戴冠パレードと告発者

 盗賊公女アデルが次代の姫巫女様になるらしい。

 王都に住むバーレーン育ちの者は、その噂を聞いて耳を疑った。


 アデルといえば生まれも育ちも悪くないけれど、魔力の類を一切使うことのできない普通の貴族令嬢として広くその名が知れ渡っていた。

 だから、一度目は誰もがその噂を信じなかった。


 ところが太陽神の大神殿が、神託を受けたという名目で次の姫巫女アデル、もしくは聖女アデルの名を大々的に喧伝し始めた。

 バーレーン出身の著名人といえば、ここ最近で終わりを告げた聖戦に赴き、魔王軍の幹部である聖櫃のジークフリーダと対等に渡り合った炎術師ロディマスが一時期は人気を独占していたけれど、彼は猫神が鳴いたという理由だけで勝手に敵と停戦協定を結んだとして、魔法師ギルドを追放されたとのもっぱらの噂になっている。


 そんな理由で、他の四大公領出身者に比べて、バーレーンの民はここ最近、肩身の狭い思いをして暮らしていた。

 その中に飛び込んできたこの大ニュースだ。


 登城の当日、王都の中心を抜ける大通りにアデルを乗せた馬車が入ってきた時、彼らは拍手喝采でアデルを迎えていた。


「揺れるねー、なかなかに盛況じゃないか」

「そうだな。姫様がまさか聖女様になられるとは、予想外のできごとだ」

「バーレーンは、僕らの故郷だからな……片方はこんな大勢に出迎えられ、片方は冤罪でギルドを追われ……引退した、か」

「よせ、もう終わった話だ。いまはここが新しい城だと思えばいい」

「ロディマスがそう思えるなら、僕はそれでいいけれどね」


 大通りに面した四階建てのビルの二階で、二人の男がその光景を目にしながらそんなぼやきを口にする。

 魔法師ギルドを引退したロディマスと神殿を辞した元太陽神の神官リジオ。

 二人は言葉とは真逆な陰鬱な顔をしながら、夜の酔客を相手にするために始めたバーのベランダに腰かけてアデルの行列を見送っていた。


 ロディマスは戦時中の判断は間違ってなかったと考えながらも、もしそうじゃなかったら今このパレードの先端を歩いているのは自分だったかもしれない。

 なんてことを思いながら地上を見ていた。

 すると、自分の太ももの下あたりの光景に強い違和感を感じた。


「なんだ?」


 地上では衛兵が歓喜の声をあげる人々の群れを、あらかじめ張ってあったロープから内側入らせないように監視していて、衛兵の脇をすり抜けて誰かがアデルの乗る馬車に向かって走り込もうとしている。

 そんなものが目に入ってしまい、ロディマスは口は考えるよりも先に転移魔法を唱えていた。


「あ、おい!」


 炎術師の姿が掻き消えるのと、リジオの疑問の声が飛ぶのはほぼ同時で、それに続いて階下に面した通りでは集まった民衆による、さらに大きなどよめきが起こっていた。

 慌ててベランダの柵に駆け寄ったリジオが目にしたのは、まだ若い十二、三歳くらいの町娘の恰好をした黒髪の少女と、彼女を地面に押し倒している炎術師の姿だった。


「何やってんだよロディマスは!」


 元神官のその叫び声が届いたのかどうかは分からない。

 ただ、ロディマスに抑え込まれた少女がまだアデルの乗る馬車を目指していたことと、そこに駆け付けた衛兵たちがいきなり現れた不審な大男に向かって剣を抜いたのだけは確かだった。





「放して、放してってば! わたしは姫巫女様にお話があるのッ! お父さんは無実なんだから!」

「無茶言うんじゃない、この行列には誰も近づいたら駄目なんだ。死にたいのか?」


 手の中に白い大きな何かを持って馬車に駆け寄る少女が目に入ったとき、無意識のうちにロディマスは転移魔法を唱えていた。

 一瞬の後、彼は少女を組み伏せていた。

 彼女はアデルに話があるのだと言って、まだ馬車に駆け寄ることをを諦めようとしない。

 あまりにも抵抗するものだから仕方なく腕を捻って抵抗を封じたのだが……。


「おい貴様! 何者だ。姫巫女様に危害を加えようとするとは不審な奴だ!」


 駆けつけてきた衛兵の長はそんなことを叫んで、腰の剣を抜き放つ。

 そのままばっさりと少女を斬り殺そうとするものだから、


「ちょっと待てよ、乱暴にもほどがあるだろ!」


 と、今度はロディマスがそれを止める方になっていた。


「ふざけるな! この不審人物を止めたことを褒めてやるが貴様こそ何者だ?」

「俺は……俺は元魔法師ギルドの冒険者をやっていた男だ。ロディマス、ロディマス・アントレイ。それが俺の名前だ」

「ロディマス? じゃあお前があのっ……炎術師」


 自分の嬉しくない噂を、目の前の偉そうな男は知っているらしい。

 最初は驚きが、続いて侮蔑と嘲笑がその顔に浮かんだのを見て、ロディマスはだからどうしたという顔をしてみせる。


 少なくとも、自分が取り押さえた少女を衛兵が天高く振り上げたその白刃の犠牲にさせるつもりはなく、取り押さえたら今度は庇うという奇妙な構図になってしまい、衛兵たちの対応次第ではロディマス自身もまた、牢屋に送られる可能性も出てきて、二階ではそれを見たリジオが青ざめた顔で「勘弁しろよ」と叫んでいた。


 炎術師と黒髪の少女の周りには衛兵が群がり、彼らは抜刀をしていて今にも二人に斬りかかりそうな雰囲気があたりに漂い始める。

 アデルの乗った馬車のあとにつづく、別の馬車の中でそれを目にしたラボス大神官は驚きに声を潜め、その光景を目の当たりにしたアデルはへえ、と小さく面白そうな声を上げた。


「構わん! 元冒険者と言っても魔族と通じていた噂のあるやつだ! 抵抗すると言うならッ」


 興奮した衛兵長は振り上げた白刃を指揮棒代わりにして、斬り殺しても構わないと暗に告げる。

 部下たちがそれに習い、一斉に刃をロディマスに振り上げ、鈍い銀光が煌めこうとしたそのとき。


「待て!」


 ロディマスに護られた少女のものとは違う、また別の凛とした少女の制止の声が辺りに響き渡った。

 涼やかで、しかし、盗賊公女の名に恥じない酷薄さを感じさせる支配者の命令に、衛兵たちはその動きを止めてしまう。


 バーレーン出身の炎術師は翼の中にあるその声を思い出し、ふっと微笑んでしまう。

 あの御方がまさか本当にこの場所に来てしまうなんて、と彼は心の中で恐れ入っていた。

 振り返りざまに命令を下した主が誰かを知った時、衛兵長は顔を青ざめさせてその刃を鞘の中に収める。


 多くの衛兵がそれにならい、そして車上の彼女に対して地面に片膝をついた。


「よろしいのですか、殿下? 不審なる者かもしれません」


 騎馬兵の一人がアデル近づきそう囁いて確認する。

 アデルは構わないと首を縦に振った。


「今日というこの良き日を、血で汚したいと私は思わない」

「かしこまりました。しかし、あの二人の処分はどうなさいますか」

「処分……?」


 再度問われ、車上からふたりの容疑者を見下ろしたアデルはその片方の大男に見覚えがあることに気づいた。

 いつかどこかで目にした事のある男だと、彼女の記憶がそう告げていた。


 誰だろう? 

 父親の部下か、それともどこかの街角ですれ違ったことのある相手か。

 バーレーンの街中では公女という身分を隠して出歩くことも多かったから、とっさには彼が誰なのか思い出すことができなかった。


 その風貌とお肌の色、髪や瞳の色からしてこの男がバーレーンの民であるということ以外、今のアデルには何も思いつかない。


「私にはあの男が少女を止めたように見えましたが、気のせいでしょうか」

「いえ、調べてみないとはっきりとはしませんが。殿下にそう見えたのであればそれが真実なのでしょう」


 姫巫女の発言はそれほどに重い。

 その現実をひしひしと噛み締めながら、アデルはそれならばと、一つの解決法を提示する。


「そこの男」

「あ、俺かよ。はい、殿下……」


 車上から突然声をかけられてロディマスは身の危険を感じた。

 アデルが処分しろと言えば、それが現実となる。

 そうなってしまっては、この少女を助けた意味がない。


「お前にその少女を預ける。これからはきちんと監督するように」

「……かしこまりました、殿下」


 予想しなかった返事が戻ってきて、アデルの采配にロディマスは思わず片頬を上げた。

 彼の様子を見てアデルは何かを思い出したのかふいっと顔を逸らしてしまった。

 それを合図にして行列は行進を再開し、ロディマスは少女を連れて群衆の中へとその姿を紛れ込ませる。


 ……さすが我が、公女様だ。

 少女の命が助かった嬉しさもあった。

 バーレーンの民としての嬉しさもあった。


 しかしやはり、幼い頃の彼女を知るロディマスにとって、成長したアデルの姿を見れたことが一番嬉しかった。

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