生きが詰まる

椿原

1,


 まだ分からないのかしら。アタクシ、貴女のその顔が見たかったのよ。……でも残念ね、アタクシはこれから口を聞けなくなるのでしょう? 最後に貴女をわね。

 ……あぁ、もう終わり、ね。最後に一つだけ言わせて頂戴な。

 アタクシ,貴女が好きだったわ。その憎たらしい顔が。憎悪と欲望に満ちたその視線が。……ふふ。まさにその顔よ。素敵ね、詩織。



 ばさりと音を立て、身体を起こす。どうやら、少し前の現実を再生していたようだ。頭が痛む。

 ぼんやりとした頭を抑えつつ、ベッドから出る。ぎしり、と軋む音は嫌な夢を思い返させる。


 「はは。……酷い顔」


 洗面所にて、自分の姿を見る。ここ最近、熟睡した試しがない。目の下のクマは濃くなるばかりだ。

 気味の悪い笑顔を浮かべる、目の前のこの女は私、瀬戸詩織せとしおりだ。右側に伸び切って頬の輪郭まで隠す前髪は、自分をより一層暗く、酷く見せている。だからといって、髪を切る訳でも、綺麗に整える訳でもない。長たらしい後ろ髪もそうだ。乱雑に、一つに纏めてしまえば良いだけの話である。

 

 顔を洗い自室に戻った所で、予定表のノートを開ける。とは言っても、ここ二ヶ月ほど空白のままである。

 無理もない。理由は一つ。

 手放したからだ。自分の職を。まだ掴んでから三年しか経っていない、小さい頃からの夢を。

 私は弁護士だった。父に憧れ、父の背中を目指した。それでも手放してしまった。

 後悔していないと言うと嘘になる。今でも覚えている。あの張り詰めた法廷の空気。真実を模索するあの時間。依頼人を信じる、信じて守った事実を。

 でも私はもう、純粋な気持ちで人を視ることが出来ない。他人を守るなんて以ての外である。人は結局自分を守る為に生きているのだ、と痛感したからだ。


 全ての元凶は悪夢の主。

 ――瀬戸香織。私の義姉であり、狂気の持ち主である。

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