2019年10月13日(日)


 上演を終えた白女はくじょ演劇部が客席へ戻ってきたとき、横山よこやまは泣いていた。

 うつむき、しゃくり上げる彼女の背中を、隣に座った君が優しく撫で摩ってやっていたのを、俺ものぞむも遠くから見ていることしかできなかったのを覚えている。

 第五十七回高等学校演劇コンクール、宮城県南部地区大会におけるすべての演目が終了し、照明の明るさと客席の賑やかさが戻ってきた会場で、俺たちは脱力し肩を落としていた。というのも、白女演劇部が熱演した『母をたずねて三千里』は、終幕と同時に万雷のごとき拍手でもって観客に讃えられたものの、上演時間がコンクールの規定である六十分を優に越えてしまったためである。


「いやー、やばかったわー。白女が失格にならなかったら、今年はマジであそこに持ってかれるとこだったよね」

「うん。正直、内容では明らかに負けてて悔しいけど……でも失格は失格だし」

「けど白女が落ちたとなると最優秀賞、どこが獲るのかな」

「結果発表まだかなー」

「はあ、めっちゃ緊張してきた……」


 なんて会話がすぐ後ろの席から漏れ聞こえてくるのもあって、俺と望はひたすらに沈黙を守る他なかった。今、彼らの目の前に座る一般客ふたりが実は白女演劇部の関係者だと露見すると、何だか君たちの不利益になってしまうのではと思われて不用意に口を開くのがはばかられたからだ。かと言って結果発表を待たずに退席するのも何となく君たちに悪いような気がしたし、どうせどん底に突き落とされるなら俺たちも一緒にという気持ちで、審判のときを待った。


 白女演劇部の上演時間が押した影響で、プログラムに書かれた結果発表の時刻はとうに過ぎてしまっていたと記憶している。俺は会場の入り口で受け取ってきた、学校のプリントみたいな安っぽい仕様のプログラムを意味もなく開いたり閉じたりしながら、早く君たちを楽にしてやってくれと姿の見えない審査員に胸中で訴えかけた。いや、あるいは楽になりたかったのは、失格は脚本担当の自分のせいだと責任を感じて泣いている横山を見ていられなかった、俺自身かもしれないが。


「……なあ、ユーセー。オレら、他の学校の劇は一切見てないけどさ。横山ちゃんの脚本、フツーにすごかったよな?」

「……ああ。そうだな」

「あと、平城ひらきちゃんの最後の演技もやばかったよな。何ならオレ、ちょっともらい泣きしちゃったし」

「うん。歩叶あゆかたちはよくやったよ。投げ銭スパチャがあれば投げたかったくらい」

「だよな」


 やがて結果発表を待つ会場の緊張感に耐えかねたのか、望が無人の舞台を見つめて零した感想に、俺も相槌を打った。あのとき望が言っていたとおり、俺たちは他校の上演はひとつも見ていなかったわけだから、確かなことは言えない。

 けれども制限時間を度外視すれば、あの年の白女演劇部の発表は、他の出場校の追随を許さないものだったと今でも思う。現にラストの、真留子まるこ杏奈あんなが悲願の再会を果たすシーンでは、会場のあちこちから観客のすすきが聞こえたほどだ。


 たったひとりで雪山を越え、ボロボロになりながらも見事北米大陸アメリカ横断を成し遂げた真留子は最後、原作どおり母と再会し、その腕にひしと抱き留められた。

 三年ものあいだ引き裂かれていた我が子と対面した杏奈が感泣にむせび、生きる希望を取り戻す場面は、何度思い返しても感情を揺さぶられる。


「お医者様。どうか先程の言葉を取り消すことをお許し下さい。そして今すぐに、私の体から病魔を取り除いて下さい。お礼はあとからいくらでも致します。何でも致します。ですからどうか、この子と共に生きる未来をわたくしにお恵み下さい」


 君のあの熱演を、俺はきっと一生忘れない。泣きながら真留子を抱き締め、人が人を想う心の強さを、尊さを、美しさを教えてくれたことを忘れない。

 誰かや何かを魂の奥底おうていから愛せるというのはそれだけで特別なことなのだと、今ならそう思えるからだ。そしてその想いはときに奇跡をも呼び起こす。

 たった十三歳の少女真留子が、数多の苦難を乗り越えて母と再会したように。

 あるいはあの日ようやく壇上に現れた審査員が君たちの名を呼んで、異例の審査員特別賞を授与すると高らかに宣言したように。


「今年のコンクールの最後を飾った白石しろいし女子高等学校の発表は、あまりに素晴らしいものでした。脚本、演技、演出、美術など、演劇に必要なものすべてが見事に融合し、今後の高校演劇コンクールの指標になると言ってもいい完成度を誇っていたと思います。ですので審査員一同、あの劇を失格のまま終わらせてしまうのは、高校演劇の研鑚けんさんと向上を目的とした大会の趣旨に反するという意見で一致しました。ですがこれはあくまで異例の措置ですから、最終的な判断には審査員われわれだけでなく、同じ舞台の上で闘った出場校の皆さんの意見も反映させたいと思います──」


 大会の最後に審査員挨拶という名目で舞台に上がった中年の女性審査員は、穏やかな目つきで会場を見回したのち「ご賛同いただける方は拍手をお願い致します」と呼びかけた。するとややあって、客席の隅の方からパチパチと誰かの上げた拍手が響く。それに続いてひとり、またひとりと手を叩く者がぱらぱら続き、次第に大きなうねりとなって、ついには会場を呑み込まんばかりの大喝采へと変貌した。


 『母をたずねて三千里』の幕が下りた直後と同じ──否、あるいはあれをも超える称賛の拍手が、君たちの上に雨のごとく降り注いだあの光景を覚えている。

 こうして二〇一九年秋、白女演劇部は県大会進出こそ逃したものの、彼女らの演じた物語はコンクール史に残る名作として語り継がれることとなった。

 すべてのプログラムが果てたあと、会場の外で俺たちを見つけた君と横山の嬉しそうな泣き顔を、今も色鮮やかに思い出せる。


 ああ、歩叶。改めて言わせてほしい。

 俺は君と──君たちと、この町で出会えてよかった。

 見渡す限り山ばかりの、何もない田舎だと散々悪態をついてきたけれど、まるで魔法にでもかかったみたいに今はすべてが輝いて見える。


 だから俺はもう一度この町で、君と、

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