第13話 告白

 七月十二日 日曜日。テレビアニメのドラえもんが終わった。長閑で夢のあるエンディングテーマが流れ出す。歌によると、青い空はポケットなんだそうだ。僕たちの幸せってやつが、青空ポケットから、ポンポンと飛び出すのだろうか? でも、夏の青空は、凶器だ。この炎天下でテニスをすることを考えたら、曇り空の方が良かったと思う。そう、今日は、貴子お姉さんの勝負の日だ。


 僕は、立ち上がった。七つ道具が入ったナップサックと、リボンでラッピングされた包みを手に取る。そんな僕を見て、母親が不思議そうに問いかけた。


「ヒロちゃん、その包みは、なに?」


 僕は、リボンが掛けられた包みを持ち上げる。


「あー、これのこと。預かっているだけ。僕のとは違う」


 お母さんが、不思議そうに僕を見る。


「そうなの。それで、今から出かけるの?」


「うん、貴子お姉さんがテニスの大会やねん。太田と小川と一緒に、応援に行ってくる。昼ご飯はいらん」


 今度は、お母さんが驚いた顔をする。


「いらんって……ご飯は、どうするの?」


「お姉さんが、サンドウィッチを作ってくれるって」


 お母さんが、僕に呆れた表情を見せる。


「そういう事は、早く言いなさい。お呼ばれになるのに、手ぶらってわけには……ちょっと、待ってなさい」


 慌てて台所に行くと、お母さんが紙袋を手にして戻ってきた。


「これを、持っていきなさい」


 紙袋の中には、ドーナッツが沢山入っていた。ドーナッツばっかりいらんのに……そう思いつつも、突き返すわけにもいかない。荷物が、更に増えたが、一緒に持っていくことにした。


 靴を履いて、玄関を出る。ラッピングされた包みと、ドーナッツの紙袋は自転車の前カゴに入れて、ナップサックは背中に背負った。夏の青空から、容赦ない太陽の光が降り注いでいる。同じように、土砂降りの雨みたいに、蝉の鳴き声も降り注いできた。狂ったように、泣き、叫けんでいる。生きようとしている必死さを感じた。そんな蝉の鳴き声に押されるようにして、僕は走り出す。向かう先は、秘密基地。十時半に、皆と待ち合わせをしていた。


 いつもの如く、有刺鉄線の裂け目を抜けて、工場の敷地に入る。デコボコの道に、自転車のタイヤが取られた。カゴの中から、荷物が飛び出さないように注意しながら走っていく。バスの横に自転車を止めた。太田と小川の自転車は、既に止まっている。バスの窓から、小川が顔を出した。


「うんちゃ」


 相も変わらず、アラレちゃんの挨拶をしてきた。これは、合言葉なのだろうか……。


「うんちゃ」


 小川に合わせて、僕も挨拶をした。少し恥ずかしい。でも、小川が、満足そうな表情を浮かべていた。小川って、頭が良いのか悪いのか、ちょっと不思議に思ってしまう。でも、小川とのこんなやりとりも、まー、悪くない。


「なんや、その包みは?」


 バスに乗り込むと、僕が持つ包みを、太田が不思議そうに見つめた。僕は、太田にその包みを手渡す。


「これは、T作戦の小道具や。太田が使うんやで」


 太田は渡された包みを、不思議そうにジロジロと見つめた。小川が、僕の前に座る。


「じゃ、貴子さんからのT作戦を聞かせてもらおうか」


 小川が興味津々な表情を浮かべて、僕を見た。僕も、座席に座りながら、小川を見る。ナップサックから、今朝、預かってきた手紙を取り出した。


「まずは、貴子お姉さんからの手紙を読んで欲しい」




少年探偵団の皆様へ


 私の無理なお願いを聞いてくれてありがとうございます。君たちに守られて、私は本当に嬉しく思っています。今日は、たいした説明もなく無理なお願いをされて、不安に思っているでしょう。ただ、私の思い違いということもあるので、全てが終わったらきちんと説明をします。


 今日の作戦のポイントは、犯行を起こしたその現場を押さえることです。たぶん、犯人は私が活躍すればするほど、妨害をしてくると思います。ただ、犯人が反発を高めるスイッチが何なのかが、私には分かりません。それで、そのスイッチをいくつか用意する作戦を行います。


一、友達が来て一緒にランチ作戦

 今日は私と一緒にランチを楽しんでください。ちょっと恥ずかしいけれど、私を応援しに来たということで、楽しくサンドウィッチを食べていってください。


二、太田君が私にプレゼント作戦

 私へのプレゼントを、私が用意しました。中には、熊のヌイグルミが入っています。太田君は小学生に見えないし、とってもハンサムだから、とても目立ちます。その包みを、私にプレゼントしてください。さり気なく、格好よく、お願いしますね。


三、テニス大会で優勝作戦

 私は今日のテニス大会で、優勝に向けて全力で戦います。こう見えて、私は結構強いのよ。たぶん、テニスでの私の活躍こそが、犯人を動かすと思います。だけど、そのせいで、私は周りが全く見えなくなります。私の優勝に向けての妨害が、きっと起こると考えています。私の周りで、何かおかしなことが起こらないか、見張って下さい。お願いします。


 こうしてみると、犯人の感情をワザと煽るような汚い計画なのは承知しています。でも、私はすでに幾つかの被害を受けています。それなのに、その犯人を咎める証拠が、私にはありません。私は、このテニス大会で、ハッキリさせたいと考えています。


 最後に、もし、テニス大会に岩城薫が現れても、声を掛けずに泳がしてください。彼は、敵ではありません。宜しくお願いします。


西村 貴子




 小川は、手紙を読んだ後、眉間に皺を寄せた。


「うーん」


 絞り出すように唸った後、口を閉ざして、目を瞑ってしまった。反対に太田は、貴子お姉さんからハンサムと書かれた部分に、喜んでいる。口元のゆるみさ加減が、尋常じゃない。分かる、分かる、その気持ち。僕と、代わって欲しいくらいだ。太田のことを、羨ましく思ってしまう。その時、小川が大きく溜息をついた。目を開けると、僕と太田を見た。


「なんや、深刻そうやな?」


 太田が、小川に問い掛ける。


「うーん。貴子さんの計画通りに動くけれど……これは諸刃の剣やな」


「なんや諸刃の剣て?」


 太田が、小川に質問をした。


「話を整理して言うけど、これまで、俺たちは、貴子さんを襲った人間を追いかけていた」


 僕と太田が、頷く。


「だけど、その犯人と思っていた岩城薫は、貴子お姉さんにとっては、犯人ではなかったんや?」


「えっ! そうなんか?」


 太田が、素っ頓狂な声をあげた。


「ああ、そうや。手紙に、そう書いてある。貴子さんが戦っている相手は、もっと違う相手ということや」


 小川は、つばを飲み込むと、更に続けた。


「つまりな、この計画で貴子さんは、その犯人とやらを、あぶり出したいんや。けどな、この計画は、副作用があまりにも大きすぎる。こんな派手なやり方、ケンカを売っているのと同じや。下手すると、犯人だけでなくて、他のいらん敵も作りかねない。貴子さんも、そのことは承知しているんやろうけど……貴子さんの、何がそこまでさせるんかなー」


 小川が、また、ため息をつく。僕は少し悩んだけれど、二人に貴子さんの事を知ってもらおうと思った。


「貴子お姉さんに、言うなって、言われているんやけど……」


 太田と小川が、僕を見る。


「話せよ」


 太田が、低い声でそう言った。僕は頷く。


「岩城薫に襲われる前から、貴子お姉さんの周りでは、色んな事が起こっていたんや。始まりは、自転車のキーホルダーが盗まれたって、言っていた。それから、無言電話が始まる。最近では、学校で体操服を盗まれたんや」


「えっ、そうなんか!」


 そう言って、太田が立ち上がった。小川は、目を開いて、僕を見る。


「分かった。貴子さんの計画に乗ろう。貴子さんは、これまでにも戦ってきてたんや。これは、今日だけの話やない。きっと、決着を付ける時なんや」


 小川も、そう言って立ち上がった。僕も立ち上がる。太田が、僕と小川を見る。


「行こうか、貴子様を守りに」


 そう言うと、太田はプレゼントの包みを抱えて、先にバスから出て行った。僕たちも、それに続く。自転車に乗ると、運動公園に向かって走り出した。


 運動公園のテニスコートには、多くの選手が詰めかけていた。四面あるテニスコートを囲むようにして公園が広がっている。学校ごとに生徒が集まった集団が、あちこちに分布していた。見渡すと、テニス部の顧問が生徒を集めて士気を高めている姿や、今出場している選手を応援する観衆でごった返している。公園は一種のお祭り状態になっていた。僕ら三人は、貴子お姉さんの中学校の生徒が集まっている場所を探した。見つけるのは簡単だった。中学校名をプリントしたシャツを着ている一群があったからだ。しかし、その中に、貴子お姉さんの姿は見当たらない。今度はテニスコートを、見に行くことにした。コートの周りにはフェンスがあり、どの面にも応援する人たちが張り付いている。中の様子を見る為には、隙間を見つけて張り付かなければいけない。割り込むようにしてコートを見る。今まさに、戦っている貴子お姉さんの姿を、見つけることが出来た。


 テニスのルールは良く分からないが、お姉さんのショットは、確実に相手を攻めているように見えた。相手の選手がボールを高く上げると、ラケットを垂直に振り下ろしてサーブを行う。鋭い弾道が、お姉さんに向かって空気を切り裂き、襲いかかる。お姉さんは相手のサーブに対して、素早く反応をしてダッシュをする。ボールの着地地点を見計らって、身体全体でラケットを振り抜く。ひしゃげたボールは、弾丸となって相手のコートへと返っていく。相手はボールに向かって走っていくが、あと一歩、ラケットがボールに届かない。審判が、大きな声で何かを叫んだ。お姉さんは、左手を握ると小さくガッツポーズをする。僕は、そんな貴子お姉さんに向かって、声の限り歓声を上げた。


「強いやないか」


 太田が、目を輝かせて、貴子お姉さんを褒める。


「ほんまやなー。なんか、貴子さん、怖いくらいに真剣やな」


 小川の言うとおりだ。コートの中のお姉さんは、怖いくらいに闘志を漲らせていた。まるで近づくものを、一瞬で切り伏せる剣士のように、コートの中で孤独に戦っていた。貴子お姉さんは、今、何と戦っているのだろう。コートの中でも、コートの外でも、敵と対峙して戦い続けるお姉さん。その姿は、僕にとって、とても崇高なものに見えた。


 試合が終わった。どうやら貴子お姉さんが勝利したようだ。もう、十二時になる。これから昼食になるだろう。今度は、僕たちが貴子お姉さんの戦いを、バックアップしないといけない。貴子お姉さんは、コートを離れると、フェンスに囲まれた出入口に向かって歩き始めた。そんなお姉さんの周りに、クラブの仲間たちが集まる。口々に、勝利を讃えていた。顧問の先生もやって来て、貴子お姉さんに何か話しかけている。僕は、そうした姿を遠巻きに見ながら、話しかけるタイミングを見失っていた。


「おい、どうする。こんな状況で貴子さんと食事なんかできるんか」


 小川の言うことはもっともだ。太田にいたっては、ミナミ高校に潜入した時よりも、緊張しているようだ。そんな太田に、僕は注意する。


「太田、プレゼントがしわくちゃになる」


 太田は、手に持っていたプレゼントを見る。


「おう、おう」


 太田は我に返ると、しわが寄ったプレゼントの包装紙を、不器用に伸ばし始めた。


「とにかく、あそこまで行こう」


 僕が先頭になって、テニス部が集まる一角に歩みを進める。緊張はするけれど、こうなったら成るように成れだ。後ろから太田と小川も付いてきた。


「あっ、ヒロ君。こっち、こっち」


 貴子お姉さんが、僕を見つけてくれた。手を上げて、手招きをしてくれる。


「先生!」


 貴子お姉さんが、隣りにいる先生に声を掛けた。


「近所の友達が応援に来てくれたので、この子たちと一緒に食事を取りますね」


 先生は、ニコニコと頷いている。


「太田君も、小川君も、こっちに来て。早く、早く!」


 貴子お姉さんが、嬉しそうにしている。良い雰囲気じゃないか。T作戦って、本当に必要なのか? なんだか疑問に感じてしまう。僕は、太田の背中を叩いた。


「太田の出番や」


 太田が、体をビクつかせた。


「お、おう」


 ギクシャクしている。太田、大丈夫か? 足を踏み出すと、太田がお姉さんの前に立った。


「貴子さん!」


 太田は、クラブの皆が見守る中、何の前振りもなく、裏返った声で叫んだ。


「僕からのプレゼントを、受け取ってください」


 そう言って、大きな上半身を、九十度に折り曲げた。両手でプレゼントの包みを、貴子お姉さんに差し出す。


 アチャー!


 僕は、心の中で叫んだ。これは、愛の告白じゃないか! しかも、ベタすぎる。こんなん吉本新喜劇だ。しかも、みんなが見ている前で、恥ずかし過ぎて、見ていられない。お姉さんの手紙には、さり気なくって書いてあったじゃないか、さり気なくって。見ている僕の方が、凍り付いてしまいそうだ。


「太田君、ありがとう」


 貴子お姉さんは、そんな僕の心配を他所に、満面の笑みを浮かべて太田に近づいた。プレゼントを嬉しそうに受け取る。貴子お姉さんが、太田に、上目遣いで微笑む。


「開けてもいいかしら?」


 真っ赤になりながら、太田は、声も出せずに大きく頷いた。貴子お姉さんは、皆に見守られる中、ラッピングされた包みを開ける。中から、熊のヌイグルミが出てきた。たしか、そのぬいぐるみは、お姉さんのベットに寝転んでいたやつだ。


「まー、熊ちゃん。嬉しい」


 そう言って、貴子お姉さんは熊のヌイグルミを、ギュッと抱きしめる。


 まじか――――――――!


 僕は、声にならない叫び声を上げた。お姉さんの、流れるような一連の演技に、僕は、もう、何が何だか分からない。そんな二人の様子を見ていた、クラブのお姉さんたちが集まってきた。貴子お姉さんと太田の周りを、取り囲んでしまう。


「貴子、誰、その可愛い子」


 一人のお姉さんが、貴子お姉さんに語りかける。


「もしかして、彼氏なん?」


 他のお姉さんも、興味津々だ。


「やるな太田君」


 太田も、違うお姉さんから、言い寄られる。


「キャー、私もプレゼントされたい。ねえ、太田君」


 お姉さんたちに囲まれて、太田は目を白黒させている。鼻の下も伸びまくりだ。これは、成功なのか? というか、太田は貴子お姉さんの彼氏に確定なのか? 僕は、目を丸くして小川を見た。小川も、僕と同じように驚いている。


「ねえ、みんなで、ご飯を食べましょうよ」


 貴子お姉さんと太田を取り巻いていた、一人のお姉さんが、そう言った。


「さんせーい!」


 他のお姉さん達も、黄色い声で燥いでいる。皆それぞれに、自分のお弁当を取りに行った。貴子お姉さんが、サンドウィッチが入った大きなお弁当箱を、僕たちの為に広げる。その周りに、太田と小川と僕が座った。そんな僕たちを、囲むようにして、今度は、お姉さんたちが、円陣を組むようにして座っていく。こんなに沢山のお姉さんたちに囲まれるなんて、初めての経験だ。


 貴子お姉さんは、皆から太田との関係を質問される。みんな、気になって仕方がないみたいだ。お姉さんは、笑顔を振りまきながら、そんな質問を適当にかわしていた。太田も、人気者だ。図体はデカいくせに、小学生だとバレてしまったもんだから、完全に、お姉さんたちの玩具になってしまった。お姉さんたちに言い寄られて、のぼせてしまっている。でも、お姉さん達の勢いが凄すぎる。ちょっと怖い。


 僕と小川は、蚊帳の外。でも、それで良かったと、しみじみと思った。

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