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「私が、香織の代役ですか」


 シトラスの香りを忘れかけた三日後。私に一本の電話が入った。香織が所属していた芸能事務所からだった。不審に思ったが、迷惑をかけてはいけない、そう直感で気づけば相手の話に耳を傾けていた。

 なんでも、香織に後任をどうするか聞いたところ、私に回ってきたようである。……こういうものって事務所が新しく依頼するのではないだろうか、有名所に。界隈に疎いため、こういう事もあるのか、と思った。


「引き受けてみて、って、私 演技なんて小さい頃に齧っただけですよ。他に適任の方はいっぱい居られるのではないですか」


 なるべく穏便に返答しても相手側は 「あの瀬戸香織が選んだのだから間違いない」 の一点張りでこちらの有無を言わせる気はなかった。仕方のないことだ、と判断し、受け入れることにした。弁護士を辞めてから探偵 ―― とは名ばかりで、じつは何でも屋 ―― を始める予定だったので、少々ヤケになっていた。なんでもしてやらァ! というような、そんな感じだった。


 暫くして、ピピ、と音がした。FAXで台本が送られてきたのだ。香織の役は、と確認する。……連続殺人犯の役だった。たらり、と嫌な汗が頬を伝う。頁をめくればめくるほど、彼女が良く見えてくる。


「あの事件の真相と同じだ……」


カチカチ、と奥歯が鳴る。恐怖に脅えている自分がここにいる。ついこの間、彼女が独房送りにされた、あの事件。殺人教唆、そして彼女の裏が暴かれたあの事件。私が追求してたどり着いた真実がそのまま記されていた。


 嫌な予感がして、昔の資料を探し始めた。香織が殺人犯の役を始めたのは十五年前。ちょうど父が亡くなり、母が精神を病んだ事件があったころだ。

 予想通りだ。嫌な予感が的中してしまい、さらに恐怖が加速する。香織が昔送ってきた映画の役がその事件を物語っていた。十五年前の、あの惨劇を。

 偶然なわけが無い。全ては彼女が仕組んだのだ。自分の利益のために。

 私の父の殺人容疑で死刑判決を受け、この世にもう居ない男も、義姉に洗脳され、無罪になる前に私を殺そうとした幼馴染も。全て、瀬戸香織に人生を狂わされていたのだ。


「……これを演技するのか、私は」


 この狂気、扱いきれる者など、もうどこにも居ない。確信するには、あまりに遅すぎた。

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