18:モフモフだったら何をしても許されるという風潮

「……何だか意外だわ。孔市がデジカメを持ってきていたなんて」


 朱里は、わずかに瞳を見開き、こちらへ向き直った。

 興味と当惑が入り混じったような、やや複雑な反応を示している。

 それにしても今日のこいつは、ころころとよく表情が変わるな。


「ちょっとした写真を撮るぐらいなら、スマホで充分じゃない?」


「そりゃまあそうだが、折角わざわざ動物園に来たわけだからな」


 俺は、手元でデジカメの設定を確認しながら言った。


「どうせだったら、大きくて綺麗な画像を撮っておきたいだろ?」


「あっ、そ、そう? そうね、うん。きっと思い出に残るものだもんね……」


 朱里は、こちらの返事に賛同しつつ、なぜか微妙にそわそわしている。

 にわかに手櫛で自分の髪を撫で、あるかなしかの乱れを整えはじめた。


「……思い出? まあよくわからんが、しっかり保存しておくものだからな」


 幼なじみの挙措に疑問を覚えたものの、俺は気にせずデジカメをかまえた。

 目当ての被写体を正面にとらえ、自動焦点機能オートフォーカスでピントを合わせる。

 と、朱里があせったように抗議してきた。


「ちょ、ちょっと待って孔市、まだ準備が――!」


 だが俺は、かまわずデジカメのシャッターを切った。

 パシャリ、という効果音と共に被写体を撮影する。

 さらにそのまま、一枚、二枚……

 と立て続けに写真を撮って、保存していった。



 ――うむ、実にいい画像だ。


 俺は、デジカメの液晶で写真を検め、大いに満足した。

 もっとも朱里は何やら、酷く不機嫌そうにしている。


「……ちょっと孔市。いったい君は今、何の写真を撮っていたの?」


「何って、そりゃゾウに決まっているだろうが。動物園だぞここは」


 今更なことを問い掛けられたので、ごく当然の事実を伝えた。


 俺は、デジカメを(朱里の肩越しに)ゾウへ向け、シャッターを切っていたのだ。

 間近で見ていた相手に対して、なんであえて説明せにゃならんのか。愚問すぎる。


 ところが血の巡りが悪い朱里は、ただちに回答の意味が理解できなかったらしい。


「幼なじみの女子高生と動物園に来て、デジカメで撮る写真がそれなの?」


「職業漫画家は動物園に来たら、デジカメで作画資料を撮るだろうが普通」


 こちらも仕方なく、もう一度んで含めるように答えてやった。


 日常的に観察する機会が少ない事物と接触するなら、それをすべからく写真に撮影し、資料用に保存しておかねばならない。絵描きの常識だろう。

 尚、大柿谷動物園では(一部の例外的な区画を除き)、敷地内での自由な撮影が来園客に認められている。ただし基本的にカメラのフラッシュをくことは禁止だ。


「ああ、そう――そうよね、作画資料ね……」


 朱里は、嘆息混じりに言って、頭を抱えた。


「そう言えば君ってそういう人だったわ。ごめんなさい忘れてた死ねばいいのに」


「おい待て何だよやんのかコラ。漫画家が作画資料集めて何が悪いんだよああ?」


「外出先でデジカメ取り出されたら、誰だって自分が撮られるかと思うでしょう普通!? 無駄に身構えていたたまれなくなった私の身にもなりなさいよ!」


「そんなの単なる自意識過剰じゃねーか!! おまえの写真なんてなあ、むしろ家に帰ってアルバム漁れば何年分も大量に出てきてありがたみねぇんだよ!」



 俺と朱里はひと頻り罵り合うと、互いに息を切らし、少しだけ黙り込む。

 家族連れの子供が傍らを通りすがって、こちらを物珍しそうに見ていた。

 公衆の面前で口論する際、決まってこんなふうに体裁の悪さを味わう。


 ほどなく朱里が咳払いして、再び口を開いた。


「……もう、わかったわよ。君に世間一般の感覚を求めた私がバカだった。資料用の写真でも何でも、好きなだけ撮ればいいじゃない」


「どうあっても俺がやることを素直に受け入れられないみたいだなおまえは。だがこの際、言い回しに関してはいちいち気にしないことにしてやる。実利優先で作画資料を収集さえできるなら、ここでの目的は果たせるからな」


 憎まれ口で応戦してから、俺はデジカメをかまえ直す。

 それから何度もシャッターを切り、充分なゾウの写真を確保した。




 以後は園内を移動しつつ、手近な動物を順にデジカメで撮影していった。

 キリン、カバ、サイ、トラ、ライオン、コアラ、カンガルー、などなど。


 時折、動物それ自体ではなく、飼育施設や園内の景観なども写真に収める。

 漫画じゃ「動物園」そのものを描かなきゃいけない場合もあり得るからな。

 正面ゲートみたいな目立つ場所は、大抵ネットで検索すれば参考になる画像が見付かるのだが、地味な部分は案外わからないものだ。


 例えば、肉食動物の類を閉じ込めている檻ひとつ取ってみても、

「格子が建物の天井と接している箇所はどんな形状になっているか?」

 といった細部は、実物を見て調べないと、なかなか正確に描けない。


 こういう見落としがちな部分ほど、いざというときに貴重な作画資料となり得るため、しっかり撮影しておくべきなのだ。

 少なくとも、俺は常々そう考えている。


 ……ただまあ、そうして写真を撮り続けている最中、ずっと朱里は隣で虚無に染まった表情を浮かべていたが。



 とにもかくにも色々な動物を見て回るうち、やがて動物園の南東に位置する区画から、北東の区画へ踏み入った。

 ここには飲食するためのカフェテリアや土産物を販売する売店の他、イベントスペースをはじめ、飼育動物の特殊な展示施設がある。


 取り分け常設展示として人気なのが、「ふれあい牧場」と銘打たれた場所らしい。

 名称通りヒツジやウサギなどの動物と、係員の付き添いの下でじかに手で触れたりすることができる展示みたいだった。


「ここに寄っていくわよ孔市」


 朱里はふれあい牧場の前で立ち止まると、かたくなな口調で言った。

 決して譲歩するまいという強い意思を、瞳の中のきらめきに感じる。


「他の展示はともかく、ここだけは――可愛い動物さんとお近付きになるチャンスだけは、絶対逃すわけにはいかないから。君も仕事で必要だからって写真を撮ってばかりいないで、動物さんたちに失礼がないようになさい」


「お、おう。わかった、気を付ける……」


 何やら鬼気迫る雰囲気に気圧けおされ、俺は従順にうなずいてしまう。


 ていうか朱里のやつ、動物をなぜか突然「さん」付けで呼びはじめやがった……。

 間近で触れ合えるからって、ヒツジやウサギに敬愛の念が湧いたのだろうか。



 ふれあい牧場の中へ入ると、まずは白い外観の建物が正面に見えた。

 出入り口付近には「ふわふわどうぶつのおうち」と記された看板が掲げられている。

 内部をのぞいてみたら、ウサギやモルモットが飼育されている施設だった。


 朱里は、にわかに黄色い声を上げ、憑かれたように建物の中へ突進していく。

 もはや制止する術などなく、俺もそのあとを追って続くしかなかった。


 施設の中では、担当の係員がウサギを抱えながら挨拶を寄越してきた。

 どうぞ、と柔らかそうな毛並みの小動物を、親切に差し出してくれる。


「あっ……あ、あッ……! かかか、かわい……かわ、かわわ……ッ!」


 朱里は、ウサギを受け取って抱くと、一時的に語彙力を喪失したみたいだ。

 興奮した様子で目を回し、口元はだらしなくにやけて半開きになっている。


「あ、あッ……これ、いい……。こっ孔市、すごい、かわいいよぉ……」


「いやわかったから少し落ち着け。わりと変な状態になってるぞおまえ」


 なぜかこっちの方が恥ずかしくなってきて、俺は朱里をたしなめた。

 ウサギを抱いた途端、若干息遣いが荒くなり、声音もやけに艶めかしくなっている。

 このまま放置しておいたら、ますます妙な気分になってしまいそうな予感しかない。


 すると、朱里は「ご、ごめんなさい。つい夢中になっちゃって……」などと、もごもご言い訳がましく言った。やっと我に返った様子で、顔を横へ背ける。耳が赤い。

 こいつめ、たまにわけのわからんところで天然っぷりを発揮するんだよなあ……。


 とか思いつつ、俺は何気なく朱里が抱えているウサギを見た。

 耳の長い小動物は、幼なじみの腕の中で身をよじっている。ちいさく白い頭を、大きな胸(Gカップ)の谷間に埋め、くりくりとこすり付けていた。

 ……何だろう、この畜生めオスか? 見ていてやけにむかつくんだけど。俺でさえ長年一緒にいて一度も触らせてもらったことないのに殺すぞ? 



「ここの施設って、事前に予約して特別料金を払えば――」


 俺がウサギに殺意を覚えていると、朱里は飼育施設の壁面を眺めながら言った。

 視線の先にはポスターが貼られている。行事予定が記載されたものみたいだ。


「動物の赤ちゃんにミルクをあげられるイベントももよおしているみたいね」


「ほほう、つまり授乳か。マニア向けだがそういう需要もあるだろうな」


「……たしかにミルクをあげることは授乳だけど、君がどういう思考でそれをマニア向けだなんて言ったのかは訊かないであげる。絶対最低の連想だろうから」


 ウサギとおっぱいを凝視しつつ反応したら、冷ややかな言葉が返ってきた。

 顔を上げて向き直ると、朱里は侮蔑ぶべつの眼差しをこちらへ投げ掛けていた。

 自分はウサギでモフって恍惚こうこつとしていたくせして、俺の授乳発言には当たりが強いの、ちょっと理不尽な気がするんですがね……。


 しかし俺が憤懣ふんまんを覚えている間にも、朱里はかまわず小動物をモフっていく。

 気が済むまでウサギを抱いたあとは、モルモットを手に乗せてではじめた。その後は尚も係員から勧められるまま、プレーリードッグやミーアキャットとたわむれる。



 その場に二〇分余り留まった末、ようやく朱里は建物の外へ出ることを承知した。

「ふれあい牧場」を先に進むと、次は来園客に乗馬体験を提供している場所に出た。係員の補助を受けつつ、ポニーに乗れるサービスらしい。

 もっとも朱里は服装がスカートだし、騎乗するのは抵抗があるという。

 そんなわけで乗馬体験はスルーし、もっと展示施設の奥へ踏み入ることにした。

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