第3話 一件落着

 敦子さんは僕をテーブルの下に避難させると、すっくと立ち上がって出入り口へと歩いていった。


 こっそり覗いてみると、先ほどのすけこましが尻もちをついている。

 まさか撃たれたのか? と思ったが、四つん這いになって敦子さんの脇をすり抜けてこちらへ逃げてきた。


 肝心の犯人はといえば、レジ係に拳銃を突きつけて左手をしきりに差し出している。


 まずいな。かなり興奮してしまっている。

 いったん落ちつけないと興奮のあまりトリガーを引きかねない。


 そんな男に向かっていく敦子さん。なにが狙いなんだろうか。

 まさか取り押さえようとしているとか? あんなに可憐なのに?


 犯人も敦子さんが近づくのに気づいたようだ。


「おい、そこの女! 動くんじゃねぇ!」


 彼女はそれでもつかつかとヒールを鳴らしてゆっくりと近寄っていく。


 これって、わざとしていないか?

 今店内の視線はすべて敦子さんに向いている。他の人に隠れるチャンスが訪れた。


 情けない姿でこちらに戻ってきたすけこましをテーブルの下に引きずり込む。


「お、おい、テメエ。たしか中国武術の達人とか言ってたよな? 姉ちゃんを助けなくていいのかよ」

 僕もそのつもりでいるのだが。


「まずは逃げ遅れたあなたの身の安全を優先したまでです。今からなんとかします」


 表情がひりつくのを感じ、意識して口角を上げた。


 心の余裕は態度に表れる。

 反対に、態度のゆとりが心の余裕を生み出すのだ。


 ピンチに陥っても笑顔を絶やすな。


 八卦掌はっけしょうの師匠からの教えである。


 犯人は敦子さんに気をとられている。

 動くなら今しかない。


 テーブル下から低姿勢のまま抜け出すと、犯人と敦子さんの線上に身を置いた。

 これで僕の姿は敦子さんの体で隠される。


 彼女の体からはみ出さないよう、気配を殺して彼女の背後にまわった。

 すると敦子さんがお尻の前に左手を差し出してこちらの動きを制する。


 まさか、気づかれている? 気配を殺しているのに?


 そのまま敦子さんは犯人と距離を詰める。


 すると、それまで余裕のなさそうだった犯人が、にわかに目を見開く。

「おい、女。よく見るとなかなかのぺっぴんさんじゃねえか。あんたを人質にしてここから逃げるか」

 と言った途端、敦子さんに襲いかかった。


 と同時に彼女の体でできた死角に隠れたまま犯人の視界から外れた位置までたどり着いた。

 これでいつでも飛びかかれる。


 あれだけ勇敢に立ちまわっていたのに、まったく抵抗せず犯人に捕まってしまった。


 まずいな。これはすぐに動くべきか……。


「おい、表に停めてある高級車の運転手! 出てきて鍵をよこせ! さもないとこの女の命はねえぞ!」


 その声にすけこましが反応したのか、テーブル席からカップなどがなにかにぶつかった音が派手に鳴った。


「そこのヤツか。鍵を通路に置けば、命まではとらねえよ。さあ早くしろ!」

「ドライバーさん、お願いですから鍵を差し出してください」

 敦子さんは哀願した。


 そこからしばらくなんの音もしなかった。

 耳を凝らしていると、チャリンと金属が床に置かれた音がする。

 さすがのすけこましも、この状況では致し方なしか。


 だが、これで絶好のチャンスが訪れる。

 後ろから敦子さんに銃口を向けている犯人が、そのままの体勢で鍵の置かれているだろう場所まで少しずつ近寄っていく。



 今だ!


 犯人の背後へまわりこむと同時に起き上がった。

 拳銃を持っているのは右手だ。左手で相手の右肩甲骨を、右手で拳銃を握る右手首をガッチリと捕まえた。

 そのまま左脚を犯人の右腰前に割り入れて体落としの動作に入る。


 そのとき「痛ぇ!」と犯人の大きな声がした。

 右手で犯人の右手首を激しく圧迫しているせいだろうと思い、かまわず地面に引き倒す。


 顔から床に落ちた犯人の背中に左膝を乗せて身動きを制する。

 右手を最大限に握りしめて拳銃を地面に落とさせた。


 これで犯人の反撃は完全に封じた。

「キッ、キサマ! 痛ぇじゃねえか! 腕を離しやがれ!」


「銀行強盗犯の言うことは聞けないな」

「なんだと!」


 恐怖から解放されたレジ係を見た。


「警察を呼んでください。一キロ先の銀行で強盗した男を捕まえたと──」


「警察ならここにいますわ」

 女性の声がして見上げると、敦子さんがショルダーバッグから手錠を取り出した。

「えっ? 敦子さん?」


 彼女は左手首に巻いているスマートウォッチで時間を確認した。


「十五時二十二分、強盗犯を確保」

 犯人を後ろ手のまま身柄を拘束していく。


「私ひとりでなんとかなると思っていたのですが」

 敦子さんは床に落ちた拳銃をハンカチで包んで拾い上げると、スマートフォンで応援を要請した。


 僕は彼らが到着するまで犯人を取り押さえたままの体勢をとり続けることにした。

 銀行強盗までする人物は、たとえ手錠を噛ませたところでおとなしくしているとは思えなかったからだ。


「孝也さん、ご協力感謝致します」


 敬礼した敦子さんを見て、ようやく状況が完全に理解できた。


 犯人が悲鳴をあげたとき、敦子さんはヒールで足を踏んづけていたのだ。


 それで犯人の力が一瞬緩んで、僕のたいさばきもスムーズに決まったのだろう。


「まさか敦子さんが警察の方だったとは」

「利用する形になって申し訳ございません」

 疑問もないことはない。


「なぜ犯人がここに現れるとわかったんですか?」


「いえ、緊急配備の指令があったのは確かなのですが、たまたま銀行の近くにいたので、強盗が逃げ込みそうな場所に目星をつけてやってきたのです」


「敦子さんって優秀なんですね。実際に犯人の立ち回り先を当てたんですから」

 ワイヤレスイヤホンで逃走方向を聞きながら、逃走に好都合な自動車の停まっている店に目星をつけたらしい。



 程なくして応援の警察官や私服刑事がやってきて、犯人は身柄を確保された。

 警察の方々に犯人を委ねたところ、警官たちから「ご協力感謝致します」と一斉に敬礼を受けた。


 後ろ手に手錠をはめられているにもかかわらずパトカーに押し込められるときでさえ犯人は暴れていた。

 その様子を見守っていた敦子さんに聞いてみた。

「あの犯人、薬物でもやっていたのでしょうか?」


「おそらくそうでしょうね。署に到着後、薬物検査されますから」

「そうですか。とりあえずケガ人が出なくてよかった」

 犯人も引き渡したし、もう用はないだろう。


「敦子さん、任務ご苦労さまです。じゃあ僕はこのへんで──」

「それがそうもいきませんわ。重要参考人として事情聴取を受けていただかないと」


 大立ち回りをしてしまったのは確かだからなぁ。人命を粗末にするなと説教のひとつも聞かなければならないだろう。


「警察の方からこってり絞られるのでしょうね」

 乾いた笑い声を発してしまう。


「いえ、感謝状ものですわ。たしか八卦掌はっけしょうの使い手でしたよね?」

 あの話も全部聞かれていたのか。この人には敵わないなぁ。


「気配を消して私の背後にまわり、そこから犯人の死角に飛び込むなんて、並みの使い手ではできませんわ」

 敦子さんは微笑んでいた。


「姉ふたりが美人なもので、父から女を守れる男になれ、とか言われて。いやいや道場に通っていたんですよ。でもおかげで敦子さんのお役に立てたかな」

 微笑みを返してみた。

 この美人に協力できたのなら光栄というものだ。


 ところであのすけこましはどうなるのだろうか。

 結果的に高級EV車は逃走に使われていないし。

 醜態を晒した店からはおさらばしたいところだろう。


「ナンパ男は二三、話を聞いてそれっきりですわ」

 それならよしとしよう。

 これに懲りて少しは真面目になるとよいのだが。


 そんなとき男の声が聞こえてきた。

「敦子さん、ご無事ですか?」

「光太郎くん遅いじゃない。もう現場はお開きよ」

 話しぶりからすると部下かな。

 けっこう親しそうに話しているけどもしかして。


 まぁいいか。こんなろくでもない、にぎやかな日はそうは味わえないしな。


「あ、そうだ。孝也くん、せっかくだからこの店のミルクティーを飲んでからにしない?」


「いいですね。すけこましが置いていった代金も手つかずですからね」


 卒業論文に煮詰まり、美人と知り合って、事件に巻き込まれ、もう夕刻だ。

 じきに日も暮れるだろう。


 せめて今だけは、この白百合のような笑顔に癒やされよう。




 了

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白百合の微笑み〜ラブストーリーは程遠い カイ.智水 @sstmix

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