2023年8月15日(火)


 白石蔵王しろいしざおう駅と白石バイパスとをつなぐ道路沿いに、歩叶あゆかの眠る墓地はある。

 清林寺せいりんじ。我らが宮城県民の星、伊達だて政宗まさむねに勝るとも劣らず有名な戦国武将のひとり、真田さなだ幸村ゆきむらの遺臣が開いたと伝わる寺だ。

 その縁あってこの寺は白石市内に存在する数少ない観光名所のひとつとされているわけだが、寺というからには当然境内けいだいに広大な墓地も持っている。

 おかげで盆の時期には、観光客と墓参者とが入り乱れる事態になるようだ。


「ほんとに大丈夫か、ユーセー?」

「ああ、平気だって。むしろ今まで一回も墓参りに来なかった方がどうかしてたんだから。まあ、今更どの面下げて来たんだって言われたら、返す言葉もないけど」

「大丈夫。歩叶はそんなこと言わないし、むしろ清沢きよさわくんが会いに来てくれたって泣いて喜ぶだろうから」

「……そうだといいんだけど」


 と、先頭を歩く横山よこやまが、何の根拠もないのに自信満々に言うのを聞きながら、俺は水を汲んだ手桶ておけを片手にぶら下げて、林立する墓石の間を歩いていた。

 三年前の春、逃げるように白石を離れて以来、ふるさとの土を踏むことを避け続けてきた俺にとっては、生まれて初めて訪れるまったく未知の空間だ。


 少し早めの昼食を喫した長寿庵ちょうじゅあんからのぞむの──正確には望の姉さんの、だが──車で清林寺までやってきた俺と望と横山は、スーパーで急遽買い求めた切り花と線香と供え物とを携えて、平城ひらき家の墓を目指していた。

 高校卒業と同時に町を出た俺や望とは違い、進学してからも白石に留まる横山は年に何度かここへ通って、まめに墓参りをしているらしい。


 おかげで平城家の墓へ向かう足取りは、勝手知ったる何とやらだ。セミロングの髪をいわゆるの形にまとめて、惜しげもなくうなじを晒した横山の背中は、身長一八〇センチの望と並ぶとひどく小柄に見えるのに頼もしい。

 じわじわと墓園を覆う夏の熱気とせみの声。車を下りてからまだ十分と経っていないはずなのに、車内の冷房で冷えた体が気づけばまた汗にまみれているのを感じながら、俺は手桶の持ち手を握る手に人知れず力を込めた。


「あ。もう誰かお参りに来たあとみたい」


 とやがて横山が、とある墓石の前で足を止める。白地に黒や灰色のまだらが入った、立派な御影石みかげいしの墓だ。つやが出るほどピカピカに磨かれたその石の正面には、しかつめらしい楷書体かいしょたいで「平城家之墓」と彫り込まれている。

 途端にまた心臓が泣き言を言い出したのを、今度は望に聞かれないよう努めた。


 ──三年ぶりの再会がこんななんて、あんまりだよな。


 内心そう自嘲しながら、すっかり無機質になってしまったかつての恋人の前に立ち尽くす。横山の言うとおり既に誰かが墓参したあとのようで、花立には瑞々しい菊の花がいっぱいに活けられていた。供え物はカラスの餌になることを嫌って持ち帰られた様子だが、香炉には線香が供えられた跡もある。


「平城ちゃんちの親御さんとかが来たんかな?」

「かもね。だけどこれ、私たちの花を活けるスペースあるかな?」


 と、とうに花でいっぱいの花立を見て苦笑しながら、横山はスーパーの生花売り場で見繕ってきた花束を手に墓の前で屈み込んだ。

 そうして御影石に微笑みかけたかと思えば、


「歩叶。清沢くんが来てくれたよ」


 と声をかける。彼女の優しくいたわるような声音を耳にしたら、たちまち視界がまぶしくてたまらなくなった。

 けれども、ああ、夏雲に隠れていた日がまた照ってきたせいだなとその原因を誤魔化した俺は、たっぷりの水と柄杓ひしゃくが入った白木の手桶を足もとへ置く。


「お墓もきれいに掃除されてるから、私たちがやることあんまりないねー」


 と言いながら、横山は早速花束の包みをといて活ける支度を始めた。俺と望はその間に打ち水をして、連日夏の陽射しにかれている墓石をねぎらってやる。

 それが済むと花を活け、供え物を置いた。

 花は横山が選んだスターチスとかいう洋花だ。

 生憎あいにく花とは縁のない不風流な人生を送ってきた俺は、仏花といえばやはり菊だろうという強い思い込みがあったのだが、最近はこういう洒落しゃれた花でも墓前に供えて差し支えないと世間の認可を受けているらしい。

 ゆえに横山は、中世フランス貴族のドレスのひだみたいなかの花を手に取って、


「この花、何だか歩叶っぽくない?」


 という理由で購入した。菊や百合などの無難な花は他の墓参者が持ち寄るだろうから、花立が同じ花ばかりになるのは避けたいとそう言って。

 だがスターチスを指して「歩叶っぽい」と言った横山の言い分も、こうして見ると何となく得心がいくような気がする。優雅にして可憐。小さな薄桃色の花が茎の先に群がり咲き、房状になって華やかさを演出する姿は、なるほど、確かにかつて舞台の上で見た歩叶とどことなく重なるものを感じるのだ。


 そんな花の名前がチスというのは、何たる皮肉と言うべきか、はたまた運命と言うべきか。妙なところで複雑な心持ちを抱きながら、俺は望と横山にならってついに墓前で手を合わせた。歩叶に会えたら伝えたかった言葉がありすぎて、何を思い浮かべればよいのかも分からないまま。


「ありがとね、清沢くん」


 やがてひととおりの追悼を終えて、さてそれでは帰ろうかという雰囲気になった頃。香炉の中で細い煙を上げる線香に俺がわけもなく見入っていると、不意に横山が改まった様子で口を開いた。


「本当は清沢くんだって、色々と思うところあるはずなのに……私の一方的なわがままに付き合わせちゃって、ごめんね」

「いや、俺は……」

「でも、歩叶もきっと喜んでるはずっていう気持ちは本当だから。あの歩叶が清沢くんのことを急に嫌いになっちゃったなんて……やっぱり私には信じられないの。じゃあなんで清沢くんにあんなひどいこと言ったの? ってかれたら、何にも答えられないけど……」

「……うん」

「あーあ、せめてもう一度歩叶と話せたらいいのにね。そしたら清沢くんをフッた理由だって問い質せるし、他にも話したいことがたくさん……」

「一緒に通うはずだった大学のこととか、カッコイイ彼氏のこととか?」

「……望はそういうこと自分で言わなきゃいい彼氏なんだけどな」

「えぇ!? じゃあ今のオレってダメな彼氏!?」

「だから声大きいって!」


 と故人をしのぶ場で騒ぎ出した望に叱声を飛ばしつつ、横山はやっぱり呆れと親愛の中間みたいな顔で笑っていた。

 こんなときでも構わずふざける望を本気で叱らないのは、たぶん横山も、危うく泣き出してしまいそうなところを気遣われたのだと分かっているためだろう。


 けれども互いに野次を飛ばし合うふたりを横目に見ながら、俺はふと肩から斜めに提げたサコッシュへ手をやった。この牛革の内側には、歩叶が生前使っていたのにそっくりのスマホが入っている。カメラをかざせば過去の映像を映し出し、既に彼岸へ渡った相手をも画面の中によみがえらせるあのスマホが。


 これの存在を今、望や横山にも明かすべきだろうか。

 無論、過去カメラはあくまで過去の情景を覗けるだけであって、横山が望むような死者との会話を実現し得るほど画期的な代物ではない。

 しかし今ならふたりと一緒に白石時代の思い出をなつかしめるだろうし。

 何よりカメラと横山たちの力を借りれば、歩叶が俺から去っていった本当の理由も、ついに突き止められるかも──


「──うわっ!?」


 ところが俺が窃盗ねこばばの罪に問われることを覚悟して、いよいよ秘密を明かすかと心を決めかけた刹那。突然俺たちの横合いから、何か硬いものが石の上を転がる音とぶちまけられた水の音、そして驚き慌てた男性の悲鳴が上がった。

 どうしたのかと目を丸くして振り向けば、そこには他の墓参者とすれ違いざま、誤って手桶を落としてしまったらしいご婦人の姿がある。が、彼女は跳ねた水がかかって明らかに憤慨している様子の男性には目もくれず、何やら放心した様子で立ち尽くしていた。そう──他でもない先客おれたちを見つめながら。


「……優星ゆうせい君?」


 と、そんな彼女の唇がいよいよ震えて、ローズレッドの口紅の間から俺の名前を紡ぎ出す。


「あ、あなた……清沢優星君、よね?」


 尋ねられて、俺はすぐに「はい、そうです」と答えられなかった。


 何故なら俺に正体を尋ねたそのご婦人は、かつて俺と歩叶の交際を黙認してくれていた彼女の母──平城未華子みかこさんだったから。

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