6.「そういうのが好きなんですか?」

 「すっごく幸せそうですね」と言いながらも、千石の目は笑っていない。とりあえず言っとけ、的なのが伝わってくる。だけど今の私には、千石の冷たい視線など痛くも痒くもないのだ。


「えへへー。だって永良くんが出たんだもーん」


 私がそう言って頬擦りしそうなほど愛おしんでいるのは、ドリンクを注文した際についてくるアクリルスタンド付きコースターである。それはコースター部分は共通で、アクスタ部分が主要キャラクターの誰か、というものだ。ランダムに配られるので、袋を開けるまでどのキャラクターが出るか分からない。目当ての推しキャラが出ない場合は何杯もドリンクを頼む羽目になったりする、なんとも恐ろしいシステムなのだ。

 私もその覚悟はしていた。だけど、永良くんは一杯目で私の元へとやって来てくれた。これこそが愛の力だ。


「で、千石は誰なの?」

「えー、僕いらないからあげます」


 アクスタが入ったテラテラのシルバーの袋を投げやりに振りながら、千石はつまらなそうにぼやく。いらないと言うのなら貰ってやろう。というか千石の飲食代も私が払うので、そもそもわたしのものでは?という疑問は一旦置いておく。


「誰のなんだろー?」

「案外また隼人かもしれませんよ」

「えー?そうなら、あ……」

「あ、…………僕ですね」

「…………」


 ……ダメだ、我慢してたけど面白すぎる。僕ですね、って!そうなんだけど、僕ですねって!耐えきれずに「あはは」と声を出して笑った私に、「いらないなら僕がもらいますよ」と千石の不貞腐れた声が聞こえる。


「ダメっ!千石がさっきいらないってくれたじゃん!この千石は私のでーす」

「なんだよそれ。目の前に本物がいるって言ってんのに」


 あ……。優しく細められた目の向こうで、紫色の瞳が楽しげに揺れている。千石って、こんな顔もできるんだ。ずっと笑っててくれたらいいな。それは、私にとって初めての感情だった。


「あのー、すみません」


 私たちの笑い声が落ち着いた頃、うかがうように背後から声をかけられた。千石は僅かに顎を上げ、私の後ろを見ている。私が振り返ると、声のイメージ通り、若いーー私より、という意味だーー女の子が2人立っていた。


「はい?」

「突然すみません……あの、もしかして千石くんのコスプレしてるんですか?」

「え?」

「ぶふっ……!」


 女の子たちは頬を赤らめ、千石にそう聞いたのだ。その意味を理解した千石の顔といったら……申し訳ないけど耐えられるはずがない。

 私が吹き出すように笑った姿を見て、女の子たちは「あれ?違いましたか?」と不安げに瞬きを繰り返した。


「いや、これはコスプレというか、」

「コスプレです、コスプレ!」


 千石がなんと言おうとしたかは分からないが、ややこしいことになる前に言葉を遮る。私の言葉を聞き、女の子たちはキャッキャと嬉しそうにはしゃぎ出した。なに勝手なこと言ってるんですか?、とでも言いたげな千石の視線からは、全力で逃げる。


「すっごくかっこいいです!ね?」

「うん!本物みたいです」

「……あ、あぁ。どうもありがとうございます」

「あのー、一緒に写真撮ってくれませんか?」

「写真?」


 私に、どう思う?、と視線だけで聞いてきた千石に、首を振って考えを伝えた。

 幽霊とかって、写真には写らないって聞いたことがある。それが本当のことか、そもそも千石が幽霊と同じ立ち位置なのかさえ分からないけれど。万が一のことを考えて、不安要素は取り除いた方がいいだろう。


「ごめんね。僕写真が苦手なんです」

「そうなんですね!……残念です」


 肩を落とし、しょんぼりとした女の子たちを見れば私の良心が痛んだ。

 お邪魔しました、と自分たちの席へ帰って行く女の子たちを見届けたあと、千石が「もしかしてヤキモキですか?」と頓珍漢な質問を寄越した。


「ちっがうわよ!あんたのことを考えて、」

「はいはい、分かってますよ、冗談です」


 千石の笑顔はいつも眉が下がってる。困ったように笑うその姿が、私の胸を締め付けた。




 私の楽しみが終わると、次は千石の生活必需品の買い出しに向かう。


「せっかくだしオシャレな食器でも買うー?」

「そうですねぇ。お金はあとで返しますね」

「いや、それなんだけどさ、どうやって稼ぐつもりよ」

「……まぁ、いろいろと?」


 え、その言い方なんか怖いんですけど。あまり触れないでおこう。そう判断した私は「期待しないで待ってまーす」とだけ言うにとどめた。

 その言葉を聞いた千石は苦笑いを浮かべ、「あなたってほんと、一言言わないと気が済まないんですか?」と、軽い反撃。それを受けた私は、そっくりそのまま返すけどね、と心の中で毒づいた。




 普段なら絶対に入らないような、オシャレセレクトショップに足を踏み入れる。店内の大きな窓から差し込む太陽光が、綺麗に陳列された食器をキラキラと照らしていた。


「とりあえず、お茶碗とお箸、あとマグカップかなぁ?」

「ですね。あ、これとかどうです?」

「いいじゃん、千石っぽいよ」


 探し出してすぐに千石が手に取った茶碗は、白地に金色と黒色の2色を使って不規則な模様が描かれたものだった。それにお茶碗の内側も全面金色。この、ザ・自己主張!ってのが千石っぽい。


「それどういう意味ですか?」

「えー?いい意味でだよ」

「その顔は嘘をついてる顔です」


 千石の鋭い視線に捕まらないように、ふいっと体の方向を変え、「あ、お箸はこれとかいーんじゃん?」とシンプルな木のお箸を差し出した。

 呆れたように吐かれたため息と、細められた目元に「しょうがない人ですね」と言われている心地だ。だけど責められているような感じはしない。なんだか胸の辺りがくすぐったい。


「では、お箸はそれにします。あとは……マグカップか」


 そう言いながら、千石は真剣な顔つきでマグカップを選んでいる。千石専用の食器まで揃えて……この生活がいつまで続くのか、そもそも続けられるのかさえも全く分からないのに。

 それでもこの若さで命を落とした千石に同情していたのだ。それは漫画を読んだときからずっと。幼い頃に両親を亡くし、青春時代を全て魔物退治へ捧げ、そして何者にも変え難い親友たちを裏切り……そして殺される。そんな彼の人生に同情していたのだ。私の気持ちを知れば、千石は「そういうのやめてください」と嫌がるだろうけれど。

 まぁ、だから、助けてあげられるなら助けてあげたい。もちろん私の生活が脅かされない範囲で、だ。


「なに?瑠璃子さん、そういうのが好みなの?」


 まさか自分の生い立ちを同情されているとは夢にも思っていないだろう千石が、私の背後から急に現れた。


「わっ!びっくりしたぁ……」

「いや、もう、ほんとうるさい」

「……ごめん。で、なんて?」

「だから、そういうのが好きなんですか?って」


 そういうの、と言いながら、千石が指したのは私が手にしていたマグカップだった。


「あぁ、そう。かわいいなぁって」


 持ち手の部分が、四角いような少し変わった形をしている。連続する楕円模様がシックでオシャレだ。それに白地にくすんだピンクという組み合わせも私の乙女心をくすぐった。


「それ、ペアなんですね」

「みたいだね」


 私がマグカップを手にしたことによりできた空間の横、同じ形と同じ模様で、柄の色だけが違うマグカップが置かれている。もう一つの方は青色の模様だ。だけれどくすんだ青だからか、光の加減によっては薄っすらと紫色にも見える。


「ペアにしちゃう?」

「いいですね」

「へぁ?」

「……どんな声出してるんですか」


 いやいや、だって!絶対「しょうもない冗談はやめてください」とか「絶対嫌です」とか言われると思ってたんだもん!


「ほんとにいいの?」

「?はい。瑠璃子さんの分も、もちろん僕が支払いますからね」


 できるだけ早急に、と付け足して、千石は私の手からマグカップを取り上げた。そして自分の分のマグカップも棚から取り、レジへ向かって歩き出した。

 私も慌ててその後を追うが、少し立ち止まって振り返る。マグカップ2つ分、棚からぽっかりと開いた空間が、なんだか幸せの象徴みたい。




 バタバタと帰宅したのは、思っていたより買い物が長くなったからだ。タオルにパジャマ、あと少しの私服。千石の好みはハッキリとしていたので、選ぶのに時間はかからなかった。

 だけど服を選ぶなら若者の街がいいだろう、と人通りの多い繁華街に出たのが間違いだった。


 行くとこ行くとこで声をかけられて、もうクッタクタだ。「千石慧のコスプレですか?」に始まり、「芸能事務所には所属してますか?」「暇なら遊ぼう」(いや、これは横にいる私に気づけよ)などなど。イケメンも楽じゃないな。しかも千石慧はやたらと背が高いのだ。確か公式には発表されていなかったと思うが、有識者の推察によると185センチはある、ということだった。なんかそんなネット記事を読んだ記憶がある。

 まぁ、とりあえず人並み以上の身長はとにかく目立つのだ。それに加えてこの顔面だからなぁ。まぁ、仕方ないか。


 私はクタクタで疲れ顔だというのに、千石は朝出かけたときとちっとも変わっていない。これは若さ故なのか、元々のポテンシャルの問題なのか……どちらにしても私には悲しいばかりだ。



「僕がご飯作るんで、瑠璃子さんはお風呂入ってきたらどうです?」

「え、いいの!?うれしー!!じゃ、遠慮なく」


 いいよいいよ、千石も疲れたでしょ?、だなんて建前を言うこともなく、素直に有り難く好意を頂戴した。


「冷蔵庫の中、テキトーに使ってね」


 と、たったそれだけを残し、そそくさとお風呂場へ向かう。まじでこの選択が良くなかった、と今なら思うが、私には未来予知の力は備わっていないのだ。ということは、何度やり直しても同じ結末になるだろう。

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