幸せ探偵部の事件簿 ~赤井きつねと緑野たぬき~

埴輪

幸せ探偵部の事件簿

 世の赤井さん、緑野さんは、自分の子供にきつね、たぬきと名付けたいという欲求に、どう抗ってきたのだろうか? きっと、並々ならぬ努力が必要だったに違いない。どうか後世のために、その秘訣をアーカイブしておいて欲しいものである。


 もっとも、世には手遅れという言葉があり、すでに彼女、赤井きつねと、僕、緑野たぬきが存在しているわけで、ただ願わくば、僕らが最後になればと切に願うばかりである。


 名前は家庭裁判所に名の変更許可の申し立てれば、変更することができる。もちろん、正当な事由が必要になるけれど、彼女や僕なら、一も二もなく許可されるに違いない。


 しかし、目下のところ、彼女も、僕も、名前を変えるつもりはなかった。お互いに十六年という長きに渡る付き合いではあるし、彼女の両親も、僕の両親も、「赤いきつね」と「緑のたぬき」が本当に大好きだし、彼女も「赤いきつね」が、僕も「緑のたぬき」が大好きだし、とどのつまりは、様々なデメリット──自己紹介した時の何とも言えない空気感は、永遠のものであろう──を差し引いたとしても、この名前を気に入っているのだから。


※※※


「事件だぞ」と、彼女は言った。


 赤井きつね。幸せ探偵部の部長である。僕は唯一の部員、緑野たぬきだ。


 彼女はどんな事件も5分で解決すると評判だった。そう、「赤いきつね」が出来上がるまでの時間。しかし、そこにはロスタイム──お湯が沸くまでの時間──が入ることもしばしばである。ちなみに、僕は助手であり、3分で事件を解決することはできない。悪しからず。


 目下、一番の難事件は「事件が起こらない」ということなのだが、どうやら、久々に事件が起こったらしい。とはいえ、事件らしい事件を扱ったことがないのが、幸せ探偵部である。


「今回は何なんです?」

「盗難事件だ」


 まさかの大事件である。というより、それは警察の出番だろう。だが、僕の思いを見透かしたかのように、彼女は「ちっちっちっ」と、大袈裟に人差し指を振って見せた。


「盗まれたのは赤いきつねと緑のたぬきだ。私たちが解決しない手はなかろう!」


 ……まぁ、被害総額をかんがみても、幸せ探偵部の出番が関の山という、珍事件であった。


※※※


 依頼人はクラスメートの丸戸さん。みんなからは「マルちゃん麺づくり」と呼ばれている女の子だ。ただ、それだと長いので、略して「マルちゃん」と呼ばれることが常である。


「私ね、お弁当だけだとお腹が空いちゃうから、非常食を常備しているの!」


 にこにこと語る丸戸さん。被害者でもあるのに楽しそうで、何とも張り合いに欠けるが、一方の赤井部長は真剣そのもの。犯行現場となったロッカーを、鋭く睨んでいる。


「いつもここに保管しているんだけど、取りにきたら、なくなっていたの!」

「不可能犯罪か」


 そんなご大層なものではないだろうが、問いが単純であるほど、答えが難解であることもあるのは確かだ。人はなぜ生きているのか、とか。赤ちゃんはどこからくるのか、とか。


「鍵はかけてあったんだよね?」


 僕の問いに、丸戸さんはうんうんと頷いた。


「鍵だけはしっかりかけなさいって、いつも言われているから!」


 感心なことだ。ただ、そうなると、不可能犯罪が俄かに現実味を帯びてきてしまう。


「このロッカーの中に、赤いきつね──」

「なんだ?」


 僕は赤井部長を振り返った。口角が上がっている。僕は「こほん」と咳払い。


「……うどんの、赤いきつねと、そばの、緑のたぬきがあるのを知っているのは?」

「えっと、ワンたんと、エビちゃん、かな?」


 ワンたんは王さん、エビちゃんは海老原さんのあだ名で、二人とも、丸戸さんの大の仲良しである。彼女たちが、親友の生命線を断つような真似をすることは考えにくいが──


「わかった」と、赤井部長。

「えっ、わかったって、犯人が?」と、僕。


 赤井部長は頷く。……またしても、5分で事件を解決してしまったというのだろうか?


「ああ。犯行の動機も、間もなく鳴るだろう」

「鳴る?」


 ──グググォゥゥゥ。丸戸さんのお腹の虫が盛大に鳴った。


「もう、お腹ぺっこぺこだよぉ!」

「……あ、いたいた!」


 丸戸さんのお腹の虫の音に導かれるように現れたのは、王さんと海老原さんだった。王さんの手には赤いきつね、海老原さんの手には緑のたぬきがあった。僕は思わず口を開く。


「犯人は君たちだったの?」

「犯人? 何それ?」と、王さん。

「私たち、マルちゃんの非常食の準備をしていただけだけど?」と、海老原さん。

「でも、ロッカーには鍵がかかっていたんだよね?」

「ううん。マルちゃん、いつも鍵を閉め忘れるから」と、王さん。

「何度言ってもね。だから、私たちが面倒を見てあげてるのさ!」と、海老原さん。


 ……そういうことだったのか。何のことはない、ロッカーは鍵がかけられておらず、誰でも開くことができた。そして、赤いきつねと緑のたぬきは盗まれたのではなく、持ち出されていただけだったのである。親友の生命線を断つためではなく、繋ぐために。


「ワンたん、エビちゃん、ありがとう!」と、丸戸さん。

「事件解決だな」


 赤井部長の満足そうな顔を見ると、事件なんて起きてなかったじゃないかとは、とても言えなかった。毎度のことではあるし、こんな事件の解決に5分以上もかかっていたら、麺が伸びきってしまう。まぁ、緑のたぬきは3分だから、いつも伸び気味だけれど、それぐらいで味が損なわれることはないし、結局、好みは人それぞれだから、これでいいのだろう。多分。


「ごめんなさい、わざわざ来てもらったのに……」


 恐縮する丸戸さんに、赤井部長は首を振って見せる。


「問題ない。さあ、早く食べてくるといい」

「うん! じゃあね!」


 丸戸さん、王さん、海老原さんの三人を見送り、残ったのは一つの謎だった。


「……赤いきつねと緑のたぬき、どうして二つともお湯が入れられていたんだろう?」


 僕がそう呟くと、赤井部長は「ちっちっちっ」と、大袈裟に人差し指を振って見せた。


「その謎を解くのは、野暮ってもんさ。そうだろう? 緑野たぬき君?」


 僕は頷き、事件簿には912キロカロリーとだけ、記載することに決めた。

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