うちの女神は微笑まない

羽間慧

どうにかして笑わせたい

 誰もいない早朝の教室で動画を見ていると、肩を軽く叩かれた。第一ボタンまで留められたボタン、膝の隠れたスカート。風紀委員のバッチが輝く。毅然とした態度は今日も美しい。


 私物チェックに引っ掛かった訳ではない。彼女の映美えみだ。


「おはよ、映美」

「おはよう。何を聴いているの?」

「今、一番好きなコント」


 イヤホンを片方外し、映美に渡す。ボブを耳にかける仕草が可愛い。イヤホン半分こをする前に、赤くなっていることがよく分かる。言葉には出さなくても、ドキドキしていることを態度で示してくれる。


 彼女に向ける愛情と同じくらい、漫才が好きだ。くだらねぇと腹を抱えている瞬間が楽しい。だから彼女にオススメ動画を見せる。面白さを共有したい。なのに、全然笑ってくれない。真一文字に結ばれた唇。微動だにしない頬は、人形のように生気がない。映美の反応とリズムネタに温度差がありすぎて、俺はいつも以上に笑った。


「ぶはっ! このネタ最高。いつ見ても面白すぎ。映美は吹き出さなくて凄いな」

「ごめんね。せっかく動画を見せてくれたのに」


 映美はイヤホンを外した。無駄な時間を過ごさせた罪悪感が湧き上がる。


「気にするな。めげずに面白動画を発掘しとくからさ」

「気持ちは嬉しいよ。でも、無理しないで。祥くんが笑いすぎて死ぬのは嫌だから」


 俺のツボが浅すぎるみたいな言い方するな。ツッコみたくなったが、事実に反論できない。付き合って一ヶ月しか経っていないのに、本性を掴まれていて恥ずかしい。


「ねぇ、祥くん」


 映美は俺のイヤホンを取る。いくら他の生徒がいない教室とはいえ、耳に息を吹き掛けるスキンシップはまずい。


「YOYO! 寝坊したYO!」

「ごふっ! 待って待って。映美さん、不意打ちは駄目だって」


 さっき見せたネタを完コピしてくれるの嬉しい。真面目な彼女が頑張ってテンションを上げた。

 俺は机を叩きながら笑った。その様子に、映美の眉間は和らぐ。


「祥くんの反応の方が面白い。お笑い番組は嫌いじゃないけど、二組ぐらいしか爆笑できないや。小学生のときは祥くんみたいに笑い上戸だったのにな」

「は? たった二組? ちなみに、誰と誰なん?」


 映美が挙げたのは、俺も好きなコンビだった。それなら、とっておきの動画がある。


「祥くん、ごめん。ネタもピンからキリだから。好きな芸人さんでも、まったく笑えないときがあって。ツチノコ王国とか、奪われたカレーパンは無表情になっちゃう」


 笑えないコントに、もれなく俺のベストワンネタが選出されました。審査員以上に厳しすぎる。絶対に笑ってはいけない家訓でもあるのだろうか。

 俺が頭を抱えていると、映美はポツリと呟いた。


「本当は、祥くんと漫才ライブに行きたいんだ。でも、一人だけ無表情だと、ステージから見たときに丸わかりだから。芸人さんにも、ほかのお客さんにも申し訳ないんだ」

「映美……」


 冷たい子ではない。優しくて、気遣いを忘れない子なのだ。笑いのセンスが高すぎるだけで。


「こんな彼女は嫌、だよね」


 そんなことないよと頭を撫でた。むしろ笑わせがいがある。


「おー! やってるやってる」

「きみ達はいつも熱いね! 秋の恋は冷めやすいけど大丈夫か?」


 クラスメイトが教室に入ってきた。

 子供か。もう高校生だろ。


「リア充爆ぜろって中指立ててた野郎が、えらい変わりようだな。 囃していても、心の中は『供給過多で死ぬー』とか言ってんじゃないのか」

「祥、ナルシスト過ぎ」

「そこまで凝視してませんから。まあ、茶華道部の剣山がお前にデレるところは気になるけど」


 そのあだ名を出すな。映美の醸し出す空気から呼ばれ始めた名は、俺にとっても不快だった。動かない剣山と揶揄され、ツッコめるほど陽気ではない。

 ちっ。ガヤの相手をしている間に、映美が自分のクラスに行ったじゃないか。


 俺はノートを開き、彼女が笑わないネタと記した。ふざけすぎた掛け合い、無神経な発言はNGと。




 放課後までにプレゼンする漫才が決まった。今日は茶華道部の活動がないため、一緒に下校できる。自然と口角が緩んだ。映美の反応が楽しみすぎる。


 早くホームルームが終わってほしいときほど、担任の話は長くなる。解放されて隣の教室に駆け込むと、一人だけ残った映美がスマホをいじっていた。


「待たせてごめんな。何を見ているんだ?」

「しょ……くん? これはその。ち、違くて」


 隠そうとした画面には、少女漫画が表示されていた。お姫様抱っこしたヒロインにキスする金髪野郎。糖度が高すぎて胸焼けしそうだ。真っ赤になった映美はずっと見ていられるのに。


「俺は苦手なんだよな。記憶喪失とかライバル出現が、どうもリアリティーに欠けるというか。都合良すぎだろ」

「展開が分かっていても、キュンキュンしちゃうものなの。祥くんも、神回キターって絶叫するよ」


 映美はスマホを目の前に突き出した。これは強制的に読まされる流れなのか。


 日頃は俺が動画を見せているため、しおしおと表紙をタップする。ハッピーエンドだと分かっている物語に入り込める気がしない。


 五分も経てば、金髪野郎もとい八束やつかくんに共感していた。髪を染めたのは毒親に反抗するため。高校デビューでモテたい気持ちはないのに、連日告白されてしまう。平穏に過ごしたい彼が逃げ込んだのは音楽室。車いすの志保が奏でるピアノに惚れ込むのだ。


 面食いではないところが高評価だ。映美に惚れた理由も、物怖じせずに校則違反を取り締まる姿だった。


 人柄の良さに触れると、ついつい目で追ってしまうよな。分かるぞ、八束くん。

 志保ちゃんは、車いすだから迷惑を掛けられないとか悲観的になるのやめようぜ。親衛隊に目を付けられたくない気持ちは理解できる。だけど、明らかに八束を避けるのはよろしくない。


「久しぶりにピアノを弾きたくなったんだな。でも、八束くんがいない音楽室は淋しいよな。おおっと、八束くんダッシュで来たんだ。逃げられない距離感えぐい。音楽室のドアは、八束くんが背中で塞いでいるんだろ? 完全に怒ってるよな。意中の子から一ヶ月も避けられていたんだし」

「ふふっ、祥くんも熱くなってる」


 映美は次のページをタップした。頬に手を当てて解説を始める。


「この八束くんの表情。斜め四十五度は、シャープな顔立ちが強調されて気絶しかねない。志保ちゃんは、掴まれた手を解けずにフリーズ。迫る唇。キスする一秒前に『俺、我慢できねぇわ』と囁いたー! 低音ボイス降臨! だけど自制が効かなくて、顔も思考も溶けてるの。モテ男に見えて、恋愛経験値が低いからね。ボソッと表記した文字さえも殺しにかかってきて、すごくないですか? 初心な反応は、読者も照れさせる破壊力だもの。カッコよく振る舞おうとしてても、志保ちゃんに逃げられたくないことが伝わってくる。ツンとデレの応酬が、ねぇ~」


 表情筋が死んでいると話した映美の顔は、別人のように輝いていた。


「なぁ、今度れ……」

「却下」


 デートの誘いなのにひどくないか。


「早いよ! まだ途中だったじゃん」

「恋愛映画は家で見るって相場が決まっているの。映画館だと、黄色い声を出さないようするの大変だから」


 まさか登場人物の反応に一喜一憂するつもりか。素直すぎだろ。そんなピュアなところも見てみたいのに。


 俺は肩を落とした。


「せっかく一緒に楽しめるものが見つかったと思ったのに」

「祥くんと過ごす時間はいつも楽しいよ」

「優等生の模範解答か! もうええわ!」

「どうもありがとうございました」


 映美は立ち上がり、俺に一礼した。


 漫才が嫌いな訳ではないと思う。全力で俺のノリに付き合ってくれる。計算して笑いを取ることに敏感なだけだ。


「映美を絶対に大爆笑させてやる。少女漫画以外のネタで。……俺だけ笑ってばかりいるの悪いしさ」


 映美は深呼吸した。耳を塞いでおいてと懇願する。


「祥くんに似合わない台詞が片腹痛い。笑っちゃ……ふふ、駄目……って、んんっ!    分かっている、つもりなのにぃ……!」


 口元を手で覆う彼女は、今までで一番綺麗だった。だけど、こんな形で笑わせたって嬉しくない。


 帰るぞと言い、無慈悲な女神を連れ出した。

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