第2章

第30話

 色んなことがあった冬休みも当然終わる。

 クリスマス前から一月の初めまでの約二週間。

 こんなに嫌な意味で時間の経過を遅く感じたのは、初めてかもしれない。

 これが、きゃぴきゃぴきららっ☆なイベントが起こっていたのなら、今頃感傷に浸りながら『冬休みって終わるの早いなぁ』なんて言っていただろう。

 だが実際はどうだ。


 好きな子が他の男とイチャついているのを見せつけられたダブルデートon Christmas。

 続く初詣では大凶を引き当て、さらに芽杏から重い恋愛相談。

 そしてその翌日には小倉に呼び出され……


 改めてゲロゲロオエェェェェ♡なイベントだらけだったと痛感させられる。


 と、そんな回想をしている場合ではない。

 俺もリアルに戻ろうではないか。

 そう、それらのイベントの犠牲になった重大責務の埋め合わせに。



「――話を聞けッ、このクソ坊主がァァァァァァァッ!!」


 目の前にいるのは毎度おなじみ担任の女教師。

 冬休み期間に黒染めしたらしく、少し印象が硬くなった。


 現在は始業式を終え、適当にホームルームなどを行い放課となった昼前である。


「坊主じゃないです。ツーブロックマッシュです」

「おい、頭髪点検明日だがどうする気だ?」

「休みます」

「そーいう事じゃねえだろうが馬鹿が!」


 机をたたいて一喝。

 あまりの迫力に職員室中の視線を集める。


「で、百歩譲ってそこはいい」

「いいんですか?」

「あぁ。黒染めしたとは言え、私もこの前まで派手な髪型だったし。それにツーブロが違反っていう理由も意味わからんし」

「そうですね。だから先生に何を言われても『鏡見たらどうですか?』っていう気でした」

「……そう言われるだろうと思って染めたんだよ」


 なんとまぁ。

 俺のために髪をいじってくれたのか。

 なんという健気な女の子。

 可愛い、大好き。


「おい宮田」

「はい」

「私に言うべきことがあるだろ」

「……あけましておめでとうございます」

「違う!」

「……今年もよろしくお願いします?」

「ちっげぇぇぇよ! これだよこれ! 申し開きはあるのかって話だ!」


 先生は大声を張り上げ、手垢の一つも見当たらない課題冊子を見せつけてくる。


「なんだこれ」

「冬休み課題っすね」

「何も書かれてないが?」


 ぺらぺらとページをめくる先生。

 中身には一文字たりとも記入の後は見られない。

 以前のように最初と最後のページすら解いていない。

 しかし、だ。

 何も書かれていない、というのは語弊がある。


「裏面を見てください」

「はぁ? なんだよ」

「ほら、書いてるでしょ?」

「お前、正気か?」

「『宮田悠』ってちゃんと書いてるじゃないですか」


 そう、名前だけ書いて提出した。

 血管が浮き上がり、限界をありありと物語る先生に俺は肩を竦める。


 それにしても提出してからまだものの数分。

 仕事に追われているであろう新年の教員にしては、異常なまでのチェックスピードである。

 まさか俺の課題だけやっているかチェックしたのだろうか。

 面倒な事をする教員だ。


「色々あったので許してください」

「色々ってのはなんだ? 高校生にとっての勉強より大事な事か?」

「勿論」


 人生における恋愛観をめぐる壮大な人間関係。

 こんなしょうもない冊子と同列に並べるなんておこがましい。


「お前の顔からは本気かどうかも分からんのだが」

「あー、そうだ。杏音いるでしょ? 夜月杏音」

「彼女がどうしたんだ? お前みたいな不良生徒に何か関係あるのか?」


 酷い物言いである。

 そして久々にあの女がこの学校内で『ハイスペック』な優等生として扱われていることを思い出した。


「彼女も一枚嚙んでるんで許してください」

「ふぅん、そう言えばこの前も会話してたしな。何かあったのか」


 あいつの名前を出すと一発でこうだ。

 虎の威を借る狐ってのはこういう感じか? いや、ちょっと違うか。

 なんとか孤高魔女のネームパワーでごり押しでき、安堵する俺。


「まぁ一応通知表つける前には提出するんで」

「……それなんだがな」


 最後の一押しと言わんばかりに、いつも通り切り抜けて帰ろうとすると、先生は奇妙な笑みを浮かべた。


「ちょっと本気でヤバいぞお前」

「え、何がです?」

「次の中間テストである程度点取らなきゃ、来年も下層を這いつくばると思っておけ」

「ほわぁぁぁぁぁぁ? 聞いてないですよそんなの。ちゃんと点数加算される時期に課題出してきたじゃないですか」

「でも第一の提出期限を守ったことはないだろ? 英語はまだしもほぼ全教科で」

「うぐっ」

「まぁそういうこと」


 死刑宣告も同義だった。

 聞いてないよ姉ちゃん。

 俺が教わったサボりの極意の中に、留年しそうになった時の切り抜け方はなかった。

 え、終わっちゃうの?

 最終学歴公立中学の恋愛恐怖症患者ってヤバイよ……


 そんなこんなで、新年早々絶望の淵に立たされました。

 それもこれも全部ふざけた痴情の縺れのせいである。




 ‐‐‐




 肩を落としながら廊下を歩く。

 と、見覚えのある姿を見かけた。

 丸っこいシルエットというか、特筆すべきは横から見ると破壊力抜群のその胸元。

 俺を惑わせた張本人だった。


「芽杏?」

「お、宮田じゃん」


 芽杏は制服の上に羽織ったパーカーのポケットに手を突っ込んで立っていた。


「何してんだよ?」

「ちょっとトイレ行ってたら友達に置いて行かれてさ、一人で帰るの寂しいし、誰か来ないかなーって」

「ふぅん」


 友達が消え去るほどの長時間トイレ。

 こいつもうんこか? と思ったものの、こういう話題を女子にするのは避けた方がいいか。

 本当にそうなら恥ずかしいだろうし。

 ん? 杏音はって?

 あの女は別だろ。


「ていうか、他に一緒に帰るべき奴がいるだろ」

「ん?」

「ほら、彼氏がいるだろお前には。超絶イケメンの小倉様がよ」


 確か今日は部活もないと言っていたはずだ。

 むしろ一緒に帰っていないのは不自然過ぎる。

 なんて思っていると、芽杏はおかしな笑いを漏らし始めた。


「なんだよキモいな」

「ごめんごめん。せっかくだし一緒に帰らない?」

「はぁ? ……ってお前まさか……」

「一人暮らしでしょ? 時間ありそうだし付き合ってよ」


 なぜこうなるのか。

 俺は複雑な心境の中、ぎこちなく頷いた。


 やはり恋愛の神というのは俺をそう簡単に楽にさせる気はないらしい。

 早くも新たな地獄が待ち受けていることを痛感させられながら、校門を抜けるのであった。

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