第23話 エスコート

 川添まつり、当日の朝がやって来た。毎年恒例の、このお祭りは、自治会はもちろんのこと、周辺の商店街の協力のもと、盛大に行われる。スーパーダイエーから見て南側に、川添商店街の専用駐車場があった。この駐車場が、お祭りの本舞台になる。駐車場を取り囲むフェンスには、赤と白の大きな布地が張り巡らされていた。それだけで、お祭りの雰囲気が盛り上がってくる。駐車場中心に設置された櫓からは、四方にロープが伸びており、そのロープには等間隔に赤い提灯がぶら下がっていた。ブラブラと揺れている提灯の下では、まだ、お祭りは始まっていないのに、朝から子供たちが走り回っている。みんな、お祭りが楽しみで落ち着きがない。でも、楽しみにしているのは、何も子供たちだけではなかった。祭りの準備をしてきた大人たちも、どこか浮かれていて、今日のお祭りを楽しみにしている。


 朝ご飯を食べた僕は、ジョージに会うために、自転車を漕いでいた。お祭りの会場を横目に、僕は、ため息をついてしまう。昨日は、張り切って、貴子お姉さんに予告状を渡しに行った。でも、結局のところ、会うことは出来なかった。


「勝負は一瞬」


 ジョージが、あんなことを言うから、僕は噛り付くような思いで叫んでしまった。だけど、あれで良かったのだろうか? 思い出すたびに、不安になってしまう。もしかすると、貴子お姉さんに、変な子って思われたかもしれない。愛想を尽かされたかもしれない。そんなことを考えると、憂鬱で仕方がないのだ。何だか、ジョージのことが、憎たらしくなってしまう。


「怪人二十面相の、馬鹿!」


 思わず、毒づいてしまった。


 廃墟になった団地に到着した。僕が、一番乗りだった。自転車を止めると、僕は周辺に散らかっているガラクタを飛び越えて、ジョージの部屋に向かう。昨日は気が付かなかったけれど、サイクリング自転車が止まっていた。多分、ジョージの自転車なんだろう。やっぱり凄い。今は、ジョージを信じるしかない。


「おはよう、ジョージ!」


 開けっ放しの玄関から、中に入る。すると、そこに、一人のお兄さんが立っていた。青いジーパンに白いアロハシャツ。長い髪の毛は、オールバックにして後ろで束ねている。髭は生えていない。


「えっ!」


 思わず、足が止まった。


「やあ、小林君」


 そのお兄さんが、僕を見てニヤニヤと笑う。


「もしかして、ジョージ?」


 ジョージが、頭を掻いた。


「さすがにね、あの格好のままでは、ただの浮浪者だからね」


「その服は?」


「ああ、これ? 今朝、この箪笥から引っ張り出したんだ」


「モジャモジャの髭は?」


 ジョージが、ツルツルの顎を触る。


「汚らしいからね、剃刀で剃ってしまった」


 驚いている僕を面白そうに見ながら、更に続けた。


「昨晩は、小学校のプールを借りて、汗も流してきたんだよ」


 本物の怪人二十面相だ。僕は目を丸くしてジョージを見つめた。お爺さんかと思っていたのに、お兄ちゃんに変身している。更には、小学校のプールにも忍び込んだって……。ジョージの、そうした変化を見せつけられて、僕は確信した。今日は、きっと上手くいく。程なくして、太田も小川もマナブもやって来た。みんな一様に、ジョージの大変身に驚いてしまう。皆が集まると、ジョージが僕たちに呼びかけた。


「さて、作戦会議を始めようか」


 チキンラーメンを食べた部屋で、僕たちは、車座に座った。まずは、昨日の顛末を、ジョージに報告する。話を聞き終えたジョージが、僕を見て微笑んだ。


「なるほど、良くやったよ。小林君」


 不安だった僕の心が、ジョージの一言で、勇気づけられる。自信が、漲ってきた。ジョージが、話を続ける。


「君の強い一念は、貴子さんのお母さんを、味方に巻き込んだ。大丈夫だよ。君の声は、お姉さんに届いている。今日は、自信を持って、貴子お姉さんを誘いに行ったらいい。必ず来てくれる」


 不思議だ。ジョージに、そう言われたら、本当にそんな気持ちになった。僕は、力強く返事する。


「分かった」


 ジョージが頷く。今度は、太田や小川を見やった。


「太田君と小川君、それにマナブ君は、僕の手伝いをして欲しいんだ」


「何をすればいいの?」


 小川が、ジョージに問い掛ける。


「この部屋にある椅子を、僕と一緒に運んで欲しいんだ。手で持つと大変なんでね。君たちの自転車で運んでくれると、とても助かる」


 太田たちは、頷いた。しかし、ジョージが、一体何をするつもりなのか、気になって仕方がない。太田が、堪りかねたように、ジョージの肩を揺すった。


「なあ、ジョージ。いったい何をするんだよ。もう教えてくれても、良いと思うけど……」


 揺さぶられながら、ジョージが口を開いた。


「僕も生活をしなくちゃいけないんでね、ちょっと商売をするつもりなんだ」


「商売?」


 小川が、ジョージの口から出てきた言葉に、興味を示す。


「内容はまだ秘密だよ。ところで、祭りの会場ではなくて、でも、その近くで、人通りがあって、商売が出来そうなところってないかな?」


 ジョージの質問に、頭を捻っていると、マナブが口を開いた。


「僕の家、会場近くのカメラ屋なんだ。店の前なら、使えると思うけど」


 ジョージが、嬉しそうに、マナブを見る。


「それは好都合だね。早めに行って、親御さんに、ご挨拶をさせてもらうよ。それなら、君の家の椅子を、借りることにしようかな。それなら、手間が省ける」


 伊藤が、頷いた。


「大丈夫だと思う」


 ジョージは、今度は、僕を見る。


「そういう事だから、小林君は、貴子お姉さんを連れて、伊藤君のお店まで来てくれるかな」


 そう言うことだからって、何がそう言うことなんだ。一体、ジョージは何をするつもりなんだ。僕は、不安感が無くなった代わりに、ジョージに対する好奇心が膨れ上がってしまった。


 作戦会議が終わり、ジョージと別れると、僕は家に帰った。約束の時間まで、子供部屋でゴロゴロと過ごす。でも、何だか落ち着かない。壁にかかっている時計を、僕は何度も見た。ジョージは、マナブのカメラ屋に六時頃においで、と言っていた。約束の時間までは、まだ一時間以上もある。一人になってみると、やっぱり不安になってきた。ジョージは大丈夫だと言ってくれたけれど、本当に大丈夫なんだろうか。考えなくてもいいことを、色々と考えてしまう。その時、ふと、気が付いた。そもそも、六時という時間は、ジョージとの約束であって、貴子お姉さんには全く伝わっていない。これは、早めに行動を起こしておく必要がある。そう考えた僕は、むくっと起き上がった。階段を下りて行く。


「お母さん、お祭りに行くから、お小遣いが欲しい」


 僕は、居間で寛いでいるお母さんに向かって、声をかけた。


「はいはい、分かりましたよ」


 お母さんは、直ぐにお小遣いをくれた。


「ありがとう」


 お金を受け取ると、お母さんが、僕を真っすぐに見た。


「お隣の貴子さんとお祭りに行くんでしょう。あんまり遅くならないようにね」


 僕は、吃驚してお母さんの顔を見る。いま、貴子さん、って言った……。


「何で、知っているの?」


「今朝、ヒロちゃんがいないときに、西村さんのお母さんが言っていましたよ。そういうことは、早めに言って頂戴ね。今日は、貴子さんに浴衣を着せるって言っていたわよ」


――何で、そのことを早くに言ってくれないんだ!


 僕は、心の中で叫んでしまう。僕は、玄関に向かって走り出した。貴子お姉さんが、僕を待ってくれている。僕の心臓の鼓動は、早鐘を打つように暴れだした。急いで靴を履くと、僕は玄関を飛び出す。隣りの西村の家の前に立った。一度、大きな深呼吸をする。ドキドキとする気持ちは変わらない。でも、不安な気持ちは全くなかった。


――お姉さんに会いたい!


 僕は、その気持ちのままに、ベルを押した。


 ピンポーン


「はーい」


 家の中からおばさんの声が聞こえた。おばさんは玄関を開けて僕を見ると、ニッコリと笑ってくれる。


「今日は、貴子を宜しくね」


 僕だけに聞こえる小さな声でそう言うと、お姉さんを呼びに行った。家の中からおばさんの声が聞こえる。


「貴子ー、ヒロ君が来られたわよー」


 階段を下りてくる足音が聞こえた。玄関の向こうで、おばさんがお姉さんに話しかけている。もう直ぐ、お姉さんが現れる。僕は、その玄関が開かれるのを待った。ドキドキしながら待った。僕は、二階の窓から事件を目撃した時の事を思い出す。お姉さんは、僕に語り掛けた。


「何を見てるの、ヒロ君」

「はぐらかさないで! ジロジロと見ていたわよ。私、知っていたんだから」

「いま、見たことは、誰にも言っては駄目よ。分かった?」

「ねえ、ヒロ君。お願いがあるんだけど……」

「ヒロ君、いま、ドーナッツを食べたでしょう。それだけの仕事をしてください」

「その表紙の男の子は小林少年よ。あ・な・た・が主人公のお話なの」


 目を細めて、記憶の中の貴子お姉さんを、見つめた。


 カチャリ


 玄関の扉が、開いた。僕は、見つめる。貴子お姉さんが、はにかみながら出てきた。長かった髪の毛が、可愛く結い上げられている。白地に青い朝顔があしらわれた、明るい浴衣を着ていた。お姉さんは、俯いたままで顔が見えない。


「貴子お姉さん」


 僕の言葉に、お姉さんが顔を上げた。後れ毛を揺らしながら、悪戯っぽい顔を、僕に見せる。


「私を盗むの?」


 お姉さんが、クスクスと笑った。僕は、顔が赤くなる。久しぶりに見るお姉さんが、輝いて見えた。言葉が出てこない。


「えーと」


 貴子お姉さんが、笑顔で僕を見つめた。


「ヒロ君って、本当に面白い。さあ、連れて行ってよ」


 僕は、自然とお姉さんに手を差し伸べた。貴子お姉さんが、僕の手を握ってくれる。その手は、暖かくて、柔らかくて、とても愛おしかった。

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