第2話 母であるさくら視点

 駆けつけてきた夫と共に主治医から娘の状態について説明された。この一年間で三度同じ状態を繰り返している。医師の言う通り回復の見込みはないのだろうか。どれだけ願っても一人娘であるゆかりの意識が戻ることはもう無いのだろうか。ベッドに横たわる姿はゆかりではなくてまるで意思を持たない人形のように感じてしまうのは、私が母親失格だからなのか。

 あれこれと娘の顔を見ながら思いを逡巡させていると不意に声が響いた。

 「なあ、こんな形で命をつなげてゆかり自身はどうなんだろう。」

 その声で隣に夫がいたことを思い出すと同時に腹立たしくなった。

 「えっ、どういうこと。何が言いたいの」夫を睨みつけながら感情を抑えることができずに更に続ける。

 「あなたはさっき来た時だって何って言ったの。って言ったのよ。ゆかりはあなたの大切な娘でしょう。それなのに……」

 「いや、そういう意味ではないんだ。さくら、少し落ち着いてくれ」

 「何がそういう意味ではないよ。あなたはいつだってそう。どこか他人事で」言いながら悔し涙が滲んでくる。もう、話もしたくもない。顔も見たくはない。側に居るだけで虫唾が走る。

 「とりあえずゆかりは落ち着いたみたいだし、仕事を投げ出して来たから戻るよ」

 鈍感な夫もそれなりに気づいたのか仕事にかこつけて逃げるように病室を出ていった。甚だ馬鹿らしくなってくる。私はどうしてあんな男と結婚したのか。


 夫と初めて出会ったのは私が大学2年になったばかりの頃だった。もともと人見知りで友人関係が苦手な私はよく学内にある大きな樫の木近くのベンチに一人で腰をかけて読書をしたりランチをとったりしていた。

 その日もいつもと同じようにいつもの場所で大好きな作家の推理小説を読んでいた。読みながら自分なりに犯人探しをしていたら、不意に声が響いた。

「危ない。」

大きな声に驚き膝上の本から目を離して視線を上げるとあろうことかペットボトルが私に向かって宙を滑空してくる。

 「な、なに、これ」

避ける間も無くて咄嗟に両手で受け止める。眼前ギリギリセーフだった。フタが閉まっていて良かった。春といってもまだ肌寒い時期に濡れたくはない。ましてや、他人の飲みかけのお茶でなんてなおさらだ。いやいや、ある意味ほぼ500mlあると思われるそれは下手したら凶器にもなるんじゃないのか。

 「ごめん、いやー焦ったよ。でも直撃しなくてよかった」と、まあまあ整った顔立ちの男子学生が駆けてきて言葉を放った。何だかその物言いにカチンときたが表情には出さず返答した。

 「ええ、驚きましたが無事にキャッチできたので」

 「ほんっと悪かった」と、両手を合わせて拝むように頭を下げる様子に腹立ちは消えて吹き出しそうになった。

 そんな出逢いが恋心に変わるのにはさほど時間はかからず、いつしかお互いに「さくら」、「亮太」と呼び合うようになった。

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