第43話 捧げたい

 料亭に到着した僕たちは、仲居の案内に従って座敷に通された。細長い座卓を囲むようにして、僕たちは腰を下ろす。僕と貴子は、向かい合う形で下座に座った。僕たちが座り終えたのを確認すると、仲居によってビール瓶が並べられる。西村の叔父さんはビール瓶を持つと、僕に差し向けた。


「勝君は、もう飲めるんだろう?」


 僕は、自信なさげに頷く。


「ええ、飲めるんですが、僕は車を運転するので……」


 叔父さんは、それでも瓶ビールを僕に差し向ける。


「一杯くらい良いだろう……そうだ、今日は車を置いていけばいい。飲んで行けよ」


 西村の叔母さんが、叔父さんの肩を揺すった。


「あなた、勝さんが困っているじゃない」


 叔父さんが眉をしかめる。僕は、何だか申し訳ない気持ちになってしまった。


「いえ、頂きます。今日は、車を置いていく事にします」


 そう言って、コップを差し出した。叔父さんが嬉しそうに、ビールを注いでくれる。叔父さんからビール瓶を受け取ると、お返しに僕も叔父さんにビール注いだ。


「勝君は、俺の息子みたいなもんだからな、嬉しいよ。ガッハッハッ!」


 叔父さんが、大笑いをしている。注ぎ終わると、僕の父親のコップにもビールを注いだ。母親と叔母さんは、帰りは車を運転しなければいけないので、ウーロン茶を注文していた。僕は、貴子に視線を移し、ビール瓶を向ける。


「貴子も、飲む?」


 貴子が、悪戯っぽい笑顔で僕を睨む。コップを持つと、僕に差し出した。それを見た叔母さんが、慌てて口を挟む。


「これ、貴子。あなたは、未成年でしょう」


 貴子が、ほっぺたを膨らませた。


「え〜、私も飲みたかったな~」


 叔父さんが、大声で笑い出す。


「ガッハッハッ! 俺が許す。貴子も飲め!」


 叔母さんが、慌てて制止する。


「駄目ですよ、あなた。貴子、あなたも遠慮しなさい」


「は〜い」


 貴子が、戯けたように返事を返した。そんな貴子を見て、皆が笑う。父親が立ち上がり、今日の墓参りに皆が参列してくれたことを、再度労った。コップを掲げる。


「献杯!」


「けんぱ〜い!」


 僕は、コップに入っているビールを一気に飲み干した。天津でビールを飲んでからというもの、店で餃子を頼むと必ずビールも注文するようになっていた。昼間から飲むビールも、暑さの所為か、とても美味しく感じる。


「良い飲みっぷりじゃないか!」


 嬉しそうに叔父さんが、またビール瓶を僕に差し向ける。有り難く注いでもらった。


 箸を持つと、最初にマグロの刺し身を口にした。美味しい。今日は、会席料理だから、色々な料理が並べられていた。どれも美味しそうだ。次々と箸が進む。


 ふと、貴子の膳を見てみると、白くてふっくらと丸まった、鱧の湯引きが残されていた。貴子は、食べようとしながらも、避けていた。僕は、貴子に聞いてみる。


「鱧、嫌いなの?」


 貴子が、情けない表情を浮かべて頷いた。


「うん、なんかね。見た目が苦手なんだけど、上に載っている黄色いのも何か嫌い」


 僕は、驚いた表情を浮かべる。


「美味しいよ。ってか、鱧が一番美味しかったけど」


「え〜、そうなの〜」


 貴子は箸を持つと、恐る恐る鱧を口に運ぶ。眉をしかめて食べた。頑張って食べている表情が、妙に可愛らしい。僕の胸がキュンキュンとトキメイた。今、僕の手にカメラが無いことが、どうしょうもなく悔しかった。


 そんな貴子を見ながら、僕は重要なことを思い出す。貴子が、テレビの収録に行かないように説得しなければいけないのだ。果たして貴子は理解してくれるだろうか。僕は、オレンジジュースで口直しをしている貴子に話を振ってみた。


「なあ、貴子」


 貴子が、僕を見る。


「なに?」


「カメラ屋の伊藤さんから、聞いたんだけど、今度、取材に参加するの?」


 貴子が、顎に人差し指を添えて、上の方を見つめた。


「あー、あの事。隣のヒロ君から頼まれた話ね。今度、テレビの取材が来るのよね」


「うん、それそれ」


「参加するわよ」


 僕は、眉をひそめる。


「僕は、止めた方が良いと思うな」


「どうして?」


「貴子ってさ、ほら、目立つじゃない。テレビなんかに出ると、きっと、良くない連中に目を付けられることになると思うんだ」


 貴子が、僕を見て首を傾げた。


「それ、考えすぎだと思うな。そんなこと言っていたら、表も歩けないよ」


「いや、そうかもしれないけれど、テレビは影響力が違うから、絶対に良くないと思うんだ」


 貴子が、僕をじっと睨んだ。


「前々から思っていたんだけど、お兄ちゃんは、私に干渉し過ぎ。私は、もう子供じゃないし、自分でなんでも判断が出来る。お兄ちゃんから、あれこれ指図されるのは……ちょっと嫌かな」


 僕は、情けない表情を浮かべた。貴子が気分を害している。説得を続けたかったけれど、これ以上は、貴子を怒らせてしまいそうだ。僕はゆっくりと息を吐き出し、眉をひそめる。僕と貴子のやり取りを聞いていた、僕の母親が、貴子に問いかけた。


「どうしたの、貴子さん。マサルに嫌なことを言われたの?」


 貴子が頭を振る。


「いえ、そんなんじゃなくて、お兄ちゃんが私を子供扱いするんです。だから……」


 そう言って、僕に向かってペロッと舌を出した。僕は、貴子に向かって唇を突き出す。母親が尚も問いかけた。


「テレビがどうとかと言っていたけれど?」


 貴子が、僕の母親に視線を向ける。


「今度ね、伊藤カメラ店に、テレビの取材が来るそうなんです。その取材のときに、私も出演するようにって、お願いをされたんです」


「あら、そうなの」


「でも、お兄ちゃんが、そのことを心配していて……」


 母親が、僕を見て呆れた表情を浮かべた。


「マサルは、いつまで経ってもシスコンなのよ。貴子さんの事が心配で仕方がないみたいね」


 貴子が、母親の言葉に肩をすくめる。


「お兄ちゃん、とっても優しいんですけどね……」


 母親の呆れた視線から、僕は顔を背けた。貴子も貴子だ、僕のことを馬鹿にして……深いため息を付いてしまう。母親はそんな僕を放っておいて、貴子と話に興じ始めた。


「それより、貴子さん。テレビの話をもっと聞かせてよ」


 貴子が笑顔になった。


「テレビの取材とかは、どっちでも良いんだけど……実はね、リポーターに演歌歌手がやってくるの」


 それまで、僕達の話題に無関心だった父親と叔父さんが振り向いた。叔父さんが貴子に問いかける。


「貴子、俺、そんな話は聞いてないぞ。誰が来るんだよ、演歌歌手って」


 貴子が、悪戯っぽい笑顔を見せた。


「お父さん、知りたい?」


「勿体つけるなよ」


「真山琴子よ」


 ガタッ!


 僕の父親が、驚いて座卓に膝をぶつけた。ぶつけながらも、叫んだ。


「それ、本当か!」


 貴子が驚いて僕の父親を見る。


「ええ、そうだけど」


 父親が、貴子に尋ねる。


「本当に、来るんか?」


「ええ、だから、私も会いたくて……」


「い、いつ来るんや?」


 父親の剣幕に驚きながらも、貴子が答える。


「今度の日曜日。明々後日よ」


 父親が、背広の胸ポケットから手帳を取り出した。ページを捲り始める。深い溜息をつくと、額に手を当てて天井を見上げた。


「その日は、どうしても抜けれない。俺も、真山琴子に会いたかった……」


 母親が、うな垂れている父親の背中を叩いた。


「いい歳して、何が『俺も会いたかった』よ。若い娘の尻を追っかけていたら、私が許さないんだから」


 父親が、母親を見て、お道化て見せる。ビールをひと口飲み、呟いた。


「しかしなー、あの真山琴子だよ。初めて、テレビで見た時は、痺れたな~。まだ若いのに、腰が入ったあの歌声。鋭い視線。何と言っても、情念のこもったあの色気に当てられたな~。俺も会いたかった」


「なによ、それ。馬鹿ねー」


 母親が、未練がましい父親の態度に、呆れたように笑った。振り返り、貴子を見る。


「貴子さんは、真山琴子にどうして会いたいの?」


 貴子が、悪戯っぽく笑った。僕の父親の口真似をする。


「私も、伯父さまと同じよ。『情念のこもったあの色気』を直に感じてみたいの」


「貴子さんまで、何よそれ、ウフフッ……」


 貴子のふざけた様な返答に、母親が噴き出してしまう。貴子が、天井を見上げた。


「私ね、この身を捧げても良い世界を探しているの」


 僕は、驚いて貴子を見つめる。貴子の雰囲気が少し変わったような気がしたからだ。僕は、貴子に尋ねてしまう。


「捧げる世界って、なんのこと?」


 視線を下げると、貴子が真っすぐに僕を見た。


「この間ね、肖像画を描いてもらっている時に、ジョージが私に言ったの」


「何て?」


「自己犠牲こそが、美しいいって……」


 僕は眉をひそめる。


「どういうこと?」


 貴子は、僕から視線を外した。目を細めて、語り出す。


「真山琴子って、命をすり減らようにして歌っているじゃない。きっと、本物だと思うの。歌の世界に、身を捧げているって感じがするじゃない。そんな彼女に会ってみたい。わたし、感じてみたいの……」


 貴子の真剣な口調に、僕は息を飲んだ。テレビの所為で、変な連中に絡まれるとか絡まれないとか、そんな次元の話ではない。貴子が何かを求めていることを、僕は素直に感じた。説得することはもう無理だ。


「分かった。貴子の事を応援するよ」


 貴子が、ニッコリと笑う。


「お兄ちゃん、ありがとう」


 幼かった貴子が、暫く会わないうちに一人の女性として成長していることを感じた。いつまでも子供扱いしていた自分を反省してしまう。


「フ――」


 溜息をついた。天井を見上げる。当日は、貴子の事を見守ることにしよう。そんな風に思った。

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