第十一話:DETERMINATION


「それで、 彼は?」

 レオンは男—サムにそう尋ねた。哀れむようでもさげすむようでもなく。

「ああ、命は取り留めた。だが—」

 そこでサムは躊躇したようにいったん言葉を切った。 そしてこう言った。

「半身麻痺になっちまった。身体の左半分が動かせなくなっちまったんだ。

それが何を意味するか、分かるか?」

 レオンは静かに彼を見ていた。

「…バイオリンが弾けなくなってしまった、ダンはあんなに、あんなに大事にしていたのに…あんなに…大好きだったのに…」

 サムは声を震わせていた。そして帽子のつばをつまみ、深々と被りなおした。

「…それから色々な事があった。俺は—見舞いにも行けなかった。俺が…俺がダンをサーフィンに誘ったりしなければ、ダンが泳げないことを気づいてやってたら…そうしたらダンは」

 サムは腕をくみ、カウンターのテーブルに寄りかかる。

「俺の所為でクレラばあさんもひどい目にあった。ダンが病院に運び込まれたとき、ダンの父親が来てばあさんを罵ったんだーお前の亭主が悪いんだ、ダンに取り付いたんだ—ってな。そんなはずはない。馬鹿な話だよ」

 サムはレオンの出したアイスコーヒーをぐいっと飲んだ。

「全部俺の所為だと思った。ダンを見舞ってやる資格なんて俺にはないー俺はダンからバイオリンを奪った最低な野郎だ。そんなやつが見舞いに来たって嬉しいはずはない」

 レオンはサムがアイスコーヒーを飲み干したのを見て、 もう一杯を差し出した。するとサムはふと笑った。

「これはサービスか? それとも料金追加か?」

 差し出されたアイスコーヒーを指してサムはレオンに尋ねた。それに対し、レオンは微笑みながら静かに首を振った。

「そうかい、ありがとよ。—そうだ、結局俺は、ばあさんちに行ってみたんだ。ダンがああなってから何ヶ月も経ってからな。…謝って、それでもう二度と会うことはないと思った。でもな—」

 そう言うとサムは、思い出すように目を伏せて、後を続けた。

「ダンは実家に戻ってしまったと、そう聞かされた。ばあさんはものすごく寂しそうで…でも決して俺を責めようとはしなかった。…アイスコーヒーまで勧めてくれた」

 サムは俯いたまま首を振った。

「ものすごく飲みたかった、ものすごく。責められたほうがましだと思ったよ…泣きそうになった…そして俺は返事もせず、ばあさんの家を飛び出してしまった。…それから、会っていない。ばあさんにも、ダンにも」

 サムはふうと息をついた。そしてレオンを見上げる。

「それで俺はこのざまだよ。あの街になんかいたくなかった。俺は十六で家を出て、ここに来た。目的も何もなかった。酒と煙草のために働いてた。今の今まで」

 そこで彼の話を聞いていたレオンがふと思い立ったように、グラスを拭く手を止めた。レオンには珍しく、思案げな顔だった。

「サーフィンはまだしも、 スケートボードはどうされたのですか」

 いつもは微笑んでいてよく見えないグリーンの瞳が、まっすぐにサムを見つめていた。

「…ふ、やめたさ。ダンから夢を奪った俺がどうして」

 サムは自らを嘲笑するように笑って答えた。

「だがな、俺は突然その過去に引き戻された。…あんたの出した、 アイスコーヒーでな」

 そう言ってサムはレオンを見つめた。わたしは彼がレオンを責めているのかと思い、何か事が起きるのではないかと不安になった。でもそうはならなかった。

「俺はあの時まで、アイスコーヒーを一度も飲んでなかったんだ。全く小さな抵抗だよ。でも、あんたが思い出させてくれた。それで考えたんだ。そして分かった。あの時ダンに何をしてやるべきだったのか。あの時俺は、ダンに悪くて見舞いに行かなかったんじゃない。自分のためだ。ただの臆病で、卑怯なやつだったんだよ」

 そう言って彼は自嘲した。

「ばあさんちに行ったのだって結局同じことだ」

 しかしわたしは、 彼は自分を責めすぎていると思った。私からすればその事は事故で、彼が回避できたことではないと思った。—そもそも当時の彼の年齢で何ができたというのだろう。

「—でも俺は決めたよ。過去に向き合う。もう逃げない、ダンからも、自分からも」

 サムは顔を上げ、決意に満ちた目でレオンを見た。

「—ただ、その前にあんたに会っとこうと思った。あんたのアイスコーヒーをもう一度飲みたかったんだ。ばあさんの味のな」

 そう言って彼は、残りのアイスコーヒーを飲み干した。

「長く話しちまって悪かったな。あんたにはなぜか聞いて欲しくて。あんたに後押しされたんだと思うよ。あんたがこのアイスコーヒーを出してなきゃ、こうはならなかったろうさ。俺は逃げたまま、いつかどこかで、のたれ死んでたかもしれない」

 そしてサムは立ち上がった。見れば彼の脇には小さめの旅行鞄のようなものがあった。彼がここに入ってきたときには気づかなかったが。

「今俺はあの街に帰る片道切符以外、今一文なしだ。後戻りは無しだ。だから、 うまくいくように願っててくれよ」

 彼はスカスカに見える軽そうな鞄を、これまた軽々と肩に乗せ、ドアに向かって歩き出した。

 そして彼は最後に振り返り、

「ああ、それとな、この間は悪かったな。あいつらにはきつく言っておいた」

 そうして一度言葉を切ると、

「じゃ、アイスコーヒーありがとな。うまかった。—いいカフェだ」

 そう言って、彼は店を出て行った。


——チリリン


 古風な鈴の音が鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る