛び出て行った。

俺は一人になった部屋の中で、どうするかを考えていた。


「……やり直したいな」


口を開けばそんな単語が出て来る。

少し疲労が混じっていた為か、頭が働かなかった。

本当は、このままアルトリクスの傍で色々な事を試してみたかったのだが、それをせずにそのままシャワーへと行かせてしまった。


「……まあ、いいか、少し疲れたし……」


俺はベッドの上に横になる。

そのまま目を瞑って、瞑想をする事にした。


しばらくしたら、アルトリクスも帰って来るだろう……。

それまで、少し目を瞑って、休息を……。


俺は何時の間にか、夢の世界へと向かっていた。

夢の中の俺は少しだけ幼い。部屋の外を眺めると、父親が俺のゲーム機を叩き割って、バーベキュー用のドラム缶の中に放り投げていた。

その中には、俺の漫画やライトノベルなど入っていて、バッシュやアイスピックで強制的に空気を抜いたバスケットボールを燃やしていた。


呆然と部屋の外を眺めていたら、頭を叩かれた。

顔を上げると、母親が俺の方を睨んでいる。


『何をボーッとしているの、手を動かしなさい』


そう言われて俺は自分の意志に反して勉強を始める。


『貴方は頭が良い学校に入るの、高校、大学、そして良い会社に入るの、今の内に頑張らないと、頭の悪いお馬鹿さんになるのよ?』


勉強を進めて、少しでも行き詰まると母親が俺の頭を叩く。


『こんな問題、簡単に解けないと駄目でしょ、こんな所で躓いたら、テストで良い点を取れないでしょ?お父さんとお母さんを悲しませたいの?どうなの?ねぇ』


あぁ、今にして思えば。

なんとヒステリックな母親だったのだろうか。

見て欲しい、俺の現状を、俺を良い社会人にする為にと、俺の私物を全て捨てさせたのだ。そして携帯電話も使わせず、睡眠すら一日に二時間のみと言うスパルタ気味。

予備校へと通わせて、テストの点数が悪ければ手の平をベルトで叩かれる。


それでも俺は腐らずに頑張った。お父さんお母さんを楽にさせる為にと必死になって頑張った。高校受験では成功したし、テストだってなるべく上位に入る様に頑張った。


学校で勉強して、終われば塾に行って、帰ったら勉強して、食事は昼の時しか食べれなかった。それ以外は全て勉学に費やした。

そしてその結果が、大学受験の失敗だ。あの時の俺は悔しさよりも苦しさが勝った。哀しみよりも恐れを抱いた。

本当は、大学受験を失敗した時点で、俺はもう一度勉強着けになるつもりはなかった。

ただやり直したいと思っていた、あの親の為に頑張ると言う感情は、口に出しただけのまやかしで、本当の俺は、……やり直したかったんだ。

何をやり直すのか、それは当然……。


そこで、俺は目を覚ました。

苦しさを覚えた俺は、過呼吸でもなったのか、息を吸い込めない。

涙を流して、此処には両親が居ない事を悟ると、ようやく安堵の息を洩らす。


「……プロフェッサー、どうかされましたか?」


そんな声が、隣から響いて来る。

声をする方に顔を向けると、紫色の髪が目に入る。

ベッドの上に俺とアルトリクスが眠っていた。


「…あー」


なんというべきか。

流石に一緒のベッドは不味い、とでもいうべきか。

それとも、何も言わずベッドから離れるか。


そうだな、何も言わずにベッドから離れた方が良いだろう。

俺は涙を拭いて体を起こす、俺の手には、傷痕は無かった。

そんな俺の手を握り締める、アルトリクス。


「プロフェッサー……泣いてるんですか?」


顔を上げて、アルトリクスが声を掛けて来る。


「……まあ、な。疲れてたんだ。少し怖い夢を見た、それだけだ」


内容は伏せて、そうアルトリクスに告げる。

我ながら情けない姿を見せてしまった、そう反省する。


「……もう少し、ベッドの上で休んでいましょう。プロフェッサー。貴方は私の道しるべ。柔らかなベッドで疲れを癒して下さい」


「……あぁ」


あんな夢を見たせいか、精神が少し参っている。

彼女の言葉に釣られて、俺はベッドの上に寝転んだ。


「大丈夫です。プロフェッサー、此処には私が居ます。悪夢が恐ろしければ、私の手を握って下さい、夢の先まで向かっていきますから」


「……それは」


甘い言葉だ。

傾国の姫君が囁く様に、魔性の女が擦り寄る様に、俺の心から安堵を届けてくれる。


「……それは、無理だろ」


俺はなるべく、元の俺に戻る様に、彼女にそう告げて、俺は息を吐いて眠る事にする。

今度は、悪夢など見なかった。


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