第44話 打ち合わせ

 久しぶりに早起きをした。慌ただしく朝食を済ませて、伊藤カメラ店に向かう。今日は、撮影日当日だ。伊藤カメラ店の開店は十時だけれど、今日だけは八時に出勤しなければいけない。なぜなら、撮影隊の到着が八時半だからだ。懇意な伊藤さんの店とはいえ、今日は初めて仕事をする。緊張に体が震えた。店に到着すると、胸当ての付いたエプロンを手渡される。これが仕事着だそうだ。仕事といっても、何をすればよいのか、全く分からない。そんな僕に伊藤さんは、カウンターで立っているだけで良いと言った。伊藤さん自身も緊張している。僕に仕事を説明するどころではないのだ。


 店主の伊藤さんに、今日の流れを尋ねてみた。撮影隊が到着すると、まずこの伊藤カメラ店で打ち合わせが行われる。撮影の開始は十一時からだ。伊藤さんと真山琴子は、カメラマンを引き連れて川添商店街を散策して、街の様子を紹介していく。伊藤カメラ店の紹介は最後だ。帰ってきた真山琴子は、ジョージの似顔絵をネタにして話題を広げる。その時に、貴子が登場するのだ。今回の取材は、真山琴子の宣伝も兼ねている。最後は、真山琴子は店頭で歌を披露する段取りになっていた。もちろん、伊藤カメラ店がテレビに映るわけだから、その宣伝効果は計り知れない。店主の伊藤さんは、その事をかなり期待しているわけだ。


 撮影隊は、予定の時間になると現れた。責任者である杉山社長を中心にして、真山琴子とそのアシスタント。それにカメラマンと多くの助手たちがやって来た。結構な大所帯だ。打ち合わせ場所の店内が、人で溢れかえってしまう。杉山社長が、撮影部隊に怒声を浴びせた。


「狭い! カメラマンの亀山君を残して、お前たちは、後は外に出てろ!」


 杉山社長のガサツな言葉に、店主の伊藤さんが恐縮してしまう。


「杉山さん、すみません。店が狭くって……」


 杉山社長が振り返る。にこやかに笑みを浮かべた。


「いや、伊藤さんに言ったんやないです。お気になさらずに……」


 その後、店主は一人一人と挨拶を交わしていく。真山琴子との挨拶では、殊更丁寧に頭を下げていた。店主の奥さんが店内に顔を出す。手にお茶が載せられたお盆を持っていた。


「良くいらっしゃいました。今日は、宜しくお願いしますね」


 皆に会釈する。奥さんが僕を見た。


「高井田さん、そこに折りたたんでいるパイプ椅子があるでしょう。並べてくれないかしら」


 ボーっと突っ立っていた僕は、パイプ椅子を両手に抱える。慌てて、店の真ん中に丸く並べた。奥さんは、杉山社長や真山琴子に椅子に座るように促す。一人一人に、お茶を提供していった。演歌歌手の真山琴子が、奥さんからお茶を受け取る。テレビで見るよりも少し小柄に感じた。色気のある、とても奇麗な人だ。それに周りを黙らせてしまうようなオーラを感じる。これがカリスマなのかもしれない。ただ、今日は機嫌が悪いように見受けられた。そんな真山琴子がお茶を一口飲むと、杉山社長を見た。


「表に似顔絵があったわね」


 杉山社長が頷く。


「間違いないやろう」


「ええ、確かにジョージの似顔絵みたいね。だけど、何で今更ジョージなのよ。逃げ出した奴のことなんか……」


 杉山社長が真山琴子を見る。ニヤリと笑った。


「そう言うなって……今は、まだ言えんけどな、もしかするとアイツ……化けるぞ」


 琴子が眉をひそめる。


「何を企んでいるんだか……アイツは私の後輩になるし、アンタだから話には乗ったけれど、私はジョージの事を許しているわけではないのよ。親分さんにも支配人にも、アイツは迷惑を掛けたんだからね」


 杉山社長が、嬉しそうに頷いた。


「分かってるがな。ただな、親分さんや支配人の件は、もう、ケリがついてるんや」


 琴子が、杉山社長を睨む。


「本当なの?」


「ホンマや。だからな、似顔絵の説明をする時は、『寺沢譲治』って、はっきりと名前を言って欲しいんや」


 真山琴子が、不機嫌そうに首を振る。


「ったくー。それならそうと、私にもちゃんと説明をしてよね……」


 真山琴子が、天井を見つめた。


「どうしたんや?」


「あーあ。もう、帰ろうかな……なんだか、気分が悪い」


 琴子の言葉に、杉山社長が狼狽する。


「おいおい、そんなこと言うなよ……分かった。分かったよ。お前にも説明してやるよ」


 真山琴子が、社長を睨んだ。


「アンタ、何を企んでいるの?」


 杉山社長が、大きく溜息をつく。


「ジョージがな、『お笑いスター誕生!!』に出演するんや」


 真山琴子が、目を広げた。社長の顔を覗き込む。


「そうなの?」


「ああ、収録は既に終わっている。東京の知り合いの話では、かなり評判が良かったそうや。今回の取材内容を、そのお笑いスター誕生の放送後にぶつける。相乗効果や」


 真山琴子が、杉山社長を見て息を吐いた。


「ふーん、そうなんだ……でも、私は、ジョージの事を許してないからね」


「かまへん、かまへん。仕事さえしてくれたら、それで良い」


 カウンターに立ちながら、二人のやり取りを聞いていた。僕は素直に驚いてしまう。寺沢先輩のことを、ただの浮浪者だと思っていたのに、テレビ業界のこの二人とはかなり関係が深いようだ。しかも、先輩は真山琴子の後輩になるらしい。それに、親分という言葉も聞こえた。多分、先輩と揉めていたヤクザの親分の事だろう。その寺沢先輩が、「お笑いスター誕生!!」に出演するらしい。どういう事なんだ。想像力が追い付かない。何がどうなったら、そんな話に発展するのか、全く分からなかった。その時、店舗の入り口が開いた。


「いらっしゃいませ」


 反射的に、店主が元気よく声を掛ける。僕も振り向いた。お客だと思って身構えたが、入ってきたのは貴子と小林君だった。貴子が、その場でお辞儀をする。


「おはようございます」


 顔を上げた貴子の視線が、真山琴子に注がれた。しかし、琴子は貴子から目を背けてしまう。


――失礼な奴だな!


 その横で、杉山社長が立ち上がり貴子を出迎えた。


「君が噂の貴子君か、よく来た。よく来た。しかし、えらい別嬪さんやないか」


 杉山社長が、貴子に近づく。背中に手を回した。貴子は、社長を見上げて会釈をする。


「今日は、宜しくお願いします」


 杉山社長は、眉をひそめるとジロジロと貴子を観察した。貴子は少したじろぐ。社長は、そんな貴子の顔を更に覗き込んだ。


「君、歌は歌えるんか?」


 貴子が、驚いた表情を見せる。


「う、歌ですか? 歌うのは好きですけど……」


 社長が、ニヤッと笑った。


「その気があるなら、君、歌手にならへんか? ワシがバックアップしたるで」


 社長の顔が近い。僕は、少し身構える。


――このオヤジ!


 その時、真山琴子が手を二回、打ち鳴らした。


 パンパン!


 杉山社長が振り返り、真山琴子を見る。琴子が社長を睨んだ。


「ここは、アンタが好きなキャバレーじゃないのよ。そんな小娘にのぼせて、どうすんの!」


 杉山社長が頭を掻く。


「いやー、スマンスマン。貴子君、自己紹介がまだやったな。ワシは、今回の企画の責任者で、杉山浩司いうんや。宜しく」


「宜しくお願いします」


「それから、あそこの怖いお姉さんが真山琴子君や」


 真山琴子が、社長を睨んだ。


「いちいち五月蠅い!」


 貴子が、クスリと笑う。真山琴子を見つめた。


「宜しくお願いします。貴方の大ファンです。今日は、真山琴子さんに会えることを、とても楽しみにしていました」


 貴子が、丁寧にお辞儀をする。真山琴子は、軽く会釈を返した。双方の挨拶が終わり、貴子も打ち合わせのメンバーとして参加することになる。付いて来た小林君は、まるで貴子のガードマンのように後ろに立っていた。


 打ち合わせが始まる。中心者である杉山社長は、打ち合わせに参加している皆に、進行表のようなものを手渡した。この後の、全体の流れを説明していく。町内会の副会長でもある店主の伊藤さんが、真山琴子を伴なって商店街を紹介していく。決められた店舗での一押しの紹介ポイントは、予め決められていた。しかし、台本は無い。全てアドリブで行うそうだ。杉山社長の伊藤さんへの注文は、「そのままで良い」だった。オドオドしていても良いし、棒読みで店舗紹介をしても良い。リポーター役の真山琴子が、そうした店主を揶揄う方が、面白いものが出来るからだそうだ。


 打ち合わせが、最後の舞台である伊藤カメラ店の内容に移る。杉山社長が、ジョージの似顔絵について、店主に説明を求めた。店主は、ジョージが似顔絵を描いた経緯を説明する。小学生の息子のお願いで、お祭りの日に店前でジョージに似顔絵を描かせることになったこと。ジョージのパフォーマンスが凄すぎて、大いに賑わったこと。描かれた似顔絵を店頭に貼っていると、お客さんが面白がってくれたこと。真山琴子が、店主の話を聞いて呟いた。


「ジョージらしいわね。私は、その似顔絵と、この娘さんを比較して、ジョージを紹介したら良いのね」


 杉山社長が頷く。


「出来るか?」


 真山琴子が、眉間に皺を寄せて宙を見つめた。


「出来なくはないけど、ちょっと弱いわね」


「弱いか?」


「うん。この似顔絵、黒一色だし、サイズが小さいのよ。この娘さんと並べても、似顔絵の凄さが伝わらないんじゃないかな」


「アカンか?」


「やっても良いけど、アンタのジョージを押し上げたいっていう希望には、多分、応えられないわね。だって、似顔絵よりも、この娘さんのインパクトの方が大きいもの。テレビを見る視聴者は、この娘さんの可愛さしか伝わらないと思う。残念ながら」


「じゃ、どうしたら良いんや?」


 真山琴子が、貴子を見る。視線が冷たかった。


「ジョージを押し上げたいんなら、この娘さんを下す事ね。だって、必要ないもの。似顔絵だけを紹介した方が、よっぽど効果的だと思うけど……」


 店内に、沈黙が流れる。呼ばれてやって来たのに、貴子は琴子から「必要ない」と宣言されてしまった。貴子は言葉を失って俯いてしまう。僕の中から、真山琴子に対する怒りが湧いてきた。


――何なんだ、この傲慢な女は!


 真山琴子は、沈黙している皆を睥睨すると、また、語り始めた。


「それとも、この娘さんをアイドルにするために、押し上げてみる? 良いわよ、それでも。何なら、最後に私と一緒に歌ってみるって、どうかしら? 面白いんじゃない」


 真山琴子が、冷めた目で杉山社長を見つめた。社長はため息をついてしまう。隣で、貴子は顔を上げていた。驚きの表情を浮かべている。琴子は、そんな貴子を見て薄っすらと笑った。


「人前で歌う、そんな度胸があればの話だけどね。歌手なんてね、歌が上手いだけじゃ勤まらないのよ。押さえつけられて、縮こまっているようなお子様は、家で寝てなさい」


 貴子が、大きく息を吸った。真山琴子を睨みつける。小刻みに、身体が震えているのが分かった。僕も、拳を握りしめる。何とかしてやりたいのに、何も出来ないことが歯がゆかった。その時、貴子が、背筋を伸ばした。口を開く。


「良いお話ね。私……琴子さんと一緒に歌ってみたい」


 真山琴子が、大きく目を開いた。貴子の言葉に動揺を見せる。


「あ、あんた、何を言っているのか、自分で分かっているの?」


 貴子が、ツンと顎を上げた。


「貴女こそ、分かっているの? 私と一緒に歌ってみたいってお誘いしたのは、そちら様よ」


 真山琴子が、手にしていた進行表を握りつぶす。


 クシャッ!


 貴子を睨みつけた。


「良い度胸ね。あんた、私の歌、歌えるの?」


 貴子が、悪戯っぽく笑い、琴子を見る。


「貴女のデビュー曲『別れ酒』なんて、どうかしら?」


 二人は、お互いに睨みあった。暫く沈黙が続く。真山琴子が、大きく息を吐いた。


「分かったわ。それでいきましょう。良いこと、恥を晒すのは、アンタよ」


「もしかすると、お姉さんだったりして……」


 緊迫した空気の中、僕は恐る恐る手を上げた。


「あの~」


 緊張から逃げるようにして、店内の全ての視線が僕に集まった。僕は、息を呑む。足が震えるのを感じた。杉山社長が、僕に問い掛ける。


「なんや?」


 僕は、目を震わせながら、叫んだ。


「絵はあります!」


 杉山社長が、眉間に皺を寄せた。明らかに馬鹿にしたような表情で僕を見る。


「絵? 何のことや」


「寺沢先輩が描いた貴子の肖像画があります」


 社長が目を細めた。言いたくはなかったが、仕方がない。貴子の後ろでは、小林君が目を丸くして僕を見ていた。


「肖像画?」


 杉山社長の言葉に、僕は大きく頷く。


「実は、寺沢先輩は、貴子をモデルにして、油絵で肖像画も描きました。大作です。見事な絵です。ほれぼれします。その絵なら、寺沢先輩の凄さをテレビでも感じてもらえると思います」


「どこにあるんや?」


「僕の家にあります」


「直ぐに用意できるか?」


「直ぐに出来ます」


 杉山社長が、僕を睨みつけた。人差し指を入り口に差し向ける。大きな声で、僕に命令した。


「今すぐに、取って来い!」


 僕は、腹の底から返事をする。


「はい! 分かりました」


 僕は、走りだした。馬鹿にされた貴子を守るために。真山琴子を見返す為に。心の中で、僕は祈った。


――寺沢先輩、頼んます。力になって下さい!

――あなたの絵だけが、頼りなんです。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る