第一章 第九節
彼らは最初、群れからあぶれた者達の集まりだった。
年老いた者。上位者に歯向かった者。育ちが悪く力の弱い者。皆それぞれが何らかの理由により元居た群れでの居場所を失った者達だった。
そう言った者達の集まりだったので当然ながら群れとしての競争力は弱く、他の群れを避けるように森の外に近い方へ、近い方へと追いやられるように移動することとなった。
森の表層に近づくにつれ木の実、獲物となるような獣達と言った森の恵みは少なくなり、森の魔力の薄い表層では獲物の量に比して得られる満足感も薄くなる。その恵みの少なさは彼らの首を真綿で締めるように苛んだ。
渇き、飢え、弱い個体から徐々に脱落していく中で集団のリーダー格のような振る舞いをしていた若い雄がある決断をした。
それは他の群れの者達が気味悪がり、忌避している動く死体ともいうべき存在に手を付けるというもの。
当然、年のいった者達がその決断を禁忌であると諫めた。が、彼らの飢えは限界に達しており、リーダー格含め数匹の雄が制止を振り切りその禁忌に手を出した。
腐敗している古い肉だ。当然美味くはない。だが腹はくちる。
若い雄。育ちが悪く弱かった者。最後には諫める立場にあった年老いた者達と順番にそれに手を付けるようになった。
変化は徐々に起き始めていた。
まず他の群れと出くわしても、相手がこちらを避けるようになった。これまでなら縄張りをかけての抗争になっていたのだが、相手が忌まわしいものを見たかのように自分達を避けていく。
次に、他の生物との接触が極端に少なくなった。これまでは僅かではあるが獲れていた獣も、見かけた傍から一目散に逃げるようになり狩りどころではなくなった。
そして通常の食事から得られる満足感の変化。新鮮な獣の死骸や木の実、柔らかい花などを口にしても満足することはなくなった。
それらの変化がさらに動く死体へと手を伸ばす原因となり、さらに禁忌を重ねる事になった。
動く死体を得られないときは衰弱した仲間を糧にすることにした。幸いと言うべきか、この方法なら僅かだが飢えや渇きが満たされることを偶然発見したからだ。
彼らは理解していなかった。
他の群れが抗争することもなく退いた理由、他の獣が逃げ出すようになった理由、通常の食事で満足を得られなくなった理由。
自分たちが何になり果てたのかも。
◇ ◇ ◇
レティシアの号令でクオンの指す方向へと前進を始め数分、奇妙な光景に遭遇した。
それは遠く木々の向こうで、一回りと言わず二回りも大きなクローエイプがほかの個体に牙を突き立てている姿だった。
牙を突き立てられている方はすでに死んでいるのかぐったりとして動かない。また、その周囲には同じようにして殺されたであろう個体がいくつも転がっている。
「なんでしょうか、あれは……共食い? でしょうか?」
レティシアが眉を顰め言う。
「わかりません……」
カークも同じように眉を顰めている。
クローエイプの生態に知識のあるレティシアやカークがわからないとなると、その共食いのような行動は既知のものではないのだろう。クオンの目にも、奇妙、というよりは不気味に映った。その言い知れぬ感覚に二人のように眉を顰める。
「なんにせよ、こちらに注意を払っていないのなら好都合。レティシア様、突撃命令を」
「え、えぇ。そうですね……総員、突撃!」
兵士達もその異様な光景に狼狽えていたが、命令が下れば即座に気を取り直し群れに向かって走り出した。
ボス個体と思われる巨体のクローエイプは兵士の立てる音にも反応を示さなかったが、周囲を周遊していた個体が戻ってきたのか周りの木々や草むらからクローエイプが飛び出してくる。
「《風よ撃て》」
先行する兵士達の頭上に飛び降りようとしているクローエイプ数匹を見つけ、クオンが手をかざし唱える。
風が不可視の槌となって枝から飛んだクローエイプを打ち払う。風の槌で弾き飛ばされたクローエイプは木の幹に叩きつけられ、全身を砕かれ絶命する。
前方、左右の草むらから飛び出した個体には兵士がそれぞれ対応し、ボス個体への道を作るかのように周囲の個体を押しのける。
「レティシア様とクオン殿は、あの巨大なヤツをお願いいたします!」
「わかりました。クオン殿、行きましょう」
兵士達に混ざってクローエイプとの戦闘に入ったカークにレティシアが頷き走り出す。
クオンもそれに遅れないようにボス個体へと走り出す。
「はっ!」
気合とともにレティシアがシルバーブリーズを振るうと、行く手を遮るように飛び出してきた数体のクローエイプの首を纏めて寸断する。
「《風よ穿て》」
次いでクオンが唱えた魔術により風が錐のように蠢き、首を失いよろめく一団の胴体を吹き飛ばす。
ここまでしてもやはりボス個体はこちらの動きは意に介さず、死体から流れる血を搾り取るかのようにしきりに牙を突き立てている。
「ここまでしても動きがないなんて、本当に気味が悪いですね……」
「っ……レティシア様!」
ボス個体まであと十メートルを切ったところで直観的に不吉なものを感じ咄嗟にクオンはレティシアの肩を抱き横に押し倒すように飛ぶ。
それに僅かに遅れ、ボス個体の肩口が突如弾ける様に裂け、そこから飛び出た何かが鞭のようにレティシアがいた場所を切り裂くように打ち据えていた。
「え?」
「う……」
それは赤黒い肉の鞭のようなものだった。鞭は獲物をしとめきれなかったのを残念がるように緩やかに縮み、ボス個体本体へと戻っていく。
その際、赤黒い蛭のような、のたうつ管状の物体をまき散らしていくが、それが触れた部分の下草が急速に枯れ落ちていくのが見えた。
生理的嫌悪を想起させるそれを直視してしまったクオンは思わずうめき声を漏らす。
「な、に……?」
立ち上がりながら、レティシアが呆然と呟く。
その隣で、同じように立ち上がりながらクオンが呻くように言う。
「もしかしたら、あれが
「本来、……?」
「はい。本で読んだ
曰く、
集積した呪詛が肉体を変質させ、まったく別の存在へとなり果てる。
今の鞭のような攻撃も、その攻撃から飛び散った管状のものも可視出来るほど高密度化した呪詛の塊だと思われる。
ボス個体の体のいたるところが肥大し、表皮が耐え切れず裂ける。そこから這い出るように出てきたいくつもの触腕が周辺に転がっている死体に絡みつき本体へと引き寄せる。
周囲にあった死体を次々と取り込み二周り以上も巨大化。もはや完全にクローエイプの形を失いいくつもの触腕の生えた肉塊と言った風体になる。
自身の周囲に取り込む死体ががなくなったとみるやまだ無事な個体に触腕を伸ばし始める。
当然、クオンやレティシアの方にも。
「っ!《algiz》」
咄嗟にルーン石を握り、レティシアの前に出る。殺到するいくつもの触腕に向かってルーン石を握った手突き出す。
このルーンの象徴は防御や守護。半円形の薄青い光のヴェールが付きだした手の前方に生じ、触腕を弾く。
「っ! 助かりました。クオン! はっ!」
レティシアはボス個体の変異に胆をつぶしていたが、いつまでも呆けてはいない。クオンが触腕を防ぎ切るのを見るやシルバーブリーズを振るい、剣閃で触腕を切り飛ばす。
切り落とされた触腕は周囲の草木を枯らしながら塵になっていく。
「行きましょう、クオン殿!」
「待ってください。レティシア様の装備では防御には不向きです」
そう言いながらクオンは数個ルーン石を取り出し先と同じ守護のルーンを発動させる。すると触媒のルーン石が浮かび上がりレティシアの傍を漂う。
「これは?」
「先ほどの防御のルーンをレティシア様にかけました。石がすべて砕けるまでは攻撃を防いでくれます」
「なるほど、これなら攻撃に専念できます」
そうしている間にも、触腕の第二波が迫ってきた。先ほどよりもはるかに量を増し、面で制圧するような攻撃となる。
二人は咄嗟に横に駆け、触腕をやり過ごす。
「呪詛の塊だとするのなら、《Sowelu》」
走りながらもう一つ、クオンはルーン石を取り出しルーン魔術を発動させる。
込めてある象徴は太陽、または生命力。本来は活力を呼び起こすものとして使われるが、今回は太陽が持つ光の力とその光に象徴される浄化と熱を攻撃として利用する。
小さいながらも白く光を放ちながらルーン石が浮かび上がり、"呪詛啜り"に向かって高速で飛ぶ。
ルーン石が
「――! ――――!!」
「やはり、浄化の力は効果的のようですね」
本能的にクオンを危険な存在として認識したのか、いくつかの触腕が明確にクオンを狙って伸びてくる。
触腕を引き付けながらクオンはレティシアと距離を取るように走り出す。
その分、レティシアに向かう触腕が減ることになる。レティシアは触腕を潜り抜け、あるいは切り払いながら本体に向かって剣閃を飛ばす。
「――!!」
本体を深く傷つけられたことに危険を感じたのか、今度はレティシアに向かって触腕を伸ばす。
何本かがレティシアの体を掠めるが、ルーンの守りによって弾かれる。その都度ルーン石から燐光が弾け石が消耗していく。
「《Sowelu》」
手持ちの《Sowelu》のルーン残りすべてを解放する。
いくつものルーン石が光の矢となり触腕を貫き本体に突き刺さり閃光を発する。
「――!! ――――」
断末魔のような叫びを発し、身震いするように揺れる。
レティシアやクオンへと向かっていた触腕が震え、力を失い萎れていく。
「とどめです!」
触腕の追撃から解放されたレティシアがシルバーブリーズを振るい疾風と冷気の剣閃を発する。
本体を両断するほどの威力のそれを受け、
「レティシア様、クオン殿!」
カークや兵士達も戦いを終えたのか、こちらに向かってくるのが見えた。小さい怪我をいくつか負ったようだが、誰一人として重傷者は出ていないようだった。
「……討伐完了、ですね」
レティシアが息を吐き、クオンを見る。クオンもそれに頷く。
その様子を見たカークや兵士達が歓声を上げようとしたその時、
「え―――」
視界の片隅で崩れ去っていく
枯れるように萎れていく触腕の一つがこれまでにない速度でレティシアに迫り、胸鎧を貫かんばかりの勢いで打ち据えレティシアを弾き飛ばした。
Dvine ー魔導士クオンの章ー @nov_nero01
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