第35話

 勉強会もなんだかんだで過ぎていき、日が落ちた。

 早めの夕飯にするか、ということで本日も以前と同様に近所のコンビニで済ませる。

 男女三人の制服高校生がイートインでガチ食事って、周りから見ればどうなんだろうな。

 とりあえず俺はそんな場面に出くわしたことはない。


 帰宅するといい時間になっていた。


「今日は夜何時くらいまでするんですか?」


 尋ねると杏音が答える。


「別に何時でも。悠たちに任せるけど」

「じゃあもう寝ていいですか?」

「あたしも寝たーい」

「集中力切れた状態でやっても意味ないし、寝たいんならそれでもいいけど」

「え? マジですか?」

「なにその反応。自分から言いだしたんでしょ?」

「そりゃそうですけど」


 俺は芽杏と顔を見合わせた。


「なんかお姉ちゃんっぽくない」

「なにそれ」

「てっきり怒られるか嫌味言われるかと思ったからさ」

「……私だって勉強嫌いだし、今日は疲れたからしょうがないでしょ。別にいつも嫌味言ってるわけじゃないし……」


 そっぽを向いて喋る杏音。

 若干尻すぼみに声量が落ちていく。

 拗ねてしまったみたいだ。


 妹に心外なことを言われたのがショックだったか。

 メンタルが弱い人だし、傷ついてしまわれたらしい。


「まぁまぁ。そういう事なら今日はここらでお開きという事で」

「おっしゃ。じゃあ今から何するの? UNO? 人狼?」

「どっちも三人でやるには寂しすぎるだろ」


 修学旅行じゃないんだから。

 そうツッコもうとして、視界の端にまだテンションの低い杏音を捉えて口をつぐむ。

 この先は地雷地帯だ。

 足を踏み入れると持っていかれる領域である。


「でもとりあえずお風呂済ませなきゃ」

「あぁ、そうだな」


 そこで俺は芽杏と杏音を風呂場へ案内した。

 杏音に説明する必要はないが、カモフラージュである。


「シャワーだけ使ってくれ」

「えー、浴槽浸かれないの?」

「……察しろ」

「ん?」


 馬鹿なのかなんなのか。

 俺が意識し過ぎなのだろうか。

 風呂なんて沸かしたら入る順番とかで色々困るだろうに。


 杏音の時は状況が状況だったし、シャワーだけだったからまだしも、二人の使った後の浴槽になんて入ってしまったら流石にヤバそうだ。

 これは彼女らを恋愛対象として見ているかどうかが問題ではない。

 ただの生理現象だから仕方がない。

 恋愛恐怖症患者だって動物だもの。


「じゃ、お先」

「はいはい」


 バッグを持って脱衣所に入る芽杏。

 しかし彼女はニヤッと笑うと、ドアを閉める前に一言。


「覗かないでね?」

「……さぁどうでしょう」

「覗く度胸なんてないくせに!」

「……」


 そうさ。

 俺にそんな度胸はない。

 仮にあればとっくに告白して、今頃恋愛恐怖症がどうとか言ってなかっただろう。


 すぐに脱衣所から衣擦れ音が聞こえ、俺は足早にリビングの方へ戻った。

 リビングでは杏音がスマホを弄っている。

 ちらっと俺の方に一瞥をくれ、口を開いた。


「なんで顔真っ赤なの?」

「……気のせいじゃないですか?」

「そうかもね」


 杏音はそのまま再びスマホを弄りだす。

 俺も若干気まずいものの、特に話すこともないため座った。


「一応聞いておくけど、芽杏に惚れ直したわけじゃないよね?」

「勿論」

「……まぁ仕方ない。恋愛感情と性欲は別だから」

「何でもお見通しなんすね」

「先輩だから」


 二重の意味でだな。

 学校の先輩であり、恋愛恐怖症の先輩でもある。

 これほど頼りになる人はいない。


「姉曰く、恋愛も突き詰めれば結局性欲らしいですけど」

「ふぅん。よくわかんない」

「まぁわからないから拗らせてるわけですしね」

「っていうか、姉弟間でそんな会話するの? 私芽杏と性の会話なんてしたことないけど」

「あの人おかしいんで」

「悠のお姉さんの事はよく知らないけど、多分悠には言われたくないと思う」


 失礼な話だ。

 俺はちゃんとした常識人だぞ。

 ただ恋愛に対する積極性があんまりないせいで、失恋を繰り返して拗らせているってだけだ。


「興奮してる?」


 現在風呂場の方からシャワーの音が聞こえている。

 芽杏があそこにいるのだ。

 俺の家で、今は裸。


「そりゃまぁ、人並みには」

「なに人並みって。頭回ってないの?」

「まぁ、はい」


 杏音はじっと俺を見つめる。


「キモいとか言わないんですか?」

「そういうものでしょ。私だってそんな時あるし」

「へぇ。いいこと聞きました」

「辛いのがわかるから。性欲はあるし興奮もするのに、私達にはそれを発散する手段がないんだから。恋愛できない弊害って、実はこういう時に一番実感したり」

「……やっぱ恋愛って性欲なんすね」

「ほんとね。悠のお姉さんの言う通りみたい」


 性欲は溜まるが、恋人をつくろうという気にはなれない。

 そもそも性欲発散のために彼女をつくるなんて不純過ぎるし、そんな自分が気持ち悪く思えて大嫌いになる。


 杏音もこんな思いに耐えてきたのだろう。

 女子の性欲ってのがどんなのかは知らないが、一説によると男子よりえぐい下ネタが飛び交うとも聞いたことがある。

 人間だし、ある程度の欲求はあるのが普通だ。


「ありがとう」

「なにが?」

「認めてもらって楽になったというか」

「分かり合えるのが私しかいないから少しはね。っていうか妹に性犯罪されても困るし」

「最後の一言余計ですね。失礼な」

「前から悠が芽杏の事をそういう目で見てたんだから仕方ないでしょ」


 だからといって犯罪に手を染める気はない。

 よく修学旅行や教育合宿等で女風呂覗き大会が開催されるが、俺は一度として参加したことがないし。

 正々堂々、合意の上で俺は挑みたいのだ。


 ってさっきから何を言っているんだ俺は。

 考えないようにしていたのに杏音と話したせいで変な事ばかり考えてしまった。


 と、そんな事を思っていた時だった。


「誰か来た」


 ピンポンが鳴った。

 何かを注文した覚えはないし、生憎と友達が少ない俺をこんな夜更けに訪ねてくる友人はいない。

 不審に思いながらモニターを覗く。

 すると。


「なんでだよ……」

「どうかした?」

「ちょっと今日は四人で泊まることになりそうです」

「え?」


 聞き返す杏音を無視し、俺は玄関を開けた。

 正面に立っていたのは泣いていたのか目を腫らした少女が。

 ショートボブの髪がさらさらと夜風に靡く。


「お兄ちゃん……」

「どうしたんだこんな夜に」

「……」


 無言で家に入ってくる女子中学生を、俺は溜息を吐きながら迎えた。

 何故か妹の天薇がやってきた。

 今日はまだ一波乱起きそうである。

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