第12話 T作戦

 黒い敵と戦っていた僕は、いま、劣勢に立たされている。追いかけられているのだ。守っていたはずの貴子お姉さんも、傍にはいない。いつしか黒い敵は大きな大人になって、僕を追いかけてくる。僕は、自転車に乗って逃げる。踏み込む足が重い。このままでは、捕まってしまう。もっと一生懸命に逃げないと。後ろを振り向くと、敵の手が伸びてきた。僕の肩を掴む。もう駄目だー。


「…やし」

「おい、こば…」

「おい、小林!」


 僕は、飛び起きた。シャツが身体に貼り付いている。寝汗をかいていた。先程の恐怖が、まだ僕の心を引っ掻いている。虚ろな意識で周りを見ると、太田と小川が、僕を見ていた。


「なに、呑気に寝てるねん」


 太田が、ニヤニヤと笑いながら僕を見下ろしていた。急速に、記憶が戻ってくる。今日は、潜入捜査……。


「どうやったん? 赤い自転車!」


 僕は、太田に食いかかるようにして叫んだ。


「まー、まー、落ち着けよ」


 そう言って、太田が僕の肩に手を置いた。含みを見せた笑顔で、言葉を続ける。


「それより、お互い、捕まらんでよかったな」


「ああ、そうやな」


 太田に倒された先生が、立ち上がろうとする姿が、思い出された。


「逃げるときに振り返ったら、お前、裏門に向かって走っていったやろう。先生、キョロキョロして困ってやがんの」


 そう言って、太田が面白そうに笑った。その横で、小川が僕に語りかける。


「小林の声、聞こえたよ。おがわーって、めちゃ恥ずかしいやん」


 そういえば、僕、咄嗟に叫んだんだ……。


「それで、どうやったん?」


「声のあと、正門から、赤いサイクリング自転車が出て来た。その後に、太田もすごい顔して出てきたやろ、アキラは直ぐに分かった」


「追跡は出来たんか?」


「もちろん、バッチリやで。アキラの本名は、岩城明。高校一年生で、テニス部」


「えっ! すごいやん」


 追跡の状況について、僕は、小川から説明を受けた。自転車に乗ったアキラは、南に向かって走って行ったそうだ。僕が住む川添町よりも、更に南、コンクリートで出来た団地が林立する中の一棟に、自転車を止めた。しかし、それからの手立てに困っていると、太田が動いた。先生に体当たりをして、頭に血が上っていたみたいだ。太田は、自転車を降りて走り出すと、団地の階段を上ろうとした、アキラを捕まえた。


「俺はな、このチャンスを逃したらあかんて、思ったんや。いま、ここで尋ねなかったら、何も分からへん」


 太田が、拳を振り上げて、力説した。小川が太田に、悪戯っぽく笑いかける。


「いや、あれは尋ねていたんやない。完全にからんでいた。まるで、ヤンキーやで」


 小川の言葉に、太田が気を良くする。


「俺はな、チマチマしたんが嫌いなんや。男はストレートでないと」


 太田が自慢げに語った。


「それで、どうなったん?」


 太田の言葉には返さずに、僕はその後の展開を小川に問いかける。


「実際は、小学生が高校生にからんでいるんやもんな。これは、面白いで」


 太田は、まだ自己陶酔をしている。そんな太田を放っておいて、小川が状況について丁寧に説明してくれた。太田の威圧に怯えたアキラは、自分の名前を名乗った。更に質問を畳みかけると、西村貴子のことを、アキラは知っていた。中学校のテニス部の後輩だと答える。いよいよ、核心に迫ってきた。


「この間の金曜日、西村貴子を襲おうとしたやろ」


 太田が睨みを利かして詰め寄った。


「そんなん、するわけないやん」


 アキラは泣きそうな顔になると、急に走り出して団地の階段を登って行ったそうだ。呆気に取られていると、アキラは三階にある自宅の中に閉じ籠もってしまった。


「名前と家は、割り出したで」


 太田は自信たっぷりに、胸を張った。でも、問題はまだ解決していない。赤い自転車の主は、僕が見た犯人ではなかった。真犯人は他にいる。小川が、一連の状況について整理を始めた。


「まず、今回の事件の最初の手がかりは、赤いサイクリング自転車やった。犯行の時、その自転車に、一体、誰が乗っていたのか?」


 小川が、僕と太田の顔を交合に見つめる。僕は、答えることが出来ない。太田が、小川に問いかけた。


「誰やねん?」


「それは、今のところ分からない。ただ、確かなことは、アキラの周辺に犯人はいる。兄弟か、もしくは友人か」


 小川に向かって、太田が悪戯っぽく笑いかけた。


「俺が、もう一回あいつの家に行って、問いただしたろうか?」


 そう言って、太田がボクシングの真似をした。そんな太田に、小川が微笑みかける。


「それも悪くはないけれど、今日のところは、もう家からは出てこないやろ」


「じゃー、どうしたらええねん?」


 太田が、不満そうに小川を見る。


「今回のことで、貴子さんとアキラに、テニス部という共通点が見つかった。これは、大きな収穫や。そこで、小林にお願いしたいことがある」


「えっ! ぼく?」


 僕は、驚いた顔を、小川に見せる。


「今晩、貴子さんに、今日の出来事を伝えて欲しい。特に、岩城明の周辺で、犯人らしき人物に心当たりがないか、聞いて欲しいんや」


 僕は、小川の顔を真っ直ぐに見つめる。


「分かった。お姉さんに伝える」


 太田が、立ち上がった。


「よし、今日のところは、これで解散やな。しかし、今日は、ほんまに面白かったな。たまらんで」


 太田が、また、ボクシングの真似をしている。僕は、大田の言葉を心の中で、繰り返してみた。


――面白かった。


 そう、今日は、怖い事もあったけれど、面白かった。本当に面白かったんだ。今更のように、今日の出来事を思い返す。面白かった今日の出来事を、貴子お姉さんに報告しよう。手紙を書くことが、とても楽しみになってきた。その後、皆と別れて、家に帰った。二階の子供部屋に駆け上がると、早速、手紙の作成に取り掛かる。僕の中から、溢れるように言葉が出てきた。貴子お姉さんに、伝えたくて仕方がない。




西村 貴子様


 ミナミ高校の捜査について、報告します。

 高校には僕と太田で潜入しました。赤いサイクリング自転車がありました。先生に見つかり大変だったけど、持ち主が分かりました。岩城明という、高校一年生の男です。家は団地に住んでいます。テニス部です。だけど、アキラは、お姉さんを触った男とは違う男でした。自転車は同じなのに犯人ではありません。 

 岩城明という名前から、何か心当たりはありませんか。小川の推理では、お姉さんの周りに岩城明に関係する人間がいるはずだと言っています。以上報告です。


小林 博幸




 僕は夜九時になるのを見計らって、貴子お姉さんの窓を二回ノックした。お姉さんは、待っていたように窓を開けてくれる。


「こんばんは」


 小さな声で囁き、僕に微笑みかけてくれた。嬉しい。僕は、モジモジとしてしまう。僕が、何も言い出せずにいると、お姉さんが聞いてきた。


「どうだった?」


 僕は目を大きく広げて、右手の力こぶを、お姉さんに見せた。お姉さんが、クスクスと笑ってくれる。僕は、用意していた手紙を、手に持って見せた。体を乗り出して、お姉さんに差し出す。お姉さんも、手を伸ばしてくれた。何度か繰り返してきた、この瞬間が、僕は好きだ。僕の気持ちが届けとばかりに、僕は手を離した。いつもなら、窓を直ぐに閉めてしまうのに、今日のお姉さんは、違った。僕の目の前で、手紙を読み始めたのだ。よっぽど気になるみたいだった。


「えっ!」


 小さく叫び声をあげると、お姉さんが固まってしまった。顔を上げて僕を見ると、また、手紙を読み直し始める。僕は、そんなお姉さんの仕草に、驚いてしまう。お姉さんは、黙ったまま、暫く考え込んでしまった。僕は、窓の縁を掴みながら、そんなお姉さんを、じっと見つめる。なんだか、僕まで、ドキドキしてきた。


「ねえ、ヒロ君」


 貴子お姉さんが、悩ましげな目で、僕に問いかけた。


「はい」


「明日の朝までに手紙を書くから、また、太田君と小川君と一緒に読んでほしいの」


 僕は、大きく頷く。


「わかった」


 お姉さんは、ゆっくりと息を吐いた。


「お願いね。まだ、確証はないんだけど、大体飲み込めたわ」


 お姉さんが、眉間に皺を寄せて、宙を睨んだ。


「ハッキリさせてやる」


 確かに、そう言った。僕が驚いていると、お姉さんは、口の端が少し上がり嫌らしく笑った。今まで見たことがない、貴子お姉さんのその表情は、どこか妖艶で僕をドキリとさせた。


「今日は、お疲れ様。早く寝るのよ」


 そう言って、貴子お姉さんは、僕に手を振ってくれる。僕も手を振った。窓が閉められる。次の日の朝、お姉さんから、いつもと同じように手紙を受け取ると、それを持って僕は学校に行った。




♪キーンコーンカーンコーン


 授業が終わり休憩時間が始まった。呼びもしないのに、太田と小川が僕のところにやって来る。


「ほい、これ。返しておくわ」


 太田はそう言って、僕に少年探偵団の本を差し出した。僕はその本を、大切にランドセルに仕舞う。代わりに中から、貴子お姉さんから預かった手紙を取り出した。それを見て、小川が問いかける。


「もしかして、それ、貴子さんからの手紙か?」


 僕は、頷く。すると、太田が、堪えきれずに、手を差し出した。


「早く見せてくれ!」


 僕は、太田にその手紙を渡す。


「お姉さんから、今後の作戦が書いてある」


 僕は、真剣な顔で、太田と小川を見つめた。




少年探偵団の皆様へ


 高校への潜入捜査、お疲れさまでした。私はその場には、居なかったので分かりませんが、さぞかし大活躍されたのだと思います。太田君、小川君、小林君、本当にありがとうございます。


 捜査の収穫として、自転車の持ち主が岩城明だと分かりました。彼はテニスクラブの先輩です。とても優しい先輩です。先輩には、弟がいます。私と同じ二年生で、岩城薫といいます。隣のクラスてす。先週、私を襲ったのは、岩城薫で間違いがないと思います。ただ、今回の事件は、もう少し根深そうです。確証がないので、今は説明することを控えます。私の方で少し当たってみたいと思います。


 それとお願いがあります。明日の日曜日に私はテニス大会に出ます。その時に、私と私の荷物を、それぞれ見張ってもらえないでしょうか。今日、学校で餌を撒いておきます。多分、テニス大会で何かしらの変化があると思いますが、空振りに終わるかもしれません。実際のところ、私にも予測は出来ません。ただ、犯人が言い逃れ出来ないような証拠なり現場を押さえたいのです。


 テニス大会の場所は、市立運動公園のテニスコートになります。芝生小学校からも、自転車で行くことが出来ます。大会の開始時間は九時からだけど、早く来なくてもいいです。お昼前に来てください。皆の為に、サンドウィッチを用意しておきます。私に会いに来て、一緒に食べてください。これは作戦の一つになります。無理なお願いばかりでごめんね。更に詳しいことは、前日の夜に小林君に伝えておきます。


西村 貴子




「T作戦やな」


 太田がボソッと呟いた。


「なんやそれ?」


 僕は、太田に問い掛ける。


「貴子作戦、テニス作戦、おお・た・作戦のことや」


 僕は、太田に笑いかける。


「おお・た・作戦はともかく、なんか格好ええな。そのT作戦」


 僕は、太田の提案に面白がった。ところが、一番反応しそうな小川が、口を噤んだまま、考え事をしている。そんな小川の事を、不思議そうに見つめていると、口を開いた。


「詳しくは書かれていないから、僕の推測だけになるけど、僕たちは岩城という名前を見つけだし、そこから岩城薫までたどり着くことが出来た。それなのに、貴子さんは犯人の薫ではなくて、テニス大会で何かの決着をつけようとしている。しかも、僕たちに、貴子さん本人と、貴子さんの荷物の警護を求めてきた。まだ、言えない事情があるんだとは思うけど……これは、当日、襲われる可能性があるっていうことや」


「襲われる? 貴子様が!」


 太田が驚いたように小川に詰め寄った。


「落ち着けよ。文面から、そのように読めるから、そう言ったんや」


 小川が、太田をなだめる。僕は、そんな二人に問いかけた。


「じゃ、当日はどんなふうに警護するんや」


 太田が、僕を見る。


「貴子様の警護は、俺で決まりや。っていうか、俺しかおらんやろう。荷物の警護は、お前と小川に任した」


 太田は即答で、警護の配置を決めてしまった。


「まぁ、そうやな」


 僕は太田の気迫に押されて、そう言うしかなかった。まー、順当だろう。仮に貴子お姉さんが襲われそうになった場合、太田ならやっつけてくれるだろう。しかし、荷物の警護にはどんな意味があるんだろう。また、何か盗まれるということなのだろうか? それに、餌を撒くって、どういうことなんだ。謎に包まれたまま、僕たちは、当日を迎えることになった。

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