晴れ時々念仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
教室のど真ん中の席で、私は心の中で念仏を唱えます。
念仏は素晴らしい。いつでもどこでも、私に平穏を与えてくれます。
あるいはここが人の少ない山の奥地であれば、なおよかったでしょう。
小鳥の囀り、川のせせらぎ、虫の羽音、風に運ばれる木の葉の香り。
なんと素晴らしきかな、大自然。
ですが、一度目を開けまわりを見れば、そこにいるのは人、人、人。
ほんと、人類なんて滅びればいいのに。
特に、思春期のあいつらは猿以下、強いてはチンパンにも劣るゴミ虫です。
「んじゃ、みんな気をつけて帰れよー。高校生になったからって、浮かれすぎないように!」
「「「はーい」」」
担任の女教師(自称二〇代)はそう言い残し、教室を後にします。
するとチンパン共はここぞとばかりにガタガタと椅子を引き、あちこちに群がり始めました。
「みんなライン交換しようよー!」
「部活見学いこうぜ!」
「カラオケ行く人いるー? 親睦会いこーよー!」
本当に、忙しそうな奴らですね。
―――入学式が終わり、今はその日の放課後。
つい先ほど行われたオリエンテーションの自己紹介で、自分と同じ人種を見分けたようで、奴らはイケイケ系のグループと陰キャグループ、平凡グループに分かれています。
既にクラス内における、各々の立ち位置が形成されているようでした。
そんな彼、彼女らを横目に、私は配られた教科書を、そそくさと鞄に仕舞い込みます。
いわば、私はぼっちグループといったところでしょうか。
せっかくなら教室の隅の席がよかったのですが、席はあいうえお順ですから、仕方ありません。
こうしていると、なんて寂しいやつだとか思われそうですが、いえいえ、これはチンパン共のためでもあるのです。
なにせ。
(あの子エロ。ヤリてー)
(お、イケメン君みっけ)
(ハブられないようにしなきゃ!)
(高校では友達できるかな……)
(くっ、静まれ邪竜が眠りし我が右腕よ……!)
―――私は人の心が読めてしまうから。
物心ついた頃には、人の心が読めるなんて当たり前だと思っていたものですが、流石に、今は異常なことだと自覚はしています。
誰だって、自分の心の中を覗かれたくないでしょう。
故に、私が一人でいるのは、彼、彼女らを想ってのこと。
決して、コミュ障だとか、そんなことはありません。
………帰りますか。
私は教室を後にし、廊下を歩きます。
帰ったら、まずは教科書の整理。それから、羊羹でも食べながら、ゆっくりお茶でも啜りましょうか。
ああ、明日の準備が先ですね。時間割によれば、明日は体育があるはずですから、買っておいた体育着を出しておかないと。
「おーい、まてよー」
しかし、頭の中が帰宅モードに入っていた私を、呼び止める声が聞こえてきました。
「……チャチャ」
この学校で唯一、同じ中学だった茶桐ノ宮茶月、通常チャチャ。
ぱっと見、ただのチビかわ茶髪ギャルのようですが、彼女にはとある特殊能力が備わっていました。
私は息を飲み、最大級の警戒を持ってチャチャと相対します。
「何かようですか」
「? 用がないと話しかけちゃダメなのか?」
「……なら、もういいですか? 早く帰りたいのですが」
「用はねーけどー、あ、そうだ、部活見学いこう!」
「お断りします。それじゃ」
私はチャチャから逃げるべく、踵を返します。
嫌な予感しかしません。
なにせ、チャチャは運動神経の化け物です。
身長153センチのダンクシューター、サッカー部顔負けの黄金の左足、エンジン付き人魚、JC版イチロー……中学時代に築かれてきた伝説の異名は数知れず。
そんなやつに付き合っていたら、運動部に入らされることは必至―――運動音痴な私など一ヶ月で廃人と化します。
「まあまあ、待てって!」
しかし、当然ながらそんな彼女から、私が逃げられるはずもなく、すぐに前に回り込まれて肩を掴まれます。
「や、やめろー! 死にたくなーい! 死にたくなーい!」
「大丈夫、大丈夫! ほら、色々あるから、見てみろって! ツッキーの気にいる部活があるかもしれないだろ?」
暴れる私を片手で押さえつけながら、チャチャは鞄から冊子を取り出しました。
それは先刻、担任の先生から配られた部活動紹介の冊子でした。
結構な厚さがあり、この学校の部活の多さが伺えます。
「どうせ、部活には入らなきゃいけないんだから、どうせなら楽しいところのほうがいいしさ」
「まあ、それは普通なら一理ありますけど……」
この高校、私立のくせに部活への加入が義務だったりします。
私は適当に幽霊部員になる予定だったので、どんな部活があるかすらも把握していませんでしたが。
しかし、確かに高校生は3年間もありますから、勉強だけするというのも味気ないというのは気持ち的にはわかります。
「だろ? それなら、さ?」
「だが断る」
私は人が嫌いです。
人と関わること自体、恐怖さえ覚えます。
人に注目もされたくないし、それ故に、今の私は他人から見れば、それはもう地味な格好をしています。
キノコヘアーにクソダサい伊達メガネというファッション。
私だって年頃の乙女ですから、可愛い格好くらいしたいと思います。
ですが、私はとにかく目立ちたくない。
私の高校での目標は、それに尽きるのです。
「えー! なんでだよ!」
「なんでもです。それに、チャチャは運動部に行くつもりでしょう」
「ん? そんなわけないだろ?」
「はい? チャチャは運動が好きなのでは?」
「いや、だって、ツッキーは運動苦手だろ? どうせなら、ツッキーにも楽しんでほしいしさ!」
「………」
「お、おい、なんで顔逸らすんだよ?」
チャチャは、こういう時、本当に卑怯です。
馬鹿です。
彼女はそれはもう、馬鹿なのです。
馬鹿すぎて―――彼女の頭の中は、空っぽです。
私の読心能力で、何も聞こえてこないほどに。
思ったことをそのまま口にする彼女は、私の背後をとれる唯一の人間でしょう。
ですから、その言葉に裏はなく、純粋にそう思っていることがわかってしまいます。
き、気恥ずかしい。
「……んん」
私は喉を鳴らし、気まずさを誤魔化して続けます。
「それで、どんな部活があるんですか」
「お、行く気になってくれたか!?」
「見学だけですからね。あと、人数が多いところはお断りです」
「よし、まかせろ! ちょっと見てみる!」
チャチャは目を輝かせて、冊子をパラパラとめくっていきます。
私は通行の邪魔にならないよう、彼女を廊下の端の方へと誘導させて、一緒に眺めることにしました。
文化系と運動系に分けられているようで、部活動の名前の横には男女別に部員数が書かれています。
よく見ると、人数順に載せられているようでした。
「アニメ研究部とかどうだ?」
「悪くはないですが、ほら、女子が少ないですよ」
性欲チンパンに囲まれるのはゴメンです。
「うーん……じゃあ文芸部?」
「人数が多すぎます」
「茶道部とか美味しそうじゃないか?」
「お茶菓子で太りたくないです」
「なら、美術部とか?」
「………悪いことは言いません。チャチャは美術だけはやめておいたほうがいいです」
私は「えー、絵には自信あるのになー」と渋るチャチャをどうにか宥めます。
チャチャの美術的センスを考えるに、控えめに言っても紙を無駄にする未来しか見えません。
あれは中学1年生のころ。
美術の授業で、リンゴを描けと言われたのに、出来上がったのは明らかに触角の生えた虫―――ゴキブリの絵。
なんで?
「もっと人数が少ない、静かな部活がいいのですが」
できれば、幽霊部員になれるくらい緩いところなら、なお嬉しいです。
「うーん……なら、これとかどうだ? ほら、人数もたった三人だぞ?」
「えーっと……?」
チャチャの指差す部活動の名前、それは、
「ボードゲーム部、ですか」
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