迷宮王の天秤

oxygendes

第1話 秘宝

 岩山をくり抜いて作られたダンジョンの最深部、冒険者ショウとリンダの二人はいくつもの難関を乗り越え、遂に迷宮王ヴォクトルの残した秘宝の前に立った。

 なめらかに整えられた岩肌の中、胸の高さほどの位置で岩壁がえぐられ、祭壇のような窪みが作られていた。そこに置かれていたのは赤ん坊の頭ほどの大きさの卵型のオパールただひとつ。二人の持つランプの光を受けて乳白色の煌めきを怪しく揺らめかせていた。


 ヴォクトルは先々代の王であった。先王崩御後の王位をめぐる抗争の中、側女の子として王位継承権の末端に位置していた彼は、第二王子の先兵となって権謀術策を駆使して他の継承権者たちを打倒、追放し、遂には第一王子をも敗死させた後、第二王子を謀殺して王位を簒奪した。

 王となったヴォクトルは国内の敵対勢力を駆逐した後、ダンジョン構築に熱中する。石造りの城塞を改造、あるいは岩山をくり抜いて建造し、十近くのダンジョンを作った。そのうちの多くは最深部に財宝を隠したうえで挑戦者に開放し、財宝にたどり着いた者にはそれを与えるとした。

 人々はヴォクトルの行動を、外敵に攻め込まれた時の逃げ込み場所作り、あるいは対暗殺者トラップの研究でないかと噂し、彼を迷宮王と呼んだ。彼の死後もいくつかのダンジョンは攻略されないまま残り、冒険者たちの挑戦が続けられている。


 この岩山は残るダンジョンの中でも最大級のものだ。他の挑戦者たちと同様、ショウとリンダはそれぞれが準備を整えてダンジョンに挑んだ。多くの挑戦者たちが途中で脱落したり行き詰ったりする中、ダンジョン深部に進むことに成功したのだが、同じ場所で立ち往生した。一人では持ち上げられない重さの落とし戸という単純だが効果的な難関を突破するに際し、ダンジョン突破まで協力することを約束してここまで来たのだ。


 煌めきを見つめる二人の冒険者の脳裏をこれまでの多くの試練の情景が駆け巡った。炎の壁、打ち出される無数の鉄球、奈落にかかる細い道、身一つがようやくくぐれる洞穴などなどだった。長い冒険もようやく終わる。二人は目配せを交わし、ショウが一歩前に踏み出した。ランプを脇に置いてオパールに手をかける。リンダはランプを前に差し出して、オパールとその周りを照らした。

 まだ、罠が仕掛けられているかもしれない。二人は慎重にオパールの周りを調べたが、不審なものは見つけられなかった。ショウがゆっくりとオパールを持ち上げた時、

  ザザザザザザッ

 何かがこすれるような音が聞こえ始めた。音はオパールの置いてあったあたりから出ていた。目を凝らすと岩棚に指の太さほどの穴が開いていて、砂が穴の奥に流れ落ちていっていた。慌てて止めようとするが、砂は指先をすり抜けていく。あっという間に砂はなくなり、黒い穴がぽっかり開いた状態になった。急いで岩肌に耳を当てると、ザザザッという音が遠くへ移動していくのが聞こえた。ショウは顔をしかめる。


「まずいな」

 ショウは体を起こして、リンダに向き直った。

「何かの仕掛けが起動した」

「そうみたいね」

 リンダは口をへの字に曲げる。

「せっかく財宝を見つけたのに……、まあ、やっちゃったものは仕方ないわね。どんな仕掛けだと思う?」

「わからないが、音は遠くに離れて行った。戻り路のどこかで作動しているんだろう。道が塞がれているのかも」

「まったく……、でも、ここにいてもしょうがないわ。行ってみましょ」




 二人が来た道を少し戻ったところで仕掛けがもたらしたものがわかった。

 垂直な壁面から張り出した人一人が通れるだけの幅の通路、それは一枚の細長い石板で作られていた。張り出した通路の前後ではダンジョンは円形の断面を持つ坑道になっていて、こちら側の通路と坑道の境目は天井が高く床面の幅も広い、開けた空間になっていた。石板は開けた場所まで伸びており、床の岩盤にはめ込まれるような形になっている。張り出した通路の下には奈落が広がっており、ランプを持った手をいっぱいに差し出しても暗闇が広がっているだけで、向こう側の壁や奈落の底は見えなかった。

 来た時には通路のこちら側の広い部分に正義の神セニアの神像があったのだが、その神像が消えている。通路から続いている石板に小さな穴が開いており、その周りに少しだけ砂が残っていた。

「あの神像は砂像だったんだろう。オパールの下の砂が流れ去ると、砂の通路ができてこちらの神像も崩れ落ちて砂になり、穴を通って流れて行ってしまう仕掛けだ」

「それでどうなるの?」

「来た時には問題なく通れた道が神像が無いと違ってくるのかも」

 ショウは前方の通路を睨みつけた。

「どういうこと?」

 リンダはけげんな表情で見つめる。

「試してみる」


 ショウは通路をゆっくりと進んだ。通路の半ばまで来た時、ショウが踏み出すと、

  ゴゴゴゴゴゴオッ

石がこすれる音と共に張り出した通路が前に傾き始めた。背後の部分は上に持ち上がっていく。ショウがあわてて後ろに下がると、

  ゴゴゴゴゴゴオッ

音を立てて、通路は水平に戻った。ショウは通路を引き返しリンダのそばへ戻る。

 

「シーソーのような構造だ。あれ以上進んだらもっと傾いて奈落に真っ逆さまだ。来た時にはここにあった神像が重りになっていて無事に通れたんだが、もうそれはなくなった。帰る時には何かを代わりの重りにしないといけない。それが最後の難関、さしずめ迷宮王の天秤ってところだな」


 ショウとリンダは重りに使えるものがないか、装備を調べ、そして周りを見回した。二人はここにたどり着くまでに準備した道具や装備のほとんどを使い果たしていた。残っているのは身に着けた衣服とランプ、ショウの腰に下げたナイフとリンダの持つ戦棍メイスぐらいだった。そして洞穴の中は滑らかな壁面になっていて、重りになりそうな岩塊はおろか小石すら存在していなかった。この難題をどう解くか。しばらく考えてリンダが口を開く。


「通路を通るには誰かが石板の上に立って重りにならないといけないってことよね……。私たちのどちらか一人がここに残ることにして、もう一人が通路を渡る間、石板の上で重りになるっていうのが一番単純な答えよね」

「ああ、そうだ」

 ショウは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。

「そして、脱出したもう一人が装備を整えて迎えに来てくれるのを待つ。互いに信頼関係に結ばれた同士ならそうだよな。だが、残念ながら俺たちは盤石の信頼関係ってわけじゃない」


 ダンジョンの中で出会った二人はここまで協力して進んできたが、それは攻略のためやむを得ずおこなったもので、ダンジョン突破までの限定的な約束だった。ダンジョンを攻略できた者は隠された財宝を得るだけでなく、難関を突破したものとしての栄誉と称賛を与えられることになる。それを二人で分けるのでなく独り占めしたいという誘惑は、冒険者にとって拒否しがたいものだった。


「別の方法として、一人がもう一人を動けない、あるいは動かない状態にして石板の上に固定し、自分だけオパールを持って脱出するというのもある。あんまり見たくない絵だけどな」

 ショウは婉曲に表現した「動かない状態」を想像して胃が重くなった。リンダを見ると彼女も不愉快そうな表情を浮かべていた。

「だけど、俺はもう一つ別の解決方法を考えついたぜ。それはな……」

 ショウは話しながら上着のボタンを外し始めた。




 おおよそ三十分後、ショウは石板の上に一人で座り込んでいた。上半身は下着だけの姿だ。傍らにはオパールが置いてある。


 ショウが重りになり、リンダがショウの上着を持って通路を進んだのだった。ダンジョンを二十分ほど戻ったところに、侵入者に向けて鉄球が打ち出される仕掛けのある場所がある。そこで鉄球を集め、ショウの上着で包んで持ち帰ってくる。それを何度か繰り返して人間一人分の重さを揃えて石板の上に載せて重りにするというのが、ショウの考えた解決方法だった。


 こうなると、ショウにはリンダを信じて待つことしかできなかった。目の前に横たわる奈落をぼんやりと眺める。横断をかたくなに拒むそれが人の心に巣くう闇そのもののように思えてきた。

 迷宮王のダンジョンの建設には、何百人もの職人、大工、工夫が動員された。王自身が設計を行い、建設に携わる人間の担当部分は細分化されたため、王以外にダンジョンの構造を理解するものはいなかった。場所によっては王自身が製作を行ったと言われる。ショウは突破して来たダンジョンの複雑な構造と巧みに仕組まれた罠を思い返した。それらは来訪者を拒絶する断固たる意思を感じさせるものだった。


 ショウ達が今取っている方法は実は別の展開もありえるものだった。通路を渡ったリンダにはそのまま外へ出て行って、ショウが力尽きるのを待つという選択もありうる。ショウが力尽きてから戻ってきて、亡き骸を石板の上に置いてオパールを持ち去るのだ。まあ、ショウがオパールを奈落に投げ捨ててなければ……ではあるが。


 ショウはふと思った。この仕掛けは人間が信頼あるいは何らかの打算で互いに協力できるかどうかを見極めようとして迷宮王が作ったものではないだろうか。その答えはじきに出る。正確な時間はわからないがリンダが出かけてから既に六十分近くたったような気がする。片道二十分としてもう帰って来てもいい時間だ。


 足元に置いたランプを見る。思ったより油の残量が少ないようだ。ランプの炎がゆらりと揺れた。

そして……、




 そして……、奈落の向こうに小さな光が現れた。光はリンダの姿になり、少しずつこちらに近づいて来た。彼女は両側に荷物をぶら下げた戦棍メイスを肩に担いでいた。上半身は白いキャミソール姿だ。ランプは戦棍メイスに吊り下げられ、ゆらゆらと揺れながら彼女を照らしている。通路の向こう側にたどり着いたリンダは肩から荷物を下し、ショウに大きく手を振った。


「お待たせ」

 リンダは身一つで通路を渡って来て、ショウにささやいた。切れ切れの息の中でリンダは、何度も往復するのは時間がかかるので、自分の上着も使って人間一人分の重さの鉄球を一度に運んで来たと説明した。

 そして、リンダが通路を何回か往復して鉄球をこちら側へ運び、二人の上着で包んで神像があった場所に固定した。さらにリンダも鉄球の上に座った状態でショウが通路を渡り、その後でリンダがそろそろと通路を渡った。こうして二人はオパールと共に奈落を越えることができた。最後の難関を突破したのだ。


 二時間ほど後、二人はダンジョンの入り口にたどり着いていた。暗闇に慣れた二人の目には外界の光がとてもまぶしかった。周辺は森林地帯だった。三十分も歩けば近くの村にたどり着ける。村人にダンジョンを攻略したと告げたら大変な騒ぎになることだろう。


「でもよく戻ってきてくれたな。もしかして置いて行かれたのかと思ってひやひやしたぜ」ショウの言葉にリンダが微笑む。

「それも考えないではなかったけどね……。ダンジョンはまだいくつも残っているのよ。あんたとだったら他のダンジョンだって攻略できると思ったのよ」

 真剣な表情に変わってショウを見つめる。

「よかったら、一緒に他のダンジョンも探検していかない?」

「望むところだ……けどな」

 ショウは言葉の途中で視線をそらせた。

「何よ、何か不満でもあるの?」

「いや、村に着いたらすぐに君の服を手に入れないといけないと思って。上着で包み込んでいた時は目立たなかったけど、すごい……よね。このオパールよりずっと……」


 パァン

 高らかな音が放たれ、青空へ広がっていった。

「バカ言ってるんじゃないわよ。行くわよ」

 ショウを張り飛ばしたリンダは村に向かう道を歩み出した。言葉とは裏腹にまんざらでもないと言った表情を浮かべながら。


               終わり

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