第11話 知略鮮やかに

河内東条に正儀が構えた城。

 正行はそこで体を休めていた。

 そこへ正時が足利軍出陣の報をもって自ら駆けつけてきた。

 おおの大将として山名時氏が住吉へ、細川顕氏がからめの大将として天王寺へ向かっているという。


「他にも摂津、播磨から赤松氏が、阿倍野に土岐、明智、佐々木の軍勢が進んでいるそうです」


「味方はどうなっている」


「はい、住吉、天王寺他五箇所に陣取って」


「して、我が軍の総勢は如何いかほどか」


「合して二千騎になるのではないかと思われます」


「ずいぶんと増えたものだな」


 藤井寺合戦から、まだ十日と経っていない。

 正行にはおぼろげながら足利幕府の弱点が見えていた。

 しかし、今の吉野にはこの弱点を衝く力がない。

 あと三年、いや二年か。

 正行が和泉河内で負けない戦を続けていれば、足利幕府の弱点を白日の下に曝せよう。

 その時まで正行に敗北は許されない。


「住吉、天王寺の足利方の動きは」


「特にありません」


「京を立った時の軍勢は」


「六千余りと報告を受けております」


 正時の返答はよどみない。

 それだけ楠木の情報網は機能している、信頼できると言うことだ。


「攻めるぞ、正時」


 正時は呆気に取られた。

 味方も増えはしたが、敵方もまた天王寺の折の倍の軍勢で攻めてきている。

 搦手の大将顕氏は前回の雪辱を期し、なおも四国から数千騎を呼び寄せようとしているという情報がもたらされていると言うのに、この兄はそれを攻めようと言うのだ。


「勝算は」


「ある。大手住吉を追い落とす。さすれば天王寺は戦わずして必ず退却する」


「なぜ言い切れるのです」


「細川勢とは藤井寺で当たっている。あの折の記憶は敵味方に未だ強く残っている。住吉を抜けば、騎馬武者から雑兵に至るまでそのときの記憶がまざまざと蘇ろう。さすれば鬨の声ひとつで怖気おぞけを振るって逃げ出そう」


 正時は顔に似合わぬごうな正行の言動に腹の底から愉快になった。


「であれば兄者が出るまでもありますまい。この正時に大将をお任せください」


 正行はわずかに視線を向けたが、すぐさま自らの支度にそれを戻す。


「この一戦を勝つだけならばそれもよかろう。むしろ正時の方が上手に勝ちを収められると思うが……」


「思うが……なにか」


「いや、よい。父と同じことがしたいだけだ」


 それは一面の真実だった。

 残念ながら正時には劣勢の軍勢の心理や大将のあるべき姿、三手先まで見通した戦略を理解する器はないようだ。

 合戦一つ一つにおける戦術は正行より数段上である。

 将としても常に勇猛にして苛烈。

 体格も兄弟の中で一番恵まれていたので、戦場ではよく映える。

 武者振ではなまじな武家よりよほど板についているのだ。

 いや、だからこそ兵卒の機微に疎いのかもしれない。

 正行の作戦は一点突破である。

 しかし、正直に当たっても勝味は薄い。

 彼はまず全軍の集合に先立ち、楠木の郎党五百騎で住吉に進出した。

 この辺りは不謹慎ではあるが、合戦の一つの醍醐味である。

 命のやりとりである直接的な激突の前に、いかに味方に有利な状況を生み出すか。

 鎌倉討幕以降の戦は、兵一人一人の強さによる力比べではなくなり、互いに知識と知恵の比べ合いにその後の命の散る数がかかっている。

 そんな戦ではやはり楠木党に一日の長があった。

 足利方大手の大将時氏は敵方が二千騎近くに膨れ上がっているという情報と、過去の楠木党の合戦の仕方を基にいくつかの小勢に分けて各陣地を奇襲にくると踏んだものか、赤松勢を住吉浦の南に進ませ、阿倍野の軍勢は東西に展開させた。

 これに個別に当たろうとすれば、一つ一つの部隊は二、三百騎にならざるをえないだろう。

 奇襲にさえ気をつけていれば、そのような小勢に押し負けるような足利軍ではない。

 敵軍をしっかり受け止め、展開した軍で圧し包むように陣を狭めていけば必然全滅させられる。

 そう言う腹づもりであった。

 搦手の細川勢には念のために入れ替えの新手として天王寺の陣に待機してもらうように伝令が走る。

 騎馬武者が動けばどうしたところでその動きが敵方にも知れるのは仕方ない。

 ましてまもなく接触という近場で千騎、二千騎と動けばその意図まで伝わろうというものだ。

 そして、そういう行軍中はえてして敵の行軍に気付きにくい。

 正行はいく手かに分けてあった軍勢をできるだけ静かに瓜生野の北に集めた。

 瓜生野は拓けた土地であり、時氏が本陣を進めている。

 この辺りに実は足利方の武将の楠木党に対する無意識の怯えが見て取れるのではないだろうか。

 本来であればどこから襲われるか判らない平場などに軍を進めるべきではないと思う。

 しかし、楠木党の奇襲は常に複雑な、見通しの効かない山間や森などの地形を利用した神出鬼没な攻撃が多い。

 京での戦評定の折、口では「楠木恐るるに足らず」などと豪語していても、やはり深層心理のうらには神出鬼没で彼らには考えも及ばない奇抜な奇襲に恐れを抱いていたに違いない。

 今回の奇襲はまさにその心理の逆手をとった戦法である。

 しかし、この奇襲は代償も多い。

 正行の策略によって兵力を分散させ得たとはいえ、本陣に残っている軍勢はまだ味方のそれに倍するほどに多い。

 この一戦に勝利しても、次の戦を戦えないほどに損害を受けては意味がない。

 足利との戦いはこの先も長く続くものと覚悟している正行なのだ。

 そのためには今は一人でも多くの兵に生き残ってもらわなければならない。

 だからこそ、彼が自ら出陣しなければならなかったのだ。


「正時」


 刻々と近づく決戦にはやる弟を呼びつける。


「騎乗の武者にもすべて槍を持たせろ。用意してある」


「槍をですか」


「そうだ。騎馬武者から雑兵に至るまで、射手以外のすべての兵に槍を構えさせろ」


 槍は当時最新の武器である。

 建武二年、鎌倉に居座る尊氏を討伐するために出征した義貞軍に加勢していた菊池一族が箱根竹之下の合戦の折に考案し、千本の槍で大戦果を上げている。

 以来、戦場ではしばしば使われるようになっていたが、どちらかといえば間合いの遠い卑怯な武器、雑兵の武器と見られがちであった。


「なぁに、我々は元々悪党よ。卑怯と呼ぶなら呼ばせておけ。勝たねばならんのだ、この戦」


 正行は自ら槍を右手に涼しい顔で全軍に命令を下す。


「進め」


 小脇に槍を抱えた騎馬武者が一斉に敵陣めがけて駆け出した。


「射て」


 射手の放つ援護射撃が不意を突かれた山名軍へと降り注ぐ。

 敵も味方に倍するほどの矢を応射してきた。

 その中をくぐり抜けて先陣が陣中深く突き入った。

 たちまち激しい斬り合いとなり、足利方は大将時氏までが多数の矢傷切傷を受けるほどの混戦となった。


「退くな、進め」


 時氏は満身創痍で叫び続けたが先に心が折れたのはやはり槍の前にその身を晒し続けていたかちの兵たちだった。

 徒同士でさえ槍の長さになかなか近づけないというのに、騎馬武者に槍を振り回せれればどうにもならない。

 太刀と違って槍に殴られれば、鎧の上からでも衝撃が体の奥まで通ってくるのだ。

 本陣が天王寺への退却を始めると阿倍野からこれを守るために兵が駆けつけたが、勝ちに乗じて勢いのついた楠木軍を防ぎきれず、本陣ともども天王寺への退却を余儀なくされた。

 こうなると敗軍が一気に流れ込んできた細川勢はひとたまりもない。

 なにせついひと月前にも手ひどく蹴散らされた楠木軍が、以前の数倍の兵力で、しかも勝ちに乗じて突き込んできたのだ。

 敗走して来た山名軍の恐怖と藤井寺合戦の時に受けた恐怖が互いに相乗して収拾がつかなくなる。

 そして、その恐怖はやはり住吉浦で海岸警護に就いていた赤松勢にまで伝染し、こちらでも浮き足立つ。

 このような心理状態では、いかほどの抵抗もなし得ない。

 足利軍は一刻いっときと踏み止まれずに潰走を始めたがいかんせん無秩序に万余の兵が集まってしまった上に、背にしていたのは大河である。

 わずかな橋に殺到し、多くの兵が初冬の河に落ち込んだ。

 これを見て時氏も観念し、一度は腹を斬ろうとしたとまで言われている。

 天王寺まで急追した正行は、攻勢の手を緩めて河を流れる足利勢を引き上げさせた。

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