第10話 母であり娘であるさくら視点

 「ねえ、縁ちゃんの意識はどうなの。まだ、戻らないのかい」悪意の無い弱々しい声のはずなのだが、その言葉がさくらには刺々しく感じる。長年の間にできた母親に対する心のささくれがそうさせているのだろう。

 「うん、そうなの」短い言葉しか出てこない。母と会話をするといつもこんな感じになる。会えば、いつも心が乱されてしまう。できるならば、来たくはなかった。可能な限り母との接触は避けたかったが、入院中の母親を見捨てるわけにもいかない。 さくらは、床頭台にある100均で購入した小さな目覚まし時計に目をやった。目覚ましの機能は必要ないのだが、サイズ感がちょうど良くて見やすいため選んだものだった。入院から10日程が経ち少し体調を取り戻した母はやはりその時計にも「見るからに安っぽいわね」と、文句を言った。急な入院準備をした私に対して労いの言葉はない。それならば兄夫婦にしてもらえばいいのにと心の中で悪態をついて抵抗する。

 母は、相手の心を推し量ることをしない人間だ。たぶん、できないではなくてしないのだ。いつでも自分が一番だしプライドも高い。相手の状況なんて全く気にも留めない。子供のころから精神的に幾度も傷つけられてきた。子供の頃は、全てを安心して委ねられる親子のやり取りをする友達が羨ましかった。


 「だから、言ったじゃあないの。もう一人は子供を産んどきなさいって、」

 人の気持ちを逆なですることが得意な母の言葉に右耳辺りがそわそわとしだす。もうすぐ耳鳴りが始まる。きっと母の言葉を聞きたくないという思いが身体変化をもたらしているのだろう。

 「じゃあ、私はもう帰るね。縁の病院にも寄るから」と、母の言葉をスルーして大きな袋に入った洗濯物を手に病室を後にした。

 3日前に来たばかりなのに何故こんなに重いんだろう。母のことだから、看護師さんに我儘を言って毎日着替えさせてもらっているのかもしれない。

 

 「はあー」

 病院前の停留所で駅行きのバスに乗り込み座席に座ると、思わず溜息が声になった。足元から伝わるエンジンの振動と共に速やかに病院が視界から遠のいていき、先程までの張りつめた気持ちが少し緩んだ。だが、逆に全身を包む倦怠感は強くなっていくようだ。

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