21:思い掛けないほころび

 週明けの月曜日になり、いよいよ中間考査が来週に迫っていた。


 学校では一切居眠りせず、漫画に関わる作業にも取り組まないで過ごした。

 朱里から試験範囲のノートを借り受け、自分のそれに書き写していたからだ。

 今日の授業で使わない科目のものを、日曜日の昼頃に三冊都合してもらった。


 以後、今週の平日は朱里のノートを、同じ要領で授業中に複写していく。

 あとは次の週末に集中して勉強し、中間考査に挑む算段だった。

 尚、今週も平日の帰宅後には、もちろん普通に漫画を描く。

 たとえ現役高校生でも、漫画家に休息はないのだ。



 さて、午前中はひたすらノートを書き写し続け、昼休みになった。


 この日も差し当たり学食へおもむき、腹ごしらえしておくことにする。

 だが教室を出ようとしたところで、不意に声を掛けられた。

 振り返ってみると、リア充グループに属す男子二名が歩み寄ってくる。


 さわやかイケメンの高城と、お調子者の鎌田だった。


 俺みたいな陰キャぼっちにいきなり何の用件か――

 と軽い驚きを覚えていたら、鎌田が切り出してきた。


「鵜多川くん、実は紘瀬さんと幼なじみなんだって?」


「はあ? ――いやまあ、たしかにその通りだが……」


 予期せぬ質問を受けて、二重に意表をかれてしまう。


 俺と朱里は別段、互いの間柄を隠し立てしていない。

 とはいえ、決して積極的に喧伝けんでんしているわけでもなかった。

 だから幼なじみという事実を知る人間は、学校だと案外限られている。

 なのに今時期、なぜ鎌田の耳に入ったのかと、素朴な疑問が生じた。


「知り合いの何人かで昨日の夜、PCやタブレットのビデオ通話アプリを使ったグループ通話をしていたんだよ。そこにはオレや鎌田の他、紘瀬や春海、それから村井とかも参加していてさ」


 やや胡乱うろんな気配を感じていると、高城がまたもや思いも寄らない話を持ち出す。

 急に話題を転じてきた上、知らない人名が混ざっていて、俺は余計に混乱した。


「……えーっと。ム、ムライ? って誰だ……?」


「村井さんはさ、二組の村井芳乃よしのさん。漫研の子」


 こちらの問いには、鎌田が陽気な声で補足する。


 二組で漫研の、村井芳乃――

 ああ、もしかして「よしのん」のことか! 


 その説明で、俺はやっと村井なる苗字が指す人物を把握した。

 以前に学食で、朱里や春海と漫画の話をしていた女子生徒だよな。

 こちらの理解が追い付いたのを確認してから、高城は先を続けた。


「その夜の通話じゃ、来週の定期考査のことで互いに相談していたんだ」


 お、おう。つまりビデオ通話アプリで、仲間内の勉強会をしていたってわけか。

 なんか試験前のリア充すげーな。日曜の夜に男女複数名でグループ通話とか、そんなの当たり前なの? いや俺も担当編集氏となら、仕事でリモートの打ち合わせするけどさ。

 同年代の男女同士だと、若干オンライン合コンみたいないかがわしい空気を感じるのは、俺がぼっちすぎるせいだろうか。やべぇわリア充、知らん文化圏だ。



「そうそう。でもってみんなで、試験の出題傾向を予想してたんだけどさ――」


 鎌田は調子を合わせて、説明に加わる。


「その際に数学の問題で、以前授業中に先生が『テストに出す』って言っていたやつを、紘瀬さんだけわからなかったみたいなんだよね。板書をノートに写していれば、すぐそれを見返して答えられるはずの問題だったのに」


「それがあのとき、ちょっと引っ掛かったんだよな。授業でノートを取ってさえいれば、誰でも目星を付けていたはずの問題を、優等生の紘瀬が見落としているなんて」


 高城は二、三度うなずき、こちらへ向き直った。

 俺も概ね今の話で、事態の流れが読めてきた。


「ただ思い返してみると、過去に仲間内で勉強会したときにも、同じようなことがあったんだ。なぜか特定の教科で、紘瀬が試験範囲の問題を失念していたりとか」


「うん、おれもたしかにそんな記憶があった。それで昨夜も紘瀬さんにどうしたのって、あれこれ訊いてみたんだけど――」


 鎌田が再度同調し、高城があとを引き取る。


「そのうちビデオ通話の中で、紘瀬が『実は今、数学のノートを友達に一冊貸している』って言ったんだ。だから昨日の夜は、教科担任が授業中の板書でしか取り上げなかった部分にわからない箇所がある、とも弁明していた」


 予想通りだ、と俺は密かに嘆息した。

 高城も鎌田も、なかなか洞察が鋭い。


「それで朱里から、ノートを貸した相手が俺だって聞いたのか?」


「厳密には春海が最初に『鵜多川に貸したんじゃないか』って、当て推量で言ったんだ。それを紘瀬が認めたような会話の流れだったな」


 やや身構えながら訊くと、高城は肩をすくめて答えた。


 なるほど春海か。

 あいつならおそらく、俺と朱里が幼なじみだと知っている。

 普段から朱里とつるんでいるからな。

 ノートを貸した相手が俺だという見立ても、それを踏まえた上でのものだったのだろう。

 そうして現在は春海経由で、他の数名にも俺と朱里の間柄が伝わっているらしい。


「……いつも試験前には、あいつを頼ってノートを写させてもらってるんだよ」


「もちろん、もう話に聞いて知っている。幼なじみのだっていうんだろ」


 一応確認のために言うと、高城はかすかに苦笑いを浮かべた。


「それにしても二人がそんなに長い付き合いだなんて、これまで全然気付かなかったな。あまり教室で親しげにしているところを見た覚えもなかったし……」


 ――そりゃ学校じゃ、あいつと距離を取るようにしていたからな。


 と思ったものの、口に出しては何も言わなかった。


 リア充からは、きっと俺の考えに共感は得られないだろう。

 何なら今朝は通学バスで朱里と同じ便に乗ったが、そこでも言葉を交わさなかった。

 もっとも今考えてみると、あいつは車内で時折こちらの様子をうかがっていたような気もするな。あれは高城や鎌田が話題にしている件を、何かしら気に掛けていたせいだったのだろうか。



「ていうか鵜多川くんも紘瀬さんと親しいなら、言ってくれればいいのにさあ!」


 曖昧な態度で応じていたら、鎌田が相変わらず調子のいいことを言って笑う。


「そしたら紘瀬さんにノートを借りて一人で勉強してないで、おれらと一緒にビデオ通話で試験対策できるじゃん? さっき高城くんとも、そういう話をしてたんだよー」


「……あー。いや、それはちょっとな……」


 思い掛けない話を持ち出され、またしても俺は消極的に返事してしまう。

 どうやら高城と鎌田の二人は、単に俺が朱里の幼なじみだという点にのみ興味を示したわけじゃないらしい。


 まさかご親切にも、仲間内の勉強会に誘ってくるとは思わなかった。

 まあ朱里との間柄を知ったからって、それだけじゃわざわざ声を掛けてこないか。


 ――でも正直、余計なお世話なんだよなあ。


 高城や鎌田からすれば、一応「紘瀬朱里と親交が深い相手なら、誘っておかないわけにはいかない」という認識なのかもしれないが。

 俺としては、そんなものに参加することになっちゃ堪ったもんじゃない。

 ガチなリア充って、人付き合いで無駄に気遣いに長けているから、ぼっちを好む人間にとっては逆にやり難いぜ……。


 などと、どうしたものかと戸惑っていたら。


「――もしかして鵜多川は、一人じゃないと試験勉強に集中できないタイプか?」


 幾分探るような口調で、高城が問い掛けてきた。

 こちらの反応を見て、俺が気乗りしていないのを、即座に看取したみたいだ。

 なんか察しが良すぎて少し怖いが、ここは助け船と思って首肯しておく。


「お、おう……。実はまあ、そんな感じなんだよな……」


「やっぱそうか。じゃあ、むしろ誘って迷惑だったかな」


 高城は、やはりさわやかに笑って、詫びてきた。

 こう巧みに引き下がられると、こっちも「いや、そんなことはないが……」と柔らかく応じるしかない。


「うーんマジか、でも鵜多川くんが一人で集中したいのもわかるわー」


 鎌田は腕組みしながら、残念そうにうなった。


「正直おれもビデオ通話しているときに女の子たちの声を聞いてると、逆に気を取られて勉強わかんなくなってくることあるもんな~」


「ていうか鎌田は勉強会関係なく、いつも女子に気を取られすぎだけどな」


 ここぞとばかり、高城がツッコミを入れる。

 鎌田は「ちょ、それ言うなよ~!」と、それに笑って抗議した。

 例によって、リア充特有の様式美を踏襲したやり取りだった。



「じゃあオレ、これから陸上部の部室に顔出す用事があるから」


 手短にオチを付けると、高城は会話を切り上げた。


「鵜多川は学食で昼飯か? 引き留めて悪かったな」


 そのまま廊下を颯爽と歩き出し、立ち去ってしまう。

 何だか後ろ姿までさわやかイケメンである。やばい。


 一方の鎌田は、持参した弁当があるらしく、このあとは隣の組の友人数名と屋外で食事する予定だとか。


「んじゃー鵜多川くん、お互い試験勉強頑張ろうぜ~」


 俺が学食へ向かおうとすると、鎌田が調子のいい言葉を掛けてきた。

 おう、とか何とか適当に返答して、その場からそそくさと逃げ出す。



 ――これっきり、他の連中も俺のことを放っておいてくれればいいんだが。


 俺は、内心そんなことを考えながら、同時に漠然とした懸念を感じていた。

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